『バンコクナイツ』をテアトル新宿で見ました。
(1)本作は、素晴らしかった『サウダーヂ』(2011年)の富田克也監督が制作した作品と耳にして、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭の舞台はタイのバンコク。時間は夜。
本作の主人公のラック(Subenja Pongkon)の顔が、ホテルの部屋の窓ガラスに映っています。
彼女は、近くを流れる大きな川(注2)を窓から見下ろしながら、「バンコク、ウザイ…(Bangkok shit…)」と呟き、帰る支度に取り掛かります。
ベッドで座っている日本人の男が、ラックの様子を見て、「あれ、ラック、何処へいくの?俺の飛行機、夜の便」、「次は3ヶ月後になるのに」と不服そうに言います。
すると、ラックは、「私も寂しいの。だから仕事に行くの」と答えます。
男は、「なんで?お金を払うのは愛しているから。あといくら払えばいいの?言ってよ」と懇願します。
次の場面では、ラックは、三輪バイクのタクシー(注3)に乗って携帯を耳にしています。
運転手が「シーロムのどこ?」と尋ねると、ラックは「タニヤ」と答えます。
引き続きラックは、携帯でヒモのビン(伊藤仁)に、「あの人要らない。終わりにした」、「愛してないの。モーッ気持ち悪い」、「だからお金貰わないで帰ってきた」、「今着くから待って」と言います。
タニヤ通りでタクシーが停まってラックが降りると、ビンが近寄ってきて、「もったいないな。電話1本入れとけばいいのに」と言うと、ラックは「あの人、もう要らない。モット若い人、連れてきて」と返事をしながら、ホステスクラブ「人魚」の中に入っていきます。
クラブに入ると、ガラス越しに見えるライトの当たったヒナ壇に、若い女たちが何人も座っています。
ラックは控室に。
同僚のナットが「今日も“シャチョウシュッキン(社長出勤)”ね」と言うと、ラックは「“セッタイ(接待)”よ」と応じます。
さらにナットが「野村さんが、ラックを社長に紹介したいと言ってる」と言うと、ラックは、「野村さんの社長と言ったら、ラーメン屋の社長ということ?」、「あのラーメン屋、いつもガラガラじゃないの」と応じ、さらに別の女の子・リンが「吉田のおじいちゃんが来る」と言ったのに対し、「吉田のジジイ、気持ち悪い」、「いつも乳首舐めるの」と答えます。
こんなところが本作のごく始めの方ですが、さあ、これからどんな物語が始まるのでしょうか、………?
本作では、バンコク一の日本人歓楽街にある人気店のNo.1ホステスと元自衛官の日本人が、5年前に恋愛関係にありながら別れ、今また再会して、……と、いう物語を中心にして、タイ在住の日本人やタイ人ホステスなどの生態とか、タイ東北部地方の暮らしぶりといったものが濃密に描かれます。3時間の長尺ながら、たくさんのエピソードが盛り込まれているために、それこそアッという間に見終わってしまった感じです。
(2)前に見た2011年の『サウダーヂ』も3時間弱の長尺で、主に富田監督の出身地である甲府市を中心に描かれていました。
ただ、同作の主人公・セイジ(注4)の同僚となる保坂(伊藤仁)が「俺、タイに住んでいた」と語ったり、セイジが入れあげていたホステス・ミャオの生まれ故郷がタイだったりしますから、本作と同作とは一応の関連性が見られます。
ですが、見ておりませんが、むしろ、2012年の『バビロン2 THE OZAWA』(本作の脚本に参加した相澤虎之助が監督)の方が関連しているように思えます。なにしろ同作では、本作と同じように、富田監督が演じる主人公の「オザワ」がインドネシアを彷徨う姿が描かれているとのことですから(注5)。
あるいは、これも見てはおりませんが、2013年のオムニバス映画『同じ星の下、それぞれの夜』の中の『チェンライの娘』(富田克也が監督)も関連性があるようです〔補注〕。
