駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

なぜ被曝事故が起きるか

2017年06月20日 | 世の中

            

 もう二週間ほど前のことだが日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで作業員が被曝した。推定でものを言うのは良くないが、作業員と呼ばれている人達は下請けあるいは下請けの下請けと思われる。福島原発事故以降、放射能物質の取り扱いには厳重細心の注意が払われていると思ったが、そうでもないらしい。

 危険な作業には例外なく下請けの人達が従事するのは世の常で、今回被曝した人達もそうだろうと推測する。もう二十年前のことだから、今は違うと言われるかもしれないが、原発の近くで医院を開業している友人に、原発の危険作業は下請けの下請けの下請けが請負い、あまり理解力の良くない人を使っていると聞いたことがある。被曝事故が起きると緘口令が引かれ手品のように被害者が居なくなると教えてくれた。彼は父親が原発ができる前からその町で医院をしており慣れている?ようだが、奥さんは慣れられず、今では三十キロほど離れた町から通っている。

 世の中には危険な作業が数多くあり、誰かがそれを担っている。危険に加えきつい、きたないの所謂3Kの仕事で、さほど技能や熟練を要しないものには、他の仕事ではよい収入の得られないあまり理解力の良くない人が従事する現実がある。だから今回の事故が起きたというのは、よく知らないくせに言い過ぎと言われるかもしれないが、いくらかは当たっているだろう。

 股の下から天橋立を見ると違った趣で一興と聞くが、世の中も底の方から見上げると違って見えそうだ。だからどうというわけではないが、簡単に駄目じゃないかでは片付かない。

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いつまでもとは参らぬ

2017年06月19日 | 人生

         

 昨日はぐずついた天気で涼しく、漸く梅雨らしくなったなと思ったら、今日はカラッと晴れて青空の広がる好天だ。近隣の里山では水がなくて田植えに難儀している所もあるようだ。全国の雨女は特に用がなくてもお出かけを試みるように。

 寿命が半世紀で十五年ばかり(二割増し)伸びたけれども、今も十年一昔という感覚は変わらない気がする。自分が何割り増しに恵まれるのかは知らないが、えっとあれは何年前と正確に思い出せない頭脳の持ち主になった。

 多分、最初にすれ違ってから十二、三年と思うが、毎朝散歩ですれ違う四人連れの婆さんが遂に一人になってしまった。九十?の坂を矍鑠と超すのは容易ではないようだ。意外そうで、そうでもないと言われるようになっているのだが、一番太めの婆さんが残った。今では両手で杖を突きながらの牛歩だが、私を認めて「おはようございます」と挨拶してくれる。「おはようございます」と返事をしながら、自分にしたところで、いつまでも駅まで歩けるわけではないのだと、心によぎる。

 そう、いつまでも昨日の明日があるわけではない。それは足掛け三十年定点で診療をしてきて思い知ることだ。あんなに元気だったM婆さんも遂に施設入所になり、施設付きの医者に紹介状を書くことになった。明るく大きな声で、待合室の女王のように知り合いに声をかけていたのだが、ついに物忘れが出てきて歩行器でないと歩けなくなった。余裕のあるお宅で大きな家に住んでおられるのだが、元気な女王様というのは外にはともかく内には負担も大きかったのか、家で面倒を見るということにはならなかった、二三回の往診の後、新しい城に移られることになった。

 きちんとした暇乞いもなく、嫁さんの持ってきた指定の紹介状を書くばかりで、心残りな感じがしてなんともやるせない。人さまざま、余計な論評は慎みたいが、いつかはお終いが来る。 

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何時でも何でも電話?

