晴れ時々スターウォッチング

昔の出来事もたま~に紹介

スペースシャトルSTS-27 アトランティス号の危機

2021年06月27日 | STS(スペースシャトル)
 宇宙開発史上、最も輝かしい歴史を残したと言っても過言ではないアメリカのスペースシャトル計画だが、実は30年以上前のミッションでシャトル計画が終焉を迎えたかもしれない最大の危機があった。

以下そのドキュメンタリー記事である。

 その危機はチャレンジャー号の事故後、2年8か月ぶりとなる飛行再開を無事終えたフライトの次のミッションSTS-27で起きた。あろうことかリフトオフ84秒後に固体ロケットブースターのノーズキャップから剥離した断熱材がシャトルを直撃して耐熱タイルを破壊していたのである。損傷を受けた耐熱タイルの数はなんと数百枚以上…。

 そう、2003年2月1日に起きたコロンビア号の悲劇と同じ事が15年前に起きていたのである。いやひとつだけコロンビア号の事故と違う点がある。それは、耐熱タイルが損傷を受けて地上への帰還が難しいことをクルー全員が知っていたことである。

 そして最大の危機はこの状況を地上管制に報告しても取り合ってくれなかったことだ。クルーはどのようにしてこの状況に立ち向かい無事帰還できたのか。

 時は1988年12月2日…

 当初公表されたスペースシャトル計画では、STS-27はコロンビア号の通算13回目、国防総省の6回目のミッションとして1985年4月27日にリフトオフが予定されていたが、実際は計画の遅れとチャレンジャー号事故の影響を受け1988年12月1日にアトランティス号でリフトオフする4回目の国防総省ミッションとして変わっていた。

 国防総省ミッションであるためその秘匿性は高く、ミッション内容はもちろんクルーの訓練も別施設で極秘に行われ、打ち上げ日時の公表もリフトオフのわずか24時間前という徹底ぶりだった。


Photo Credit: NASA

 コマンダーのR.ギブソンは事故を起こしたチャレンジャー号の1つ前のミッションSTS-61C(1986.1.12、コロンビア号)でもコマンダーを務め、STS-41Bミッション(1984.2.3、チャレンジャー号)ではパイロットとして搭乗しているベテラン宇宙飛行士だ。今回で3回目のフライトとなる。J.ロス(MS)とW.シェパード(MS)は2回目、G.ガードナー(P)とR.マレーン(MS)は今回のフライトが初飛行である。

 当初の打ち上げ予定日であった12月1日は天候不順のため延期となり、翌日12月2日にアトランティス号は見かけ上ではあるが無事リフトオフした。この時は地上管制官もシャトルクルーも耐熱タイルが未曾有の危機的状況になっていることをまだ知らなかった。


Photo Credit: NASA
 


Photo Credit: NASA

 軌道に乗ったアトランティス号は早速ミッションを開始し、積み荷である極秘偵察衛星のリリースを行った。この時の積み荷は軍事機密上公開されることはなかったが2008年7月に機密指定が解除され今では合成開口レーダーを搭載したラクロス1号機であったことが分かっている。

ミッション中に撮影されたSTS-27宇宙飛行士。左からギブソン、マレーン、ロス、
シェパード、ガードナー。 Photo Credit: NASA

 ミッション2日目の早朝、クルーは不穏なニュースで目覚めることになる。それはリフトオフ時のビデオ解析により84秒後に右固体ロケットのノーズキャップから落下した断熱材がシャトルをヒットしているという内容だった。それを聞いたクルーはリフトオフ時にフロントガラスに不規則に付着する白い物質を観察したことを報告した。ミッションコントロールセンターの指示のもとカナダアームを伸ばして点検した画像にクルー全員は声を失い凍り付いた。

 そこに見えたのは、シャトルのノーズから右主翼前端まで伸びる幾筋もの白い傷であった。マレーン宇宙飛行士は後日インタビューで「白い傷はカメラの視界を超えて伸びており、傷跡が右翼の先端のカーボン複合パネルに向かって広がっているように見えた。何百もの数のタイルが損傷しており、少なくとも1つのタイルが胴体から完全に剥がれ落ちていた事が分かった。」と述べている。

 この危機的状況を撮影したビデオを地上管制に送信したとき地上から到底受け入れられない返事が返ってきた。それは「損傷に見えるのは、ただの光と影によるものであり帰還に支障は無い。」という内容だった。ギブソン船長は激怒して反論したが、ここに国防総省ミッションゆえの不運があった。極秘の任務であるため全ての交信が暗号化されており映像の解像度も限られたものだったからである。