公式サイトの「Story」によれば、同作は、日本人の主人公(川瀬陽太;本作でも、バンコクの何でも屋・金城役に扮しています)がタイで知り合った女の子2人と一緒に、北の街チェンライ(注6)を目指して旅をするという作品のようです。
本作のラックも、バンコクでふらふらしている元自衛官のオザワ(富田克也)と5年ぶりに再会し、よりを戻したあと、オザワが、富岡(注7;村田進二)の依頼で不動産調査をするためにラオスに行くことになったのを聞くと、オザワと連れ立って、故郷のイサーン(注8)に行くことにします。
ラックは、イサーンの中でもラオスに接するノンカーイ(注9)の出身ですから、ラオスに入りたいオザワとしても、一緒に行くことに何の問題もありません。
『チェンライの娘』におけるチェンライと本作のノンカーイとでは、方向がだいぶ異なるとはいえ、タイを舞台にしたロードムービーが映し出される点では類似しているでしょう。
そして、ラックたちがノンカーイに到着すると、案の定、大勢の親族が出てきて、複雑な人間関係(注10)が次第に明らかになってきます。
それでも、喧騒のバンコクしか知らないオザワには、ノンカーイが「楽園」と思えたのでしょうか、ラックに「ここに住みたい。もう、バンコク、嫌になったし」と言います。
でも、身内の問題を抱えるラックは、違うこと(注11)を言います(注12)。
そうこうしているうちに、オザワは、富岡の要請に従ってラオスに入りますが、本作で映し出される同地の光景(注13)には、これまで全く目にしたことがなかったものですから、驚きました。
一つは、丘のようななだらかなところに見える幾つもの大きなクレーター。
ベトナム戦争時の米軍の空爆(ホーチミン・ルートに対する)によるものだそうです。これが空中から撮影されると、まるで月面のような感じがします。
もう一つは、カルスト地形特有の険しい山容。
なんだか、中国の桂林を小型化したような特異な風景だなと思ってしまいました。
オザワはこんな場所で、謎の集団JRP(注14)と遭遇します。
さらに、本作で特徴的だと思える点の一つは、登場人物がイサーン語を話した時には、それを日本語に訳した字幕で「甲州弁」が使われていることです(注15)。
これは、劇場用パンフレットに、「イサーン住民の多くはラーオ語(ラオス語)に非常に近い言葉(イサーン語とも呼ばれる)を母語とし」ている、と記載されている点を反映しているのでしょう。中央部とは異なる独自の文化を持つとされるイサーンを描くのに、なかなか巧妙な手段を使ったものだと感心しました。
合わせて、それだけでなく、もしかしたらここから、東京と山梨県などの近隣県、あるいは東北地方との関係を、バンコクとイサーンとの関係の中に見出せるかもしれません。
なお、ラストに近いところで、オザワは年いったアメリカ人から45口径の拳銃コルト・ガバメントを購入します。
これは、本作の流れからするとあまりに唐突なので、どのように解釈すればいいのか難しいところです(注16)。
ただ、このブログ記事が、『バビロン2 THE OZAWA』に関する記事の中で、「ここでもオザワは相変わらず古神の話には興味を持てなかったが、たまたま手にした銃によって彼もまた無意識の内に革命の可能性に巻き込まれてゆく」と述べている点が、あるいは参考になるかもしれません。
すなわち、ラストになると、オザワはラックと別れて、タニヤの街でガイドの仕事をしているところ、そういう境遇にありながらも、以前のような「沈没組」の一員だった頃とは違った心持ちであることを忘れないために、そして、何かがあったらそれを持って立ち上がるために(注17)、拳銃を保持しようとしたのではないでしょうか?
