蒸し暑い日が続いている。漸く蝉が鳴き始めたが力強さがなく、今年は猛暑ではなさそうな感じがする。
先に逆算の陥穽と題して損得利害から逆算して結論を誘導してしまう問題点を指摘した。今回は、公平のようで不公平を招く行政の一律扱いの問題点を取り上げてみたい。
例えば最近問題視されている生活保護も個々の背景に踏み込めばさまざまな申請者が居るはずで、とても書類上の整合性だけで一律には扱えないはずだ。ところがいざ調査し判断するとなると手法手間具体的な公平性の判断という難問が露出してくるので、公平と見做して処理してしまっている(と推測する)。
正確さを求める場合は、例えば介護保険などは、きちんとした調査と意見書に基づいて医療介護関係者で判定会を開き八段階分類が行われている。そうすると当然手間暇費用が嵩むわけで一症例ほぼ一万円の判定料金が掛かっていると聞いている。この費用がより良い介護保険の運用に見合うものかどうかは判定が難しい。はっきりしていることは十年前の判定会では二段重ねの弁当が付いていたのが、幕の内になり、コンビニクラスになり、お茶だけになり、この四月からはお茶さえも出てこない会議になっているということだ。
きめ細かくすれば手続きの時間と費用が嵩み、粗く見做しで一律に対応すれば、現場で不公平が出てくる。とても簡単には解決できそうにない難問だが、そこに問題があると気付くことは、先刻ご承知かもしれないが、意味があると思う。消費税が政府行政に好まれる理由の一つに一律で手続きが容易なところもあると聞いている。
オリンピック女子サッカー、カナダにきちんと勝った。沢が攻撃の芽を摘んだのは利いていたが、それよりも何よりも全員が一丸となって機能したことが勝利をもたらしたと感じた。
幸先の良い滑り出し、メダルの光が見える。