映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

(500)日のサマー

2010年01月31日 | 洋画(10年)
『(500)日のサマー』を渋谷のシネクイントで見ました。

予告編で見たときは、“夏”の500日とは変だな、なぜタイトルに括弧書きがあるのだろう、と気にはなりましたが、どうせたわいのないラブストーリーに違いないと思えてパスしようかと考えていたところ、決して一筋縄ではいかない映画との評判も聞こえてきて、それならばと見に行ってきたわけです。

実際に見てみると、専ら男の子の側から見た失恋物語といえ、それが様々の音楽と絡み合いながら、さらには時間の前後が何度も入れ替わって描かれているという、ちょっと変わった映画でした。

当初、トムがヘッドフォンで「ザ・スミス」を聞いていると、センスがいいと思ったのでしょう、サマーの方から近づいてきます。トムも、サマーがキュートで可愛いと思い、これは恋愛関係にまで発展すると積極的になっていきます(そのクライマックスでは、楽しいダンスシーンが展開されます!)。
ところが、サマーが、ビートルズで好きなのがリンゴ・スターだと言い張るところから意見の対立を生じ、結局は、サマーは、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を読んでいるときに近づいてきた男性と結婚してしまいます(その男性に大人の愛を感じたのでしょうか)。

初めの方の話からすると、サマーは、恋愛関係に入って縛られたくない、もっと自由でいたいと言っていたり、かつまた正統からはずれる「ザ・スミス」やリンゴ・スターを愛好するといった女性なので、世の中より先を進む個性的な女性なのではと思いました。
例えば、サマーに何度もしつこく言い寄ってくる男性を殴って排除しようとしたとき(逆に殴り返されてしまいますが)、トムは、サマーによく評価されるに違いないと思っていたところ、逆に、そんなことはしてほしくないとスゲなく言われてしまいます。これは、自分にあまり深く介入しないでほしい、自分を自由にしておいてほしい、というサマーの姿勢の表れではないか、と思いました。

そういう自立心の強い女性というのであれば、それはそれで理解可能です。ところがラストになると、サマーは、オスカー・ワイルドの小説を読んだり、きっちりと結婚したりと、正統派の女性でもあることが分かり、なかなか捉えどころがありません。

これでは、人の良いトム(幼い妹から恋愛指南を受けるほど未熟!)が振り回されるのも当然です。ですから、微温的なグリーティングカード会社を、厳しい言葉を言い放って辞め、元からの望み通りに建築家としてやっていこうと意欲的になってはじめて、別の女性(オータム)と大人の恋愛関係を持てるようになる、というストーリーも十分に頷けます。

問題は、こういったストーリーが、映画では一直線に進行せずに、絶えず時間の前後を入れ替えながら描き出されていることでしょう。
一般に男女の出会いから別れに至る時間的な経過は、最初の頃の浮き浮きした気持ちが持続している期間、次いで様々の疑問が生じてきて二人の関係がぎくしゃくしだす期間、そして最後の方の次第に疎遠になっていく期間、と大まかに3つに分けられるでしょうが、この映画では、それらの期間相互で場面は何度も行ったり来たりします。
ただ、各場面の初めに「○日目」と表示が出るので、どの期間に該当するのかおおよその見当が付き、そこではじまるエピソードがどんな風に展開するのかは、大体予想できるようになります。
ですから、見ている方は、その時間の前後が何度も入れ替わることに、とくだんの煩さを感じません。逆に、このお話が一直線に時間が進行してしまったら、単なる失恋物語にしかならないでしょう。こうした手法をとることで、事態はギクシャクとしか進行せず、あるいは別の方向性もあったのでは、などといった面も見えてきます。

とまれ、もう少し音楽的要素を強めたらミュージカル映画になるでしょうし、あるいは、もう少し主人公の意識の中身を強調したら、プルースト張りの“意識の流れ”を描く映画にもなったでしょうか。ですが、この作品はそうした方向には進まずに、それらの中間辺りに踏みとどまって、エンターテインメント作品としてうまくまとめあげている、といった感じです。

映画評論家の評価もまずまずのようです。
小梶勝男氏は、「500日間に渡って、ほとんどトムとサマーの恋愛だけが描かれる。それだけの話なのだが、実に新鮮で、切ない物語になっている」として84点もの高得点を、
渡まち子氏は、監督にとって「長編映画デビューだが、軽やかな演出に非凡なセンスを感じる。しかもライト・タッチなのに、中身は意外に骨太だったりするのだ」として75点を、
それぞれ与えています。
ただ、福本次郎氏は、「運命の出会いを信じる男と出会いは偶然と割り切る女のかみ合わない交際を通じて、傷つくことを恐れる現代の若者の胸の内をリアルに再現する」としながらも、「一方でなぜ時制をランダムに並べるようなややこしい編集をしたのか。各々のエピソードが後の伏線になっていたり因果関係で結ばれているわけでもなく、ただ混乱するだけだった」として50点しか与えていません。
しかしながら、あの映画で「混乱」してしまうのは福本氏だけではないでしょうか?