本作は、『サウダーヂ』と同様に、実に興味深いエピソードが次から次へと描き出されるために、ここではそのうちのごくわずかの点しか触れることができませんでした(注18)。
ぜひ皆様も、映画館に行かれて、本作をご覧になることをお薦めいたします。
(3)中条省平氏は、「本年初頭を飾る日本映画の傑作。いや、日本という枠を易々と越えるスケールの大きさがすばらしい。しかも、フットワークは信じられないほど軽快だ。映画をDVD化しない創作集団・空族の作品なので、ぜひ映画館で、お見逃しなく」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
荻野洋一氏は、「『バンコクナイツ』には、味わったことのないような香辛料が混入していて、私たち観客を未知の体験へと連れて行ってしまう」「これは世界の現代映画において最先端を走っている作品である」「今回の3時間2分におよぶ新作『バンコクナイツ』ではさらに表現の幅と深みが増して、すでに古典のような風格さえただよわせる」などと述べています。
毎日新聞の鈴木隆氏は、「徹底したリサーチに基づいた説得力のあるリアルな映像が、見たことのないタイを通して、日本や日本人に突き刺さってくる」と述べています。
山根貞男氏は、「中身が動いてゆく映画であり、どの部分が中心とは決めがたい。すべてに力点があり、それらの連なった不定形な動体が、強烈な映画的エネルギーを放つ」と述べています。
(注1)監督は、『サウダーヂ』の富田克也。
脚本は、監督の富田克也と相澤虎之助。
(富田克也と相澤虎之助は、映像制作集団「空族」の族員です)
なお、ビンを演じている伊藤仁は『サウダーヂ』などに、川瀬陽太も『シン・ゴジラ』などに出演しています。
(注2)チャオプラヤー川(従前は、日本などで誤って「メナム川」と言われていました)。
(注3)現地では「トゥクトゥク」と呼ばれるようです。
(注4)セイジを演じた鷹野毅は、本作では、ケーンという民族楽器を吹く謎の男として、短時間ながら登場します。
(注5)本作に登場する古神に扮している田我流も、『バビロン2 THE OZAWA』で古神として登場するようです(なお、田我流は、『サンダーヂ』ではアマノ役として登場します)。
(注6)タイ北部のチェンマイからバスで約3時間でチェンライに行くことができます(この記事)。
なお、チェンマイから東の方角に3時間ほど行くと、映画『すれ違いのダイアリーズ』で映し出された水上学校のあるダム湖に行けるようです(この記事)。
(注7)富岡は、自衛隊にいた時に、オザワの上司だった男。現在は、バンコクでカラオケクラブを経営。東南アジア各国の不動産状況を調べ上げた上で、日本人向けの「現地妻付き介護老人ホーム」を作るプロジェクトを構想しています。
(注8)イサーンは、タイの東北部地方であり、劇場用パンフレットに記載されているところによれば、「イサーン住民の多くはラーオ語(ラオス語)に非常に近い言葉(イサーン語とも呼ばれる)を母語とし、中央部とは異なる独自の文化を持」っており、「タイでも最も貧困な地区とされてきたがゆえ、娼婦やタクシー運転手などバンコクの労働力の最大の供給源になっている」とのこと。
(注9)ノンカーイは、劇場用パンフレットに記載されているところによれば、「メコン川でラオスと国境を隔てる川岸に広がる街」であり、Wikipediaによれば、ラオスの首都ビエンチャンまで25kmのところにあるとのこと。
(注10)ラックは、実の母・ポーンとは疎遠にしていて、祖母を指して「これ、私のおかあさん」と言います。ポーンは、最初の夫に逃げられ、元アメリカ兵を2番目の夫にしますが、死別します。
そのアメリカ人の夫との間にできた弟妹が、ジミーとイン(ジミーは、軍隊に入りたいのですが、家族らは出家した方がいいと忠告します)。ラックは、ジミーとインを引き取ることを考えています。それだけでなく、ポーンは覚醒剤中毒で、そのお金をラックにしつこくせびってきます。
(注11)ラックは、「バンコクに戻って金を稼いで、そこに家を建てて、ジミーやイン、そしてあなたと一緒に住むの」と言います。
(注12)ラックは、一旦は再度バンコクに出るものの、最後はノンカーイに戻って、幼馴染の妹・アップルの赤ん坊を引き取って育てています。
