駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

所信表明演説の感想

2009年10月27日 | 世の中
 往診に行く車の中で切れ切れではあるが鳩山首相の所信表明演説を聴いた。三軒めの患家を出て帰路に着いた時もまだ演説が続いていたので長いのに驚いた。しかも途中がほとんど抜けているのに続きを聞いているようで不思議な感じがした。
 一国の総理の演説にしては青年の主張のような所がありちょっと青臭いが、今までの所信表明演説とは異なり、友愛精神による規範の転換を目指す決意が述べられており評価したい。所信というものは抽象的情緒的なもので、それを具体性がないと批判するのは筋違いだ。
 ただ、所信と言うのは三十分もあれば語れるものだと思う。長いと分かり易いとは言えない。ニールスボーアの論文評を連想した。ボーアの論文は丁寧なのだが、長くて回りくどく分かりにくいという定評があるそうだ。
 友愛精神は批判しがたいもので、その優先度に疑問を呈することはできても、それを否定しては私は利己的で悪ですよと告白するようなものだ。批判する人には人間は強くなければ勝ち残れない、強さには悪さが必要という考えがあるのだろう。茶色のメタボ鳩が美辞麗句を集めただけと酷評していたが、恵まれた兄弟間のこき下ろしは滑稽だ。妬みにも聞こえる。
 絆を訴える谷垣氏がヒットラーユーゲントなどとおかしな連想を語っていた。こんな批判では自民党の再生は果てしなく遠い。
 多様性が力の源とすれば、美辞麗句から遠い人が後ろに控えていることは政権に