★★★☆☆

象のロケット:(500日)のサマー

誰がため

2010年01月30日 | 洋画(10年)
 『誰がため』を渋谷のシネマライズで見てきました。

 予告編で見てこれはいい映画に違いないと思い、またこれまで見たことがないデンマーク映画でもあるので、見に行ったところです。
 ヨーロッパの映画と言えば、日本では従来、イギリス映画、フランス映画、イタリア映画といったところが中心でしたが、このところ、ベルギー映画とか、前々回取り上げたハンガリー映画なども日本でも見ることができるようになりました。といっても、ポツンポツンと単発的に紹介されるだけでは、その国の映画がどのような傾向にあるのかまで知ることは難しいのですが。

 さて、この映画は、ナチスの占領下におかれたデンマークにおけるレジスタンス運動の様子を垣間見させてくれます。ただ、占領下におかれたといっても、政府は引き続き内政を執り行います(終戦間際には、そうした自治権も剥奪されてしまいますが)。
 この場合、ナチスと妥協することで存続が認められているわけですから、政府側としても極端な反ナチ行動は容認できないところです。そのため、国内のレジスタンス運動は、奇妙な歪みを見せることになってしまいます。

 この映画の主人公たち(フラメンとシトロン)は、当初ナチスに協力するデンマーク人の暗殺を連続的に行いますが、さまざまな経緯からその標的をナチスの幹部そのものに向けようとすると、それを阻止しようと各方面から圧力がかかってきて、結局は自分たちに悲劇を招いてしまいます。

 こうした微妙なストーリーのため、最初から最後まで観客はハラハラのし通しで(その身に莫大な懸賞金がかかっていて危険であるにもかかわらず、二人は町中に出ていかなければ暗殺の目的を達成できません)、一瞬たりとも気が休まりません。久しぶりで緊張感の高い時間を過ごさせてもらったな、という感じになりました。
 むろん、映画によって楽しい気分にしてもらい気分転換を図ることも一方では重要でしょうが、他方で、こうした緊張感を味わうというのも、また映画の効用と言えるかもしれません(こうした実話に基づく真面目な映画に対して、そのようなことを言うのは不謹慎の誹りを免れませんが)。

 また、内容的には、デンマークの置かれた地理的な条件もあって、極端な反ナチ行動をとる人々からナチス容認派までの間に様々の中間的な人たちがいて、その人たちの政治的な力が強かったようです。その結果、その人々の指令を受けて行動せざるを得ない純粋な若者は、様々の疑念に苛まれ、一層極端な行動に走ることになってしまいます。
 この映画は、そういう政治的な側面に加えて、さらに、主人公のフラメンとケティという年上の魅力的な女性との恋愛関係をも絡ませ、話をより重厚なものとしています(シトロンは、フラメンより10歳年上で妻帯者。こちらの悲劇も映画では描かれています)。

 なお、フラメンとシトロンの二人は、デンマークでは英雄とされているところ、時と所を離れてみると、暗殺という手法が適切だったのか、疑問なしとしないところです。むろん、戦争中の話であって、生きるか死ぬかの瀬戸際だったから、彼らの行動は当然だ、と言う見方もあるでしょう。ですが、いくら相手が強大だとはいえ、暗殺という手法はテロ以外の何ものでもなく、やはり報復としてのテロを招いてしまい、相互の犠牲者を増やすだけの結果になってしまうのではないか、と思えてしまいます〔こういったことを言えるのも、ぬるま湯的な日本にいるからこそなのかもしれませんが!〕。

 評論家たちの評論も、大体のところ同じ観点に基づいているようです。
 渡まち子氏は、「レジスタンスとして国のためにつくす人間が内と外から壊れていく心理ドラマのよう」であり、「フラメン役のトゥーレ・リントハートと、シトロン役のマッツ・ミケルセン。国際的に活躍する二人の、切実な演技が、物語に説得力を与えている」などとして65点を、
 福本次郎氏は、フラメンとシトロエンを、「迷い、焦り、苦しみ、後悔し、弱音を吐き、忠誠を誓った組織に失望する、普通の人間としてとらえる。そうした感情と、容赦なく殺人を繰り返していく場面の落差が、一般市民ですら戦闘マシーンに変えていく戦争の恐ろしさを実感させてくれる」として70点を、
 山口拓朗氏も、「大局的な戦況描写をほとんど用いることなく、映画は、暗殺の任務を黙々と遂行するふたりのレジスタンス戦士、フラメンとシトロエンの過酷な運命を描く。ただし、彼らを英雄視するスタンスの作品ではない」などとして70点を、
それぞれ与えています。

★★★★☆

象のロケット:誰がため

「NO MAN’S LAND」展

2010年01月28日 | 美術(10年)
 広尾の在日フランス大使館では、昨年末、旧庁舎と同じ敷地内に新庁舎が完成し、それに伴い旧庁舎は取り壊されるところ、解体前に「NO MAN’S LAND 創造と破壊」展と銘打った展覧会が開催されています。普段は一般人が入ることのできない建物に対する興味もあって、チョットのぞきに行ってきました。

(1)建物について
 旧庁舎の本館は、1957年、ジョゼフ・ベルモンの設計で作られ(場所は、南麻布の徳川伯爵の所有地だったところ)、外壁を全面窓にするなどなかなかモダンな感じです。
 大使館入口のゲートから入って暫く先の正面に本館があり、本館へ行く途中の左手には別館が建っています。

①本館玄関には、ヤヤ盛り土をして半円形の車道が設けられています。玄関のある建物部分は2階建で、その奥に4階建の事務棟があります〔玄関部の屋上は緑地になっています〕。



②玄関の右脇には、奥の日本庭園などに通じる階段が付いています。



③玄関を入って進むと中庭で、その左サイドに事務棟に繋がる通路が見えます。



④本館に向かって左側には、1960年代に作られた別館があります。




(2)展覧会について
 以上の旧庁舎は取り壊され、その後には集合住宅が建設されるとのことです。解体工事が開始されるまでの2ヶ月間を使って、今回の展覧会が旧庁舎内で開催されています(2月18日まで)。
 参加しているのは日本とフランスの若いアーチストで、ジャンルも、ヴィジュアル・アートからファッション、デザイン、建築など様々です。