他方、オザワは、ラオスからノンカーイに戻ったあと、やっぱりバンコクに出ます。ラオスに入る前のオザワの思いと、ラストの状況とは反対方向になってしまった感じです。
(注13)場所は、ラオスの首都ビエンチャンとその北方のバンビエンとの間ではないかと思われます。
(注14)日本人の古神(田我流)とかヤングジー(Young-G)フィリピンのヒッピホップグループ・Tond Tribeや、地元のモンキーモンクなどから構成される謎の集団。
(注15)バンコクで普通に使われるタイ語については、日本語の標準語の字幕が出ます。
なお、本作では、ラックは、日本人に対して日本語で話しますが、ホステスクラブ「人魚」の同僚とはタイ語で話し、ノンカーイに戻るとイサーン語で話します。
また、ノンカーイのパブにたむろするフランス人は、英語やフランス語で喋ります。
(注16)例えば、このブロク記事では、「あの拳銃、ラックの母を〜と思ったのか、それともラックを〜と思ったのか、はたまた自殺に?だったのか。その後タニヤでボーイの仕事に就いていたので使ってはいなかったようですが、それなら何の為に・・・??という疑問が拭えません」とされています。
また、こちらのブログ記事では、「(銃は)ある種タイのシンボルといっても過言ではない」、「銃を買うことで「タイで腰を据える日本人」になろうとしたのではないだろうか」、「「銃」を使ってどうこうではなく、ラストのシーンは「銃」にオザワの決意を象徴させたといえる」と述べられています。
(注17)あるいは、オザワは、間違っている世の中をひっくり返そうとする思いを胸に秘めているのでしょう。そうした思いを抱くようになったのは、ラオスに行って、「桃源郷」とされる場所の実態を見たからではないかと思われます。
劇場用パンフレットによれば、ノンカーイは「アメリカの調査では、「老後を過ごしたい場所」の世界第7位にランクインする“ユートピアでもある”」とのことですし、バンビエンも「バックパッカーたちの間で最後の聖地と言われるようになった」とのことで、いっときは「桃源郷」とも目されていました。でも実態は、そんなところからは程遠いものがあるようです。
上記「注14」に記したJRPの一人である古神が、出身地とされる山梨県一宮町について、「今まではももの街だったが、しばらくしたら昔みたいにジャングルになるかも」と言うと、同じ出身のヤングジーが「そのジャングルから反逆の狼煙を上げる」と応じます。
あるいは、JRPが武器を持ってジャングルで立ち上がったら、オザワも拳銃を引っさげてその反逆の戦いに参加するつもりでいるのかもしれません〔最初にJRPがオザワと接触したのは、「銃」が欲しかったからのように思われます(若者がオザワに、「Do you have a gun?」と尋ねます)。無論、その時は、オザワは銃を所持しておりませんでしたが〕。
(注18)例えば、上記「注12」のアップルはHIVに感染しています。
また、ラストの方でラックは「私、HIVに感染してた」などと嘘をオザワに言ったりします。
本作は全体として、ラックとオザワの悲恋物語とも見ることができると思いますが、ラックは、そう言うことによって、オザワを自分の身内や友人の問題に引き入れないように、無理やりオザワから自分の身を引き離したようにも思われます。
なお、この会話があったビーチでラックは海に流されてしまいますが(気付いたオザワが海岸に引き上げます)、クマネズミは宇多田ヒカルの「人魚」の中の「水面に映る花火を 追いかけて 沖へ向かう人魚を見たの」を思い出しました。
さらに、イサーンに行ったオザワは、チット・プーミサックという殺されたタイの詩人の亡霊に2度ばかり遭遇します(以前見たことがある『ブンミおじさんの森』でも、最初の方で森のなかに幽霊のようなものが出現しますが、その場所はイサーンの森とのこと)。
〔補注〕
『チェンライの娘』は、それが収められている『同じ星の下、それぞれの夜』がDVD化されているため、空族の作品の中では唯一DVDで見ることができます。
それで、早速、TSUTAYAでDVDを借りてきて見てみました。