 説得しても受け入れない地上管制を前にギブソン船長は死を覚悟し、クルー全員に「なにも緊張しながら死ぬことはない。最後のフライトとなる宇宙飛行を存分に楽しもう。」と伝えた。(He told his crew to enjoy the final days of the flight. “No use dying all tensed-up”)

 予定されたフライトは4日間だったが、飛行士たちはフライトを楽しむ余裕などないほど忙しい時間を過ごしていた。というのも未確認情報ではあるが漏れ伝わる話として、リリースした偵察衛星に不具合が生じたため予定には無かった偵察衛星とのランデブー飛行および2人の宇宙飛行士による修理のための極秘の船外活動があったと言われている。

(このエピソードには船外活動が行われていればタイルの損傷状況を地上管制が知ることになるので実際はなかったという説と2001年2月に記念すべき100回目の船外活動を終えた宇宙飛行士にインタビューした際に「実は前回の船外活動が100回目だった…」と答えたことから、これがSTS-27の船外活動を表しており実際に船外活動は行われたという説があるが真偽のほどは定かではない。)

 

 12月6日早朝、全ての任務を終えたアトランティス号は地球の裏側にあるエドワーズ空軍基地への着陸に向けて軌道離脱を開始した。5人の宇宙飛行士は全員かさばるオレンジ色のスーツを着込みそれぞれが最後の瞬間への準備を始めた。

 マレーン宇宙飛行士はフライトデッキ後部天井にある窓から状況を撮影するためギブソン船長の許可を得てギリギリまで着座せずに留まり、やがて溶融アルミニウムが窓ガラスを塗りつぶしていくであろう様子を観察していた。

 大気が濃くなりGを感じるようになったことからギブソン船長はマレーン宇宙飛行士へミッドデッキへの着座を指示し、自分は地上への最後の報告の準備をしていた。

 高温のプラズマが右翼側の耐熱タイルからシャトル内に侵入するバーン・スルーが始まったら右舷側の効力が高まる。そうなると姿勢を修正するために右エレボントリムが働き左エレボンは下がる。この修正は大気圏突入の時に自動システムで起きる状況であり見慣れた事であるが、修正角度が1/4を超えることは無い。この角度が1/4を超えたときにギブソン船長は残された人生の時間60秒を使って地上管制官に「ミッションコントロールが下したヒートシールドの分析についてどう思うか」と問うことを考えていたと非公式のコメントを残している。

タッチダウン時の写真。右舷側の耐熱タイルが多数損傷していることが分かる。
Photo Credit: NASA


Atlantis touches down at Edwards Air Force Base, on 6 December 1988 Photo Credit: NASA

 1988年12月6日午後3時36分、4日半のミッションを終えたアトランティス号は着陸1分前にドンドーンと聞こえるいつものソニックブームを響かせながらエドワーズの乾燥した湖底滑走路17番に無事着陸した。クルーがタラップを降りて外に出て見た光景は、グラウンドクルーが機首付近に集まり首を横に振っている姿だった。損傷したタイルの数は707枚に及び、ノーズのタイル1枚は完全に欠落していた。今回バーンスルーが起きなかった理由は幸運にも剥がれたタイルの下にLバンドアンテナ取り付け用のアルミプレートがあったからであった。

Photo Credit: NASA
 のちにギブソン船長は、チャレンジャー号事故後の2回目のフライトであるSTS-27が帰還しなかったら、アメリカのシャトル計画の息の根を止めることになっていただろうと述べている。

 当時のシャトルには翼内温度センサーが装着されていなかったためバーン・スルーが起きたかを判断する手立てが無かったわけだが、右エレボントリムと左エレボンの動きを判断材料としてバーンスルーの瞬間をモニタリングしていたギブソン船長はさすがである。のちに「生と死の境は髪の毛1本分だった。」とギブソン船長は述べているが死を覚悟しながらも冷静さを失わずに大気圏への突入を遂行する宇宙飛行士たちはこれぞライトスタッフの持ち主であると言える。
 
 この事故後、シャトル計画には様々な改良が加えられたはずだが、15年後のコロンビア号の事故を未然に防ぐ未来に繋がらなかったことは極めて残念なことである。



参考文献:
'Dying All Tensed-Up': 30 Years Since the Troubled Secret Mission of STS-27 
By Ben Evans, on December 9th, 2018

Into the Black: NASA’s Secret Shuttle Missions – Part Two By Ben Evans, on January 30th, 2012
STS-27- Wikipedia
SpaceGuide宇宙年鑑2007/AstroArts
スペース・イラストレイテッドJuly1982.Vol1.No.1/ワールドフォトプレス
スペース・イラストレイテッドOctober1982.Vol1.No.4/ワールドフォトプレス