①この展覧会は、大使館入口の手前から始まっています。



②館内に入ると、廊下の壁もペインティングされています。



③階段も表現の場です。



④各部屋には、様々な作品が展示されています。
 
イ)上から無数のコードが垂れ下がっています。



ロ)部屋中ゴミがぶちまけられています。



ハ)単に床に小石が並べられているだけ。



ニ)部屋の壁のボールペンが突き立てられています。



 以上の写真は、私がデジカメで撮影したものに過ぎません。もっときちんとした画像をご覧になりたい方は、たとえばこのブログをご覧ください。

(3)感想
 建物は、建設されてから50年以上も経っているためでしょう、汚れがひどく相当傷んでもいます。
 そんな建物の中を、今回は、トイレに至るまで、隅から隅までのぞき見ることが出来、ある意味で画期的と言えるでしょう。
 ただ、建物のどこがどのように使われていたのか門外漢にはまったくわからないため、普通は入れない大使館の中に入ったという感激はあまり湧いてきませんでした。これが、各部屋ごとに、たとえば「大使執務室」、「大使応接室」、「会議室」、「書記官室」等々と札が下げられていて、大使館としての使用状況が部外者にもわかるようになっていれば、言うことなしなのですが。

 展覧会の方は、実にたくさんの現代アートの作品が所狭しと展示されており、かつまたそれぞれかなり力作でもあり、全体としてみればなかなか見ごたえがありました。
 とはいえ、現代作品には、総じて、ポップ・アート系のもの、インスタレーション、あるいは映像(ビデオか写真)を使ったものが多い、という一般的な傾向はここでも窺え、それがこうも数多く一度に展示されると、それぞれが本来持っていたはずのインパクトが薄れてしまうのではないか、とも思えてきました。
 いずれにしても、大部分の作品は、展覧会期間が終了すれば廃棄される運命にあって、芸術としたら実にはかない命しか持っていないのだな、と思いました。

倫敦から来た男

2010年01月26日 | 洋画(10年)
『倫敦から来た男』を渋谷のシアター・イメージフォーラムで見てきました。

ハンガリーの映画については何も知らず、また上映館がこれまで1回しか行ったことのないミニ・シアターだということもあって、なんとなく面白いかなと思って出かけてみました。

この映画館については、4年ほど前にそこで『雨の町』を見ただけで、気にはなりながらも、宮益坂を上がったところにあってチョット行きにくい感じがあるせいか、その後ご無沙汰していました。
行ってみますと、渋谷のアチコチはこの数年の間にかなり変貌しているものの、この映画館の周辺は4年前と殆ど何も変わっていないので、返って驚きました(一応は青山通りのスグソバなのですが)。

さて、映画の方ですが、原作はフランス人のシムノンの小説で、それをハンガリーのタル・ベーラ監督が脚本にも携わりながら映画化したものです。
舞台は北フランス、港湾近くを走る鉄道の制御室(港湾や鉄道の動きを監視できるように高所に設置されています)で夜間一人で働く鉄道員マロワンが、殺人事件を遠くから目撃します。その際に海に落ちて行方が分からなくなった鞄を、犯人が立ち去った後にマアロンは密かに探し出します。鞄を持ち帰って開けてみると、その中には多額の現金が、……。

ストーリーは特段込み入っているわけでもなく、またサスペンス仕立てというわけでもありません。にもかかわらず、上映時間は2時間20分もの長さなのです。
こうなるのも、一にかかって監督の映画の撮り方にあります。殆ど目覚ましい会話もなく(何しろ、主人公のマアロンが酷く無口なのですから)、メリハリのきいた展開もないままに、カメラは同じ地点から動きません。

例えば、船が映し出される冒頭の場面ですが、海面から少しずつ少しずつカメラがせり上がっていき、かなり時間が経たないと、画面一杯に映し出されるものが船の船首部分だとは分かりません。やや暫くすると、そこに二人の人物がいることが見えてきます。そのまま画面をじっと見ていると、このカメラの視点は、制御室にいるマアロンのものだということが明らかになってきます(カメラは制御室に置かれ手いて、ここまでの画面はすべてそこから撮られています)。

マアロンは、この制御室の窓から、遠くで犯される殺人を見てしまうわけです。ですが、映画はスグそこには辿り着きません。まずマアロンが椅子に腰掛けて座っている様子を、背後から映し出します。それも、冒頭の船の場面と同じように、カメラは、足下からゆっくりゆっくり頭部の方まで持ち上がっていくのです。暫くマアロンの後頭部を映した挙げ句に、ようやくマアロンが立ち上がって転轍機を操作する場面となります。そのあとで、先ほどの二人の人物の様子を窓からのぞき見る場面となり、暫くすると殺人事件が起きるという具合です。
いわゆるワンカットの長回しという手法が使われているのでしょう。

このように書くと、酷く退屈な映画ではないかと思われるかも知れません。 
ですが、ソレがこの監督の持ち味なのでしょう、モノクロのせいもあり最後まで画面には緊張感が漲っていて、全然退屈しないのです。
劇的に展開されるハリウッド流の派手派手しい映画は、ソレはソレで面白いものの、見終わった後は何も残りません。一方、こうしたある意味で単調な映画は、かえって人々の日常生活を現実以上にリアルに描き出すことで、後々までアノ作品は何だったのだろうかと、強い印象を保ち続けるのではないでしょうか?

この映画には大層感銘を受けたものの、問題がないわけではないと思われます。例えば、つまらないことですが、最後の方で、イギリスからやってくる刑事が登場して、マアロンがくすねた鞄を捜し出そうとします。その際にフランスの警察官を使うのですが、管轄が違うのにそんなことが出来るのかなと思ってしまいます(あるいは、今やEUの下で可能なのかも知れませんが)。

なお、評論家の間でも、本作品に対する評価は分かれるようです。
一方で、小梶勝男氏は、「情緒的表現を排した簡潔さをハードボイルドというなら、本作ほどハードボイルドという言葉にふさわしい作品はないだろう。その一方で、湿った空気がスク リーンから流れ出してくるような霧の描写や、光と闇が織りなすモノクロームの映像の美しさは妖しいほどに魅力的だ。傑作といっていい」として、92点もの高得点を与えています。
他方で、福本次郎氏は、「普通の監督ならば20秒くらいに収めてしまうワンカットを、この監督は延々と2~3分(かそれ以上)もかけ」、「30分もあれば語りつくせる内容を2時間20分近い長尺にされても、見ているほうは疲れる」として、50点しか与えていません。
マア、この映画は、お二人の論評の中間あたりに位置するのでは、と考えておいたらいいのでしょう。