この作品は、ビンさんとされる日本人(川瀬陽太)が、メイとフォンのタイ人女性と連れ立って、バンコクからチェンマイを通ってチェンライに行くお話。メイは、ビンが金持ちの役者に見えたことから、道中で金をせしめようとします(ですが、ビンはすかんぴんであることがわかってしまいます)。またフォンは、日本人を連れて行くとチェンマイの家族に連絡したものの、その日本人が黙って帰国してしまい、困っていたところにビン現れたので、彼を身代わりに連れて行こうとします。当初はバスを使っていたものの、チェンマイからはヒッチハイク、それも途中で見捨てられたために、残り100km程を徒歩で行く羽目となります。
本作は、ロードムービーに違いはありませんが、実際に映し出されるのは、厳しすぎる旅。でも、ビンさんの人柄の良さが溢れ出てていて、ピーンと張りつめた感じのする『バンコクナイツ』とは違った、実に陽気で面白い作品に仕上がっています。
★★★★★☆
(1)本作は、素晴らしかった『サウダーヂ』(2011年)の富田克也監督が制作した作品と耳にして、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭の舞台はタイのバンコク。時間は夜。
本作の主人公のラック(Subenja Pongkon)の顔が、ホテルの部屋の窓ガラスに映っています。
彼女は、近くを流れる大きな川(注2)を窓から見下ろしながら、「バンコク、ウザイ…(Bangkok shit…)」と呟き、帰る支度に取り掛かります。
ベッドで座っている日本人の男が、ラックの様子を見て、「あれ、ラック、何処へいくの?俺の飛行機、夜の便」、「次は3ヶ月後になるのに」と不服そうに言います。
すると、ラックは、「私も寂しいの。だから仕事に行くの」と答えます。
男は、「なんで?お金を払うのは愛しているから。あといくら払えばいいの?言ってよ」と懇願します。
次の場面では、ラックは、三輪バイクのタクシー(注3)に乗って携帯を耳にしています。
運転手が「シーロムのどこ?」と尋ねると、ラックは「タニヤ」と答えます。
引き続きラックは、携帯でヒモのビン(伊藤仁)に、「あの人要らない。終わりにした」、「愛してないの。モーッ気持ち悪い」、「だからお金貰わないで帰ってきた」、「今着くから待って」と言います。
タニヤ通りでタクシーが停まってラックが降りると、ビンが近寄ってきて、「もったいないな。電話1本入れとけばいいのに」と言うと、ラックは「あの人、もう要らない。モット若い人、連れてきて」と返事をしながら、ホステスクラブ「人魚」の中に入っていきます。
クラブに入ると、ガラス越しに見えるライトの当たったヒナ壇に、若い女たちが何人も座っています。
ラックは控室に。
同僚のナットが「今日も“シャチョウシュッキン(社長出勤)”ね」と言うと、ラックは「“セッタイ(接待)”よ」と応じます。
さらにナットが「野村さんが、ラックを社長に紹介したいと言ってる」と言うと、ラックは、「野村さんの社長と言ったら、ラーメン屋の社長ということ?」、「あのラーメン屋、いつもガラガラじゃないの」と応じ、さらに別の女の子・リンが「吉田のおじいちゃんが来る」と言ったのに対し、「吉田のジジイ、気持ち悪い」、「いつも乳首舐めるの」と答えます。
こんなところが本作のごく始めの方ですが、さあ、これからどんな物語が始まるのでしょうか、………?
本作では、バンコク一の日本人歓楽街にある人気店のNo.1ホステスと元自衛官の日本人が、5年前に恋愛関係にありながら別れ、今また再会して、……と、いう物語を中心にして、タイ在住の日本人やタイ人ホステスなどの生態とか、タイ東北部地方の暮らしぶりといったものが濃密に描かれます。3時間の長尺ながら、たくさんのエピソードが盛り込まれているために、それこそアッという間に見終わってしまった感じです。
(2)前に見た2011年の『サウダーヂ』も3時間弱の長尺で、主に富田監督の出身地である甲府市を中心に描かれていました。
ただ、同作の主人公・セイジ(注4)の同僚となる保坂(伊藤仁)が「俺、タイに住んでいた」と語ったり、セイジが入れあげていたホステス・ミャオの生まれ故郷がタイだったりしますから、本作と同作とは一応の関連性が見られます。
