昨日はぐずついた天気で涼しく、漸く梅雨らしくなったなと思ったら、今日はカラッと晴れて青空の広がる好天だ。近隣の里山では水がなくて田植えに難儀している所もあるようだ。全国の雨女は特に用がなくてもお出かけを試みるように。
寿命が半世紀で十五年ばかり(二割増し)伸びたけれども、今も十年一昔という感覚は変わらない気がする。自分が何割り増しに恵まれるのかは知らないが、えっとあれは何年前と正確に思い出せない頭脳の持ち主になった。
多分、最初にすれ違ってから十二、三年と思うが、毎朝散歩ですれ違う四人連れの婆さんが遂に一人になってしまった。九十?の坂を矍鑠と超すのは容易ではないようだ。意外そうで、そうでもないと言われるようになっているのだが、一番太めの婆さんが残った。今では両手で杖を突きながらの牛歩だが、私を認めて「おはようございます」と挨拶してくれる。「おはようございます」と返事をしながら、自分にしたところで、いつまでも駅まで歩けるわけではないのだと、心によぎる。
そう、いつまでも昨日の明日があるわけではない。それは足掛け三十年定点で診療をしてきて思い知ることだ。あんなに元気だったM婆さんも遂に施設入所になり、施設付きの医者に紹介状を書くことになった。明るく大きな声で、待合室の女王のように知り合いに声をかけていたのだが、ついに物忘れが出てきて歩行器でないと歩けなくなった。余裕のあるお宅で大きな家に住んでおられるのだが、元気な女王様というのは外にはともかく内には負担も大きかったのか、家で面倒を見るということにはならなかった、二三回の往診の後、新しい城に移られることになった。
きちんとした暇乞いもなく、嫁さんの持ってきた指定の紹介状を書くばかりで、心残りな感じがしてなんともやるせない。人さまざま、余計な論評は慎みたいが、いつかはお終いが来る。
「とっておきラジオ」という番組です。
聞いていて思ったことは、終末期の人に必要なことは医療より哲学だと思いました。
「それがとうした」といわれると困りますが、何となく自分の意見も聞いてもらいたくて、つい、、、。