★★★☆☆


怒る西行(Ⅵ:文学編)

2010年01月24日 | 
 沖島薫監督の映画『怒る西行』を巡る連載記事の最後として、文学関係(広義の)の事柄にも若干触れておきましょう。

イ)まず、映画の中では次のような人が取り上げられています。

①村上春樹
 沖島監督は、映画の初めの方で、評論家の内田樹氏が『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング、2007年)という著書の中に書いてあることだがとしながら、「村上春樹は、船が港に寄港するっていう、そういう風なイメージで語っている」と話し、「村上春樹さんが持っている一種の童話性っていうのかな、そういう面白さが、このコースには、ちょこちょこ、そういう感じを持たせるところがある」と言っています。



 内田氏は、その著書において、「港町」の条件には次の3つがあると述べています(P.212~)。
 ・入ろうと思えば、どこからでも入れる。
 ・つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」(ハーバーライト)がある。
 ・「故地」を離れてきた「異族」が住み着く。
 その上で内田氏は、「村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイズであ」り、「この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している」と述べます(注1)。

 たぶん、沖島監督は、玉川上水の自然に、内田氏の言うところの「港町」を如実に感じてしまうのでしょう。

②つげ義春
 沖島監督は、道からの通路が家の中に入っている家を見ながら〔「Ⅲ:写真編の2」のヌ〕、ここにはユートピア的な感じがすると言いながらつげ義春が描いた『長八の宿』という漫画に触れ、映画ではそのなかから3コマが引用されます(注2)。



 上記のカットは映画で引用されたコマではありませんが、その漫画に登場する「ジッさん」が描かれています。漫画では、「長八の宿」で下男として働く「ジッさん」が、この宿で働くことになった切っ掛けとか、この宿にかかわる三人の女性のことなどを、作者とおぼしき投宿者に話します。

 沖島監督は、「ジッさん」が「蔵の中に住んでて、それで、自分の仕事場と、自分が住んでいる場所っていうのが同じ」という点に注目し、「我々は仕事をするとき、別の場所へ出かけて行って、別の人格や人間として仕事をしてくるわけだけど、自分の身の回りですべてが行われるっていう、あの、これは一種のユートピア感の中に入るんじゃないかな」と述べます。

 沖島監督は、その漫画のラストに描かれている雄大な富士山は、とても人の手に余るとして、むしろ、玉川上水周辺の箱庭的な小さな自然の方を、隅から隅まで把握できるとしてヨリ愛しているのではないでしょうか?

③西行
 沖島監督は、映画の最初の方で〔「Ⅱ:写真編の1」のニ(兵庫橋公園)〕、次のように話しています。
 「西行なら西行、平安時代の人だけど、あの、いつだって、あの当時は当時で現代があったわけだよ、その時にそうじゃないって時間ってのが、まあ象徴的に言えば、桜であったり月であったりりする中で、それを求め続けたわけだよね」

 また、映画のラストの方で、西行法師の有名な歌「願わくは 花のもとにて 春死なむ その二月の 望月のころ」を引用しながら、次のように語ります。
 「あの、西行なんかの生涯みてるとね、まだね、時代をリセットできるんじゃないかっていうね、つまり、人間の住む以前にまだ戻すことが可能なんじゃないかって、フッと、そういう感じって、おそらく何回も持ったの、あの人は」

 こうした監督の思いは、東京の街並みを見て「ちょっと冗談としか思えないっていう街になっている」と感じ、「まあ、余計なものを作ると、簡単に言うと滅びるでしょう。だから100年も経てば、また木っ端微塵に消えちゃうと僕は思っているんだけどね」と語ることに通じているのでしょう。
 明示的には言ってませんが、放射5号線工事でいくら立派な舗装道路を造ったとしても、スグそのうちに跡形もなく消滅してしまうだろう、と監督は必ずや思っていることでしょう。

ロ)映画『怒る西行』を巡る連載記事としてはやや余談にはなるものの、玉川上水とくれば太宰治に触れないわけにはいきません。

 そういうこともあってか、私たちがこの映画を見たのは1月11日(休日)の朝の回でしたが、上映終了後には、スクリーンの前で太田治子氏のトークが15分ほど行われました。

 太田治子氏は、太宰治とその愛人の太田静子との間に生まれ、作家として活躍しているところ、昨年9月に『明るい方へ―父・太宰治と母・太田静子』(朝日新聞出版)を刊行し、娘の立場から見た両親の関係を明らかにしています(注3)。




 さて、この日のトークで印象的だったのは、次のような話です。
・父・太宰治には、大人としての責任感が欠如しているのではないか。自殺するのはやむを得なかったにせよ、飲料用に使われている玉川上水に飛び込んだら、後の始末が大変なことになると思わなかったのだろうか(注4)。



〔太宰治が入水したとされる場所は、井の頭公園からJR三鷹駅までの間にあって、その路傍に、生まれ故郷の青森県金木町産出の「玉鹿石」が置かれています〕

・特に、戦争責任という点で大いに問題があると思う。
 というのも、太宰治は、戦争に対しては、軍部に与した作家の一人であったといえ、彼が応援した戦争で300万近い人が亡くなっているのだから。
 彼は開戦から敗戦まで実家からずっと仕送りを受けていたのであり、生活のために戦争賛美の文章を書いていた人とは違うはずで、せめて戦争中は沈黙すべきだった(注5)。