ですが、見ておりませんが、むしろ、2012年の『バビロン2 THE OZAWA』(本作の脚本に参加した相澤虎之助が監督)の方が関連しているように思えます。なにしろ同作では、本作と同じように、富田監督が演じる主人公の「オザワ」がインドネシアを彷徨う姿が描かれているとのことですから(注5)。
あるいは、これも見てはおりませんが、2013年のオムニバス映画『同じ星の下、それぞれの夜』の中の『チェンライの娘』(富田克也が監督)も関連性があるようです〔補注〕。
公式サイトの「Story」によれば、同作は、日本人の主人公(川瀬陽太;本作でも、バンコクの何でも屋・金城役に扮しています)がタイで知り合った女の子2人と一緒に、北の街チェンライ(注6)を目指して旅をするという作品のようです。
本作のラックも、バンコクでふらふらしている元自衛官のオザワ(富田克也)と5年ぶりに再会し、よりを戻したあと、オザワが、富岡(注7;村田進二)の依頼で不動産調査をするためにラオスに行くことになったのを聞くと、オザワと連れ立って、故郷のイサーン(注8)に行くことにします。
ラックは、イサーンの中でもラオスに接するノンカーイ(注9)の出身ですから、ラオスに入りたいオザワとしても、一緒に行くことに何の問題もありません。
『チェンライの娘』におけるチェンライと本作のノンカーイとでは、方向がだいぶ異なるとはいえ、タイを舞台にしたロードムービーが映し出される点では類似しているでしょう。
そして、ラックたちがノンカーイに到着すると、案の定、大勢の親族が出てきて、複雑な人間関係(注10)が次第に明らかになってきます。
それでも、喧騒のバンコクしか知らないオザワには、ノンカーイが「楽園」と思えたのでしょうか、ラックに「ここに住みたい。もう、バンコク、嫌になったし」と言います。
でも、身内の問題を抱えるラックは、違うこと(注11)を言います(注12)。
そうこうしているうちに、オザワは、富岡の要請に従ってラオスに入りますが、本作で映し出される同地の光景(注13)には、これまで全く目にしたことがなかったものですから、驚きました。
一つは、丘のようななだらかなところに見える幾つもの大きなクレーター。
ベトナム戦争時の米軍の空爆(ホーチミン・ルートに対する)によるものだそうです。これが空中から撮影されると、まるで月面のような感じがします。
もう一つは、カルスト地形特有の険しい山容。
なんだか、中国の桂林を小型化したような特異な風景だなと思ってしまいました。
オザワはこんな場所で、謎の集団JRP(注14)と遭遇します。
さらに、本作で特徴的だと思える点の一つは、登場人物がイサーン語を話した時には、それを日本語に訳した字幕で「甲州弁」が使われていることです(注15)。
これは、劇場用パンフレットに、「イサーン住民の多くはラーオ語(ラオス語)に非常に近い言葉(イサーン語とも呼ばれる)を母語とし」ている、と記載されている点を反映しているのでしょう。中央部とは異なる独自の文化を持つとされるイサーンを描くのに、なかなか巧妙な手段を使ったものだと感心しました。
合わせて、それだけでなく、もしかしたらここから、東京と山梨県などの近隣県、あるいは東北地方との関係を、バンコクとイサーンとの関係の中に見出せるかもしれません。
なお、ラストに近いところで、オザワは年いったアメリカ人から45口径の拳銃コルト・ガバメントを購入します。
これは、本作の流れからするとあまりに唐突なので、どのように解釈すればいいのか難しいところです(注16)。
ただ、このブログ記事が、『バビロン2 THE OZAWA』に関する記事の中で、「ここでもオザワは相変わらず古神の話には興味を持てなかったが、たまたま手にした銃によって彼もまた無意識の内に革命の可能性に巻き込まれてゆく」と述べている点が、あるいは参考になるかもしれません。
すなわち、ラストになると、オザワはラックと別れて、タニヤの街でガイドの仕事をしているところ、そういう境遇にありながらも、以前のような「沈没組」の一員だった頃とは違った心持ちであることを忘れないために、そして、何かがあったらそれを持って立ち上がるために(注17)、拳銃を保持しようとしたのではないでしょうか?