2017年06月18日 | 医療

   

 24時間連絡の取れる体制を取っていると患者さん一人につき20円の追加料金が頂ける。三、四年前に出来た仕組みだと記憶する。二十五年間そうしてきたからと三、四年前から、当院も届け出て、積算すると月に一万円ほどになるだろうか、その料金を頂いている。現実には、時間外の電話は三十年で三分の一ほどに減った。所謂深夜帯は十分の一になった。今まで二十五年分の三百万円ほどを支払って欲しいとは思わないが、なんとも妙なみみっちい出し遅れの制度だと皮肉を言いたくなる。

 大きな声で言いたいのは、今も昔も緊急性のある電話は五つに一つもない。十に一つと言ってもよい。土曜日の午後や日曜日外出先へ電話が入る。転送された留守電を聞くと「どこそこの**だけど薬がなくなった。出してくれ。」などという無理難題が殆どだ。

 一回千円掛かってもいいから、二十円の上乗せを決めたお役人にこうした電話を転送したい。

 どうしてこうした制度にしたか良くは分からないが、掛かり付け医機能強化の一環とか言うのだろうと類推する。只では人間は動かないから、五円では安すぎる五十円では高すぎる、まあ二十円が良いところと,利益誘導?を設定したのだろう。患者も医者も舐められたものだ。

 至難の業かもしれないが、本筋は患者教育にあるのだ。患者が審美眼ならぬ審医眼を身に付ければ、自ずと淘汰が働き、医療は改善されるだろう。偉そうに響くと困るが、一人一人がもう一寸賢くなれば、無駄は省かれ医療費も安くなる。医療費どころではない、社会のあらゆる所の無駄が削られるだろう。尤も、そうした無駄で儲けている人や生きている人が数多いだろうから、難しい話なのだろう。

 今日は山小屋で鰯の梅煮をご馳走した。滅多に魚料理は出さないのだが大変評判が良かった。値段が手頃なのでたくさん作った、残ったのは明日の弁当に入れることにする。

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誰が信じるだろうか

2017年06月17日 | 政治経済

  総理のご意向文書の問題

 「見た」 「ない」 「やっぱりあった」が全てだ。 

 岩盤に穴を開けたから良い、法的な手続きに瑕疵はない 出会い系バーに出入り ・・・などは全て雑音。都合の悪いことは個人攻撃で目を逸らさせ、事実を平気の平左で覆い隠す体質が証明された。  

  ザッツイット、ピリオド。


 

 ちょっと旗色が悪いとみるや、すり替えの言い逃れを共謀する当事者の言葉を誰が信じるだろうか。 

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思わぬ美人が居る

2017年06月16日 | 世の中

              

 ショートステイの施設で働く人やヘルパーさんの中には思わぬ美人が居る。二十代の人はまず居ないので中高年の女性達なのだが、アマチュア画家で仕事柄数多い女性を見てきた私が言うのだから間違いない。彼女達の特徴はあっさりしていて自分のことを特別美人と思っていない?ことだ。十人並みでそこそこと思っているかもしれないが、ちょいと美人特有の意識というものは感じられない。

 いわゆる女性的な柔らかさというか阿りというか、しっとりした感じはなく、あっさりしてストレートな物言いで意思伝達ができる。仕事も手際よく、動きが素早いのが特徴だ。尤も、そこが難しい所なのだが美人だなあと意識して見たりすると、さすがに何かを感じることはあるようだ。丸顔や小太りの人は少なく、やや面長ですらっとした女性が多い。

 勿論、どこか私の好みという偏りがあるかもしれないが、美人というものには本人の意識も関わっていることを浮き彫りにする観察かもしれない。ちょっと美しいというのは女性にとって一つの才能というか武器だろう。しかしながら、それを生かして生きるのは結構難しいというか面倒なところがあると思われる。だから極く普通並みで生きる路線を選び、いつの間にかそれが地になって施設やヘルパー業務で働いているのかもしれない。

 審美眼的にはあれこれ微妙なところもあるが、美女と野獣が教えているように内なる美しさというものがあり、見た目に恵まれていなくても気立ての良い人は美しく見えてくるという古今東西の真実があることも書き添えておこう。

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