 このところ、『ヴィヨンの妻』とか『パンドラの匣』など太宰治の小説を原作とする映画がいくつも制作されているところ(2月20日には『人間失格』が公開予定)、こうした太田治子氏の見解をも見据えながら鑑賞する必要もあるのではないか、と思えてきたところです。



(注1)「ジェイズ・バー」は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作に登場するバーです。
(注2)この漫画は、ちくま文庫の『つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人』に収録されています。
(注3)産経新聞「著者に聞きたい」に掲載された記事の中では、太田氏は、「私自身、太宰はすてきで好きですが、悪いことは悪いと書きました」と語っています。
(注4)玉川上水は、1965年の淀橋浄水場廃止まで、水道施設として使用されていました。なお、太宰治が入水した当時は、玉川上水の推量も随分とあり、また川岸に鉄柵もなかったようです。
(注5)ブログ「黙々と-part4」の2009年12月18日の記事を参照。
 なお、上記の太田治子氏の著書『明るい方へ』においても、例えば、「太宰自身戦時中には心の奥に苦々しさを抱えつつも軍部に味方したことを認めていた。日本の軍部が負けるとわかっていたから味方したというように弁明する太宰は、ずるいと思う」と書かれています(P.165)。

怒る西行(Ⅴ:絵画編)

2010年01月23日 | 美術(10年)
 映画『怒る西行』の中では、沖島監督の話に合わせて絵画も映し出されます。今回は、映画に挿入されている絵画の中から2点を取り上げてみましょう。

①M.ヴラマンクの「雪景色」



 映画の中では、兵庫橋について、「かってどこかで見たことがある」とか、「いつもここにあったんだよな」と感じる、と述べた後に、ヴラマンクの絵が持ち出されます。
 そして、「いわゆる風景画にね、重厚なものが込められている絵じゃないわけ、ちょっとスナップショットみたいな絵をどんどん描くんですよ」、そして、「ヴラマンクの風景っていうのはね、あっ、ここに、自分は気づかなかっただけで、ここにはこういう人らがいて、こういう村があったんだな、っていうその驚きと、その発見みたいなものが一枚、一枚の絵にあるわけ」、と監督は語ります。

 要すれば、監督は、兵庫橋やヴラマンクの風景画の中に、“永遠のもの”“既にそこにあって、自分がいなくなってもそこにあり続けるもの”を感じ取るのでしょう。
 確かに、この絵に描かれているのはフランスのどこにでもあるような風景で、格別のものは何も描かれてはいないようです。ですから、監督がこうした絵を持ち出してくるのも分からないではありません。
 ただ、こうした激しいタッチの絵からは、これを描いている画家が秘めている心の中の激しい思いといったものを感じざるを得ないところです。
 あるいは、下のような絵の方が、監督の意図に合致しているかも知れません。




横尾忠則氏の「とりとめもない彷徨」(2002年)



 映画の中では、東橋のすぐそばにY字路があるのを指さして「あの、横尾忠則のY字路シリーズてって割合最近のがあるんだけど、まあY 字路だよね、これ」と言った後に、この絵が映し出されます〔この絵は、世田谷美術館で開催された「冒険王・横尾忠則展」(2008年4月~6月)で見たことがあります〕。
 この「怒る西行」の「」に掲載した写真(ニ)ではよく分からないかもしれませんが、右の道は舗装されていて車が通ります。一方、左の道は土の道で、散歩する者はここを通って井の頭公園の方に向かいます。これらの二つの道に挟まれた土地が三角形を形成していて、そこに設けられている塀の先も尖っているのです。 

 横尾氏は、このところ精力的に「Y字路」に取り組んできていますが(注)、一番最初のは、10年ほど前に品川にある原美術館で開催された「暗夜光路」展で展示された作品でしょうか(2001年10月~2001年1月)、評判が良かったので見に行ったことがあります。



 こちらは、横尾氏が生まれた兵庫県西脇市の夜の街路をフラッシュを使って撮った写真に基づいて描かれていて、近くのものはフラッシュのせいで比較的明るく、反対にY字を形成する分かれ道の先の方は暗くなっています。マア、いわば実写的といえるかもしれません。

 これに対して、映画に使われた絵の方は、例えば、ブログ「星野秀夫の『ちょんまげアルザンス』ライスワーク計画」の記事では、この絵について、「信号機から伸びるのは映画のクレーン撮影をしているところ。左が映画監督・溝口健二で右がカメラマン・宮川一夫 でしょうか・・・「雨月物語」かな・・・」と述べられていますが、かなりファンタジックな絵といえるでしょう。

 こうした絵に沖島監督はなぜ惹かれたのでしょうか?あるいは、作家の荒俣宏氏が言っていることが参考になるかも知れません。同氏は、「冒険王・横尾忠則展」のカタログにおいて、次のように述べています。

「Y字路とは多種多様な横尾作品のなかでつねに変わらない「光速C」のようなものと考えられる」が、「でも、アインシュタインの相対性理論からみれば、この「宇宙のどこでも同じにしか見えない光速」こそが、もっとも普遍的でありながら、なおかつもっとも不可思議な存在なのである」。
 
 沖島監督も、映画の中で、「でもね、気をつけてあれしてみると、日本のあっちこっちY字だらけなんだよ」と述べているところ、きっと荒俣氏のように、“普遍の中の不思議さ”を感じ取っているのかも知れません。

(注)「ほぼ日刊イトイ新聞」で2004年4月7日から19回にわたって連載された「Y字路談義。横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術?」は、大変面白い読み物になっています。

怒る西行(Ⅳ:写真編の3)

2010年01月22日 | その他
 これまで2回にわたって、映画『怒る西行』の中で沖島監督が歩いた道を、同じように辿り直してみたところ、今回はむしろ、この映画で取り上げられていない光景をいくつか紹介してみましょう。