本作は、『サウダーヂ』と同様に、実に興味深いエピソードが次から次へと描き出されるために、ここではそのうちのごくわずかの点しか触れることができませんでした(注18)。
ぜひ皆様も、映画館に行かれて、本作をご覧になることをお薦めいたします。
(3)中条省平氏は、「本年初頭を飾る日本映画の傑作。いや、日本という枠を易々と越えるスケールの大きさがすばらしい。しかも、フットワークは信じられないほど軽快だ。映画をDVD化しない創作集団・空族の作品なので、ぜひ映画館で、お見逃しなく」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
荻野洋一氏は、「『バンコクナイツ』には、味わったことのないような香辛料が混入していて、私たち観客を未知の体験へと連れて行ってしまう」「これは世界の現代映画において最先端を走っている作品である」「今回の3時間2分におよぶ新作『バンコクナイツ』ではさらに表現の幅と深みが増して、すでに古典のような風格さえただよわせる」などと述べています。
毎日新聞の鈴木隆氏は、「徹底したリサーチに基づいた説得力のあるリアルな映像が、見たことのないタイを通して、日本や日本人に突き刺さってくる」と述べています。
山根貞男氏は、「中身が動いてゆく映画であり、どの部分が中心とは決めがたい。すべてに力点があり、それらの連なった不定形な動体が、強烈な映画的エネルギーを放つ」と述べています。
(注1)監督は、『サウダーヂ』の富田克也。
脚本は、監督の富田克也と相澤虎之助。
(富田克也と相澤虎之助は、映像制作集団「空族」の族員です)
なお、ビンを演じている伊藤仁は『サウダーヂ』などに、川瀬陽太も『シン・ゴジラ』などに出演しています。
(注2)チャオプラヤー川(従前は、日本などで誤って「メナム川」と言われていました)。
(注3)現地では「トゥクトゥク」と呼ばれるようです。
(注4)セイジを演じた鷹野毅は、本作では、ケーンという民族楽器を吹く謎の男として、短時間ながら登場します。
(注5)本作に登場する古神に扮している田我流も、『バビロン2 THE OZAWA』で古神として登場するようです(なお、田我流は、『サンダーヂ』ではアマノ役として登場します)。
(注6)タイ北部のチェンマイからバスで約3時間でチェンライに行くことができます(この記事)。
なお、チェンマイから東の方角に3時間ほど行くと、映画『すれ違いのダイアリーズ』で映し出された水上学校のあるダム湖に行けるようです(この記事)。
(注7)富岡は、自衛隊にいた時に、オザワの上司だった男。現在は、バンコクでカラオケクラブを経営。東南アジア各国の不動産状況を調べ上げた上で、日本人向けの「現地妻付き介護老人ホーム」を作るプロジェクトを構想しています。
(注8)イサーンは、タイの東北部地方であり、劇場用パンフレットに記載されているところによれば、「イサーン住民の多くはラーオ語(ラオス語)に非常に近い言葉(イサーン語とも呼ばれる)を母語とし、中央部とは異なる独自の文化を持」っており、「タイでも最も貧困な地区とされてきたがゆえ、娼婦やタクシー運転手などバンコクの労働力の最大の供給源になっている」とのこと。
(注9)ノンカーイは、劇場用パンフレットに記載されているところによれば、「メコン川でラオスと国境を隔てる川岸に広がる街」であり、Wikipediaによれば、ラオスの首都ビエンチャンまで25kmのところにあるとのこと。
(注10)ラックは、実の母・ポーンとは疎遠にしていて、祖母を指して「これ、私のおかあさん」と言います。ポーンは、最初の夫に逃げられ、元アメリカ兵を2番目の夫にしますが、死別します。
そのアメリカ人の夫との間にできた弟妹が、ジミーとイン(ジミーは、軍隊に入りたいのですが、家族らは出家した方がいいと忠告します)。ラックは、ジミーとインを引き取ることを考えています。それだけでなく、ポーンは覚醒剤中毒で、そのお金をラックにしつこくせびってきます。
(注11)ラックは、「バンコクに戻って金を稼いで、そこに家を建てて、ジミーやイン、そしてあなたと一緒に住むの」と言います。
(注12)ラックは、一旦は再度バンコクに出るものの、最後はノンカーイに戻って、幼馴染の妹・アップルの赤ん坊を引き取って育てています。
他方、オザワは、ラオスからノンカーイに戻ったあと、やっぱりバンコクに出ます。ラオスに入る前のオザワの思いと、ラストの状況とは反対方向になってしまった感じです。
(注13)場所は、ラオスの首都ビエンチャンとその北方のバンビエンとの間ではないかと思われます。
