駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

アマが勝つこともある

2010年07月26日 | 診療
 プロとアマの差が一番あるのが相撲と将棋と言われていた。今では将棋のアマ強豪がプロに勝つのは珍しいことではない。相撲でもアマや学生の強豪がプロに入り、活躍することがある(輪島は異能で例外的)。
 病気の世界でも素人の主張が結果的に正しいことがある。病気の場合は理論的な根拠はなく、嫌だ恐いといった感覚的な拒否や心配だから取り除こうと過剰な安全策がほとんどなのだが、それでも手術して良かったしなくて良かったということが時々ある。尤もこうしたことがあるのは元々プロにも判断が難しい症例の場合で、医者十人が十人同じ結論の場合には、例外なくプロが正しい。
 先日の肺癌の勉強会でも、画像診断は癌組織診断は灰色で手術を勧めたのだが、患者さんが手術を拒否したため、もう一度気管支鏡を行い細菌培養もしたところ非常に稀な細菌が出て、結局抗生剤投与で半年後に異常陰影が消えた症例が報告された。結果が良かったので、専門医も苦笑いしながらこんなこともあるんですで済ましているが、逆の場合は悲惨なことになる。取り返しが付かないので、今更何であの時とは言わないが、残念な患者さんを何例も診てきた。
 自分の命の主人公は自分ではあるが、猫のようにいくつも命があるわけではなく、アマが正しいことがあると言っても、信頼できるかかりつけ医と専門医の言葉に耳を傾けた方がよさそうだ。
 
 日曜日よく行く店では、最近子羊のステーキばかり食べている。食べ慣れると匂いが気にならず美味しい。値段も手頃だ。イスラムの世界に行っても、食べ物で泣かされずに済みそうだ。家内にも一切れ与え、トルコ行きに備え、今から秘かに訓練している。
 
 
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色々な糸

2010年07月25日 | 小考
 日経新聞の私の履歴書七月分に2008年ノーベル化学賞受賞者下村脩先生が書いておられる。受賞が発表されるまで氏を存じ上げず、写真を見てなんだか日本人離れした人だなあと失礼かもしれない印象を持っていた。
 私の履歴書を読み、日本人離れした本当の日本人という不思議な感想を抱いた。まあ、よく知りもしないのに、一端の感想を述べることは僭越極まりないが、氏の卓越した能力と研究者資質を運命の糸が導いて研究成果を生み出したように読んでいる。いずれ科学評論家や教育者が氏の研究者としての資質に注目するだろう。
 誰もが何かしらの糸に導かれて人生を歩んでいるわけだが、糸は縺れたり途切れたり、天の配剤もいろいろあるようで、あの時あちらを選んでいたらと思わぬでもない。しかしながら残りの糸は短く選んだ道を生かすように進むよりないなあと、ワインディングロードを振り返った日曜日なのだ。
 今日は久しぶりに定番のフランス風家庭料理店でランチを楽しんだ。これは1500円の子羊のステーキの前菜。
 
 
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獅子唐

2010年07月24日 | 身辺記
 濃い青空から照りつける真夏の太陽の下、電車はゴトゴトと赤茶けた単線を辿る。降り立った駅は市とは名ばかりの田舎そのもの。
 都市部ではお経は15分程度と思うが、田舎は違う。碌に冷房の効いていないホールに、延々五十分有り難いお経が響いた。五十代と思われる体格の良い和尚の声に鐘太鼓木魚が交じり、異次元空間が醸し出される。
 私には意味不明なのだが不思議にお経は有難い。しかし、それに三十分もの、説教が続いたのは、有難いような有難くないようなと申し上げねばなるまい。説教の作法なのか、時折眠らせまいとするような大音声を交え、四苦八苦命の儚さを説かれた。遺憾ながら凡夫には確かにそうではあるが、喉が渇いた腹が空いてきたと聞こえてしまった。
 帰り道、小腹を満たすべくそば屋に入る。暑いので私はざるを一枚、女房は天丼を所望した。早く食べ終わり楊枝を使って所在なげにしていると、女房がやおら獅子唐の天ぷらを呉れた。餓鬼道に落ちると自覚している私は食べかけも気にせず、早速頂く。これが辛いの何の。「それ、辛かったから」。と何事もないように呟く女房。こういう人と暮らしていると、骨身にしみる命の儚さの裏に拙い命の日常が透けて見える。
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梅雨開ける模様

2010年07月17日 | 自然
 動も朝から青空で梅雨が明けそうだ。気象庁は持って回った言い方で数日後に梅雨が明けた模様ですと発表してくれるだろう。
 梅雨明けの局所豪雨で今年も惨事悲劇が繰り返された。「娘を先に」。と聞いて胸の詰まる思いだ。残された家族に掛ける言葉もない。
 本当に人生には何が起きるかわからない。

 そうした悲劇や政治のごたごたが渦巻く日本列島に、暑い夏がやって来た。何の説明もなく照りつける太陽と抜けるような青空、あるいは神仏というのはこうした自然そのものかも知れないと感じる。賢しらに働く人知を忘れ、夏空の下境内に佇めば、乾坤一滴の命が洗われる気がする。
 
 
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良い処方はないものか

2010年07月16日 | 診療
 比較的所得の少ない方の多い地区で町医者をしていると貧困と家庭不和は病気の温床と実感する。山の手で開業したことはないから比較は出来ないが、つくづくそう思う。
 83歳のMさん、「この頃調子が悪い」。と来院。どうも訴えがはっきりしない。いろいろ聞いてゆくと数ヶ月前から嫁さんが食事を作ってくれないと言う。缶詰とご飯だけでぼそぼそ食べているが、食が進まないと元気がない。夫を亡くし息子夫婦と住んでいたのだが、息子も数年前に亡くなり、嫁さんと二人きりになってしまった。半年くらい前まではそこそこ面倒を見て貰っていたらしいのだが、最近は嫁さんも仕事で忙しいのか、ほったらかしだと言う。まあ、どこまでがホントかは嫁さんの言い分を聞かないと分からないのだが、今まで医院に送り迎えしていたのが付き添ってこなくなったので、問題があるのは確かだろう。
 看護師達とどうしたものかと思案投げ首である。
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