 映画では、監督は、専ら左岸に設けられている道を井の頭公園に向かって歩いていました。本日は、それとは逆方向に〔井の頭公園から久我山に戻ります〕、かつ右岸を歩きます。
 さらには、映画の撮影時期は新緑の季節でしたが、今は冬真っ盛りでもあります。

 こうした状況の下では、映画では見えていなかった光景が逆によく見えてくることでしょう。

イ)玉川上水の流れ〔ほたる橋付近〕
 映画撮影の時期は川岸の木々がよく茂っていたので、緑道から見にくかったのでしょう。



ロ)川岸の崩れ
 まるで富士山の大沢崩れのような感じです。これも、冬期だからこそ目に付くのでしょう。



ハ)護岸
 川岸の崩れが酷い箇所は、一部このように護岸工事が施されています。



ニ)モダンなデザインの家
 川岸には、こうしたお洒落な設計の家がいくつも見つかります。〔これは左岸にあります〕 



ホ)玉川上水右岸の道
 映画では上水の左岸の道しか出てきませんが、それに並行して対岸にも狭いながら道が走っています。



ヘ)進行する放射5号線建設工事〔牟礼橋から兵庫橋〕
・牟礼橋の南側
 ここに東八道路が入ってくる予定です。〔舗装道路は人見街道〕



・祠の東側
 玉川上水の左岸も用地買収がかなり進んでいます。〔手前は人見街道〕



・進行する用地買収〔玉川上水の右岸〕



・無残な光景
 そこにあった家屋が解体された後には、雑草が茂らないようにビニールシートで地面が覆われます。〔玉川上水の右岸〕



・モデル整備事業 1
 昨年秋から年末にかけて、兵庫橋から牟礼橋に向かって右岸100mほどにわたり、モデル整備事業として2車線道路が造られました。〔左手奥に兵庫橋〕



・モデル整備事業 2〔道路の中央に遮音板が設けられます:兵庫橋方向〕



・モデル整備事業 3〔道路の南側の側道と歩道:兵庫橋方向〕



・モデル整備事業 4〔2車線の道路:牟礼橋方向〕



・モデル整備事業 5〔歩道と側道:牟礼橋方向〕



・モデル整備事業 6〔道路の右側にある遊歩道:牟礼橋方向〕



ト)水難の碑
 国文学者・金田一京助の手になるもので、上記モデル整備事業区間の中にあります。



チ)岩通橋の東側
 ここから先、浅間橋までの左岸の用地買収も、かなり進んでいます。





リ)岩通ガーデンの樹木



 岩通橋から浅間橋までの右岸には、道は設けられておらず、一定の幅で樹木が茂っているだけです。現在、そこは何も手が付けられてはいませんが、いったん道路建設が始まれば、簡単にそれらの樹木は除去されてしまうことでしょう。ですが、岩通橋のすぐソバにある「岩通ガーデン」の樹木などは随分と貴重な財産ではないでしょうか?

怒る西行(Ⅲ:写真編の2)

2010年01月21日 | その他
 前日に引き続き、玉川上水道を沖島監督と歩いてみましょう。
 本日は、散歩の後半で、牟礼橋から井の頭公園入口までです。

イ)「こっちは新しい道路は作らない場所なので、これから古い、いままで通りの、玉川上水沿いの道に入っていくので、まあ、なんとなく、緑も、今までのところよりちょっと茂ってるって感じかな。」〔ここ牟礼橋は、杉並区久我山と三鷹市牟礼との境界〕



ロ)「こういう自然のね、ぽっと目を逸らすと、ここへこういう建物があるわけだ。これはこれで、取り合わせの不思議さ、とでも言うかさ、非常に人工的な建物だな、っていう、まあそういう感じがする。」



ハ)「 いよいよ問題の家が来ちゃったな。
 これさっきの農家よりももっと何か、古いタイプのねえ、お家という感じがするんだけどもね。これ時間飛びますよ。これ見てると。この家見てるとね、子どもの頃他人の家を見て不思議だったていうね、気を呼び起こさせるところ。」〔長兵衛橋から少し脇に入ったところにある家〕



ニ)「あの、横尾忠則のY字路シリーズって割合最近のがあるんだけど、まあY字路だよね、これ。」〔あずま橋付近〕



ホ)「あの、ここがね、このコースの中で、一番木が茂っている場所なんですよ。僕なんかはね、あの、山とか森って怖いんですよ。」〔若草橋〕



ヘ)「この風景は、僕好きなんですよ。まあ、これ、スケールは小さいけれど、体験から言うとね、戦後のね、ちょっと都心から離れた場所っていうのには、必ずあった光景でしょ。」〔井の頭橋手前〕



ト)「まあ、これはなんてこともないんだけど、カーブしてるでしょう?で、向こうが見えないって時にさ、まあ、例えば、この先にどっかの庭園かなんかに入っていくんじゃないかって言う感じがフッと、こう、思うこともあるじゃない。」〔井の頭橋を渡って〕



チ)「これ、1年か、2年前まではね、東京女子大学がここにあったんです。ここへね、女子大学があるっていうのはね、非常に幸せ感があるもんだったの。」



リ)「中世の風が吹いているっていうような雰囲気が、赤松ってあるよね。
 風っていうものが、非常に重要で、まあ散歩しててもさ、絶えず風を感じ取って歩くっていう、まあ、みんな知っていると思うんだけど、フッとこう、自由になるというとこはありますね。」〔松影橋付近〕



ヌ)「ここ、まさに通路をこっちの地面から直接、お家へねえ。こっちをお庭だとすると、庭園と家とを合体させたい意志がはっきりあるよね。」〔道からの通路が家の2階に渡されています〕



ル)「だいたい、ここで、あの、アレです、終わり。」〔このほたる橋の右手に井の頭公園〕



怒る西行(Ⅱ:写真編の1)