(注14)日本人の古神(田我流)とかヤングジー(Young-G)フィリピンのヒッピホップグループ・Tond Tribeや、地元のモンキーモンクなどから構成される謎の集団。
(注15)バンコクで普通に使われるタイ語については、日本語の標準語の字幕が出ます。
なお、本作では、ラックは、日本人に対して日本語で話しますが、ホステスクラブ「人魚」の同僚とはタイ語で話し、ノンカーイに戻るとイサーン語で話します。
また、ノンカーイのパブにたむろするフランス人は、英語やフランス語で喋ります。
(注16)例えば、このブロク記事では、「あの拳銃、ラックの母を〜と思ったのか、それともラックを〜と思ったのか、はたまた自殺に?だったのか。その後タニヤでボーイの仕事に就いていたので使ってはいなかったようですが、それなら何の為に・・・??という疑問が拭えません」とされています。
また、こちらのブログ記事では、「(銃は)ある種タイのシンボルといっても過言ではない」、「銃を買うことで「タイで腰を据える日本人」になろうとしたのではないだろうか」、「「銃」を使ってどうこうではなく、ラストのシーンは「銃」にオザワの決意を象徴させたといえる」と述べられています。
(注17)あるいは、オザワは、間違っている世の中をひっくり返そうとする思いを胸に秘めているのでしょう。そうした思いを抱くようになったのは、ラオスに行って、「桃源郷」とされる場所の実態を見たからではないかと思われます。
劇場用パンフレットによれば、ノンカーイは「アメリカの調査では、「老後を過ごしたい場所」の世界第7位にランクインする“ユートピアでもある”」とのことですし、バンビエンも「バックパッカーたちの間で最後の聖地と言われるようになった」とのことで、いっときは「桃源郷」とも目されていました。でも実態は、そんなところからは程遠いものがあるようです。
上記「注14」に記したJRPの一人である古神が、出身地とされる山梨県一宮町について、「今まではももの街だったが、しばらくしたら昔みたいにジャングルになるかも」と言うと、同じ出身のヤングジーが「そのジャングルから反逆の狼煙を上げる」と応じます。
あるいは、JRPが武器を持ってジャングルで立ち上がったら、オザワも拳銃を引っさげてその反逆の戦いに参加するつもりでいるのかもしれません〔最初にJRPがオザワと接触したのは、「銃」が欲しかったからのように思われます(若者がオザワに、「Do you have a gun?」と尋ねます)。無論、その時は、オザワは銃を所持しておりませんでしたが〕。
(注18)例えば、上記「注12」のアップルはHIVに感染しています。
また、ラストの方でラックは「私、HIVに感染してた」などと嘘をオザワに言ったりします。
本作は全体として、ラックとオザワの悲恋物語とも見ることができると思いますが、ラックは、そう言うことによって、オザワを自分の身内や友人の問題に引き入れないように、無理やりオザワから自分の身を引き離したようにも思われます。
なお、この会話があったビーチでラックは海に流されてしまいますが(気付いたオザワが海岸に引き上げます)、クマネズミは宇多田ヒカルの「人魚」の中の「水面に映る花火を 追いかけて 沖へ向かう人魚を見たの」を思い出しました。
さらに、イサーンに行ったオザワは、チット・プーミサックという殺されたタイの詩人の亡霊に2度ばかり遭遇します(以前見たことがある『ブンミおじさんの森』でも、最初の方で森のなかに幽霊のようなものが出現しますが、その場所はイサーンの森とのこと)。
〔補注〕
『チェンライの娘』は、それが収められている『同じ星の下、それぞれの夜』がDVD化されているため、空族の作品の中では唯一DVDで見ることができます。
それで、早速、TSUTAYAでDVDを借りてきて見てみました。
この作品は、ビンさんとされる日本人(川瀬陽太)が、メイとフォンのタイ人女性と連れ立って、バンコクからチェンマイを通ってチェンライに行くお話。メイは、ビンが金持ちの役者に見えたことから、道中で金をせしめようとします(ですが、ビンはすかんぴんであることがわかってしまいます)。またフォンは、日本人を連れて行くとチェンマイの家族に連絡したものの、その日本人が黙って帰国してしまい、困っていたところにビン現れたので、彼を身代わりに連れて行こうとします。当初はバスを使っていたものの、チェンマイからはヒッチハイク、それも途中で見捨てられたために、残り100km程を徒歩で行く羽目となります。
本作は、ロードムービーに違いはありませんが、実際に映し出されるのは、厳しすぎる旅。でも、ビンさんの人柄の良さが溢れ出てていて、ピーンと張りつめた感じのする『バンコクナイツ』とは違った、実に陽気で面白い作品に仕上がっています。
★★★★★☆