2010年01月20日 | その他
 ここでは、映画『怒る西行』の中で、周囲の風景について沖島薫監督がいろいろつぶやく言葉を並べ(ごくごく一部に過ぎません)、それに私が最近撮った写真を付けてみました(1月17日午前に撮影)。
 これらの写真は、監督が「なんも特別なことってない」と語る頗る平凡な風景を、素人がいい加減にデジカメで撮影したものに過ぎず、それ自体には何の価値もありません。
 ただ、『怒る西行』がどんな映画なのか、監督が何を考えているのか、を理解する一助になるかも知れないと思い、敢えて掲載してみました。尤も、今の時間の中にもっと違った「そうじゃない時間」を探ろうとする沖島監督にとっては、こうした写真などは、その考え方や姿勢に一番反するものに思えるかも知れませんが。
 なお、沖島氏のつぶやきは、基本的に、劇場パンフレット「沖島薫怒濤の語り」に掲載されている「シナリオ再録」によっています(〔〕内は私の注釈)。
 また、玉川上水については、昨年の8月10日の記事においても取り上げましたので、どうぞご覧下さい。

 本日は、散歩の前半で、岩通橋から牟礼橋の手前まで歩きます。

イ)「じゃあここスタート地点で、井の頭公園までいくんですけど。
 ここがね、今、放射5号線っていう、八王子なんかから来た車を環八へつなげるために、前々から、10年以上前から道路通す、通すって、とうとうここら辺が立ち退きをはじめたわけ。」〔岩通橋〕



ロ)「この杉並木。なんか向こうにさ、こう神社かなんかあるような気しない?この感じ。あの先を知らないでいると。まあ、だからどうってことないんだけど。」〔奥の方に岩通橋〕



ハ)「まあ、なんってことない橋なんですけど。あの、歩いてくるでしょ、そうするとね、これは僕は意識していなくとも、いつも、そういえば、この場所はあるんだよっていう、あったんだよっていう気持ちを起こさせる場所。」〔兵庫橋〕



ニ)「まあ、なぜか雰囲気のない公園でね。
 生活する中で、あの現代って、現在っていうようなもの感じるじゃない。だけど同時にさ、もっと違った時間に生きてるっていうさ、そんな感じを持てるのかな、この散歩の機会は。」〔兵庫橋公園〕



ホ)「この家は、前から見てて、もう希少価値って言うのかな、まあ、いろいろな季節があって、そういう時に、さっき言ったようなことと少し関係した時間と空間の、別のものが流れていくような、そんな感じ。」〔入口左側の看板に、この映画『怒る西行』のビラが掲示されていました〕



ヘ)「あのー、これがね、この木、このコースで一番凄い大きな木です。この木を切ったら祟りが出る。もう、絶対。」〔玉川上水が人見街道と交差するところにある牟礼橋のたもと〕



ト)「歩いていてそういう場所に来ると、風が通っていく場所で、なんか神様が今掃除して、今終わったところなんじゃないかなって、自然にそういう場所ってあるんですよ。で、そういうところフッと見るとね、こういうちっちゃい祠が建っていたりするのね。」〔上の大木の根元にある祠〕



怒る西行(Ⅰ:映画編)

2010年01月19日 | 邦画(10年)
 ドキュメンタリー映画『怒る西行~これで、いーのかしら(井の頭)』をポレポレ東中野で見ました。

 時々覗いているに過ぎないブログ「映画をめぐる怠惰な日常」の昨年12月11日の記事に、この映画のことが取り上げられているのが偶然目に留まり、その記事からたぐっていくと、監督自身が、自分で「玉川上水沿いに井の頭公園に至る迄の散歩道を色々解説しながら歩いていく、ただ、ただ、それだけの映画」だと言っているようです。
 とはいえ、玉川上水のスグ近くに住んでいる者としては、それを取り扱っている映画があれば、どんなものであれ是非とも見たいという気になってしまいます。
 加えて、その映画が公開されるのが、これまで入ったことがない映画館「ポレポレ東中野」。出来るだけ数多くのミニシアターに顔を出せたらと思っているところ、これは格好の作品が見つかったものだと、密かに悦んだところです。

 映画館の方は、JR東中野駅のスグ近くで、『The ダイエット』を見た渋谷のUplinkのような雰囲気の建物(1階は飲食店)の地下にあります。ロビーは酷く狭いものの、客席数は100位あってマズマズの感じでした。

 さて、映画の方は、昨年4月に撮影されたもので、それこそ監督の沖島薫氏(1940年生まれ)が、アシスタントの女性と一緒に玉川上水の緑道を久我山から井の頭公園まで歩き、その間、随所で監督のおしゃべりが入るものの、殆ど全編、新緑の玉川上水を映しているだけのドキュメンタリー作品なのです。
 とりわけ目覚ましい風景や建物、遺跡といったものがあるわけでもなく、どこにでもありそうな川が細々と流れていて、その川岸の木々は繁茂していると言っても、格別珍しい植物が見つかる訳のものでもありません。この地に格別関心のない人にとっては、退屈きわまりない映画でしょう。

 その点は間違いありませんが、ただ、ジックリ見出すとなかなか強かな映画だとも言えそうです。
 というのも、監督のおしゃべりにはメロディライン(旋律)といえそうなものが3つ判別でき、それがフーガのように絡み合いながら玉川上水の映像に覆い被さっているのです。

 一つのメロディラインは、「冗談」でしょう。例えば、冒頭近くのカラスに頭を「どつかれ」た話→以前東京女子大があった場所を見て「夢がなくなりましたね」→ラストの駄洒落「これでいーのかしら(井の頭)」という具合。

 二つ目は「案内」です。
 冒頭で、出発点付近の地理を解説します。その後も、ところどころで、国学院久我山高校の方角を示したり、人見街道と交叉するところで「これから古い、今まで通りの玉川上水沿いの道に入っていく」などと、周囲の風景について簡潔に説明します。

 3番目は広い意味の「哲学」。
 出発点近くで、杉の木が少しまとまって並木を形成しているところを見て「神聖なもの」の存在を思ったり、「兵庫橋」に“既視感” を感じたり(ヴラマンクの風景画からも「いつもここにあったんだよな」という感覚を受け取ります)、赤松を見ると「必ず中世を思い出す」と言い、カーブしていて先が見通せない場所にさしかかると「この先どっかの庭園に入っていくのじゃないかという感じ」がし、チョッとした三叉路に差し掛かると「横尾忠則のY字路」をそこに見てしまったり(映画に、横尾氏の絵が挿入されます)、緑が濃いところに対して「山とか森の怖さ」を感じたりしてしまいます。
 こんな具合に、沖島監督は、周囲の風景の中に超越的なもの(宗教的なもの)をいくつも感じ取ってしまうのです。

 上で触れたブログ「映画をめぐる怠惰な日常」では、ブログ制作者のモルモット吉田氏のレビューが掲載されていますが、その中で氏は、この3番目の「哲学」めいた事柄に関して、概略次のように述べています。

 “冒頭から監督の「沖島自身が画面に姿を現す。事前に分かっていたこととは言え、恐怖を覚えた」が、それと言うのも、「沖島自身が時空間を歪める特殊能力を持っているゆえ、役者で起用すると映画全体の世界観に影響を与えかねない」からだ。”
 “元々、「こちら側とあちら側で違う時間や空間が存在しているような恐怖感に観る者を誘うのが沖島作品」なのだが、「川に沿って歩を進めながら沖島は川の向こうに建つ旧家を指差し、その時代を超越した家屋の構えに「これ、時間飛びますよ」とその異物感を語る。川の向こうへの幻惑を口にし、ありきたりの自然に囲まれた散歩道が異世界へと塗り替えてられていく」のだ。”

 やや生硬な語り口ながら、この論評から、沖島氏の手にかかると「ありきたりの自然に囲まれた散歩道が異世界へと塗り替え」られてしまう様子が理解いただけるのではと思います。

 ついでに言うと、この映画に対しては一部の評論家がかなり熱心にサポートしているようです。 ブログ「映画芸術DIARY」でも、監督の沖島勲氏と詩人の稲川方人氏のトークが掲載されています。その中で、稲川氏は、例えば次のように述べています。

 “沖島さんは「映画は哲学だ」と定義なさいましたけれども、西行法師の歌を援用しながら「人間はリセットできるかもしれない」という言葉を見出すところが非常に進歩主義的だなと、進歩的な哲学があるんだなと感じました。”
 “そういった非常にスリムな沖島さんの哲学がこの映画の中央に軸として流れているとすると、つまり玉川上水の中央に哲学が流れているとすると、その脇を平気で地元の人たちが自転車で通り過ぎたり、散歩の人たちが通り過ぎたりしていくことですね。あれが、この映画のダイナミズムだと思うんです。”

 稲川氏が言うように、この映画では、沖島氏がしゃがんで喋っているスグソバを、イロイロな人たちがひっきりなしに通り過ぎていきます。中には自転車に子どもを乗せて通り過ぎる母親もいます。こういう人たちにとっては、沖島氏の思いなど全然どうでもいい事柄でしょう。ですが、そういう人たちがあわせて映し出されている映画に、まさに「ダイナミズム」を感じざるをえないところです。

 こうしたフーガ的構造もあって、この映画を見ると大変不思議な感覚に囚われ、ソウであればなかなか優れた映画といえるでしょう。

 ただ、問題がないわけではないと思っています。
 
 というのも、『怒る西行』というタイトルを付けているからには、現在進行している「放射5号線」の建設工事に対する“怒り”が強く表現されているに違いないと期待したわけです。ですが、実際には、そのことについて監督はごく僅かに述べるに止まり、映画で専ら映し出されるのは、現在進行中の「放射5号線」の工事が及ばない三鷹市牟礼から井の頭公園までの道沿いの風景であって、その手前の杉並区久我山側の無残な光景はほんのチラッととしか映し出されないのです。

 ですが、映画では、玉川上水を取り巻く素晴らしい自然の姿が映し出されているのですから、それでいいのかもしれません。 
 実のところ沖島監督は、映画の中で、「余計なものを作ると、余計なものなのだから、100年も経てば、また木っ端微塵に消えちゃうと思っている」などとかなり過激なことを述べています。
 また、上で触れた稲川氏とのトークの中でも、「ちょっと古い家があっても「文化遺産」であったり、「ナントカ記念館」であったりして、今生きている家屋じゃない。黒々としたコンクリートやアスファルト の土台の上にオモチャのようにそうした家が立ってるんですね。そんなところには夢や幻想が生きていくための僅かな敷地すら残ってない。もう危機もどん詰まりまで来ちゃったなと、そういう怖さは感じます」とも語ったりしています。
 ですから、あえて開発の現場を映さずとも、むしろ残されている自然の素晴らしさの方を映し出すことで、そういう自然の破壊をする事業に対する抗議を行っているのだ、と考えるべきでしょう。

 ただ、現在保存されている道沿いの自然は、決して原生林などではなく、江戸時代に玉川兄弟が上水を開発した際に人の手によって作られたものに過ぎません。ですから、その維持管理に、現在でも多くの人手がかかっています。

 こうした自然の保護を強く主張するのは構いませんが、実際にはソウした事実があること(武蔵野の自然の景観が残っている場所と簡単に言えないのではないでしょうか)をまず前提にする必要があるのではと考えられるところです(極論すれば、人の都合で造成された自然なのだから、人の都合で改変することに何ら問題はないのでは、と行政当局に簡単に言われてしまいそうです)。

 とはいえ、一本の水路を巡ってこうした映画が制作され、上映回数が少ないものの一般に公開され、まずまずの観客を集めているというのは、画期的なことではないかと思いました。


★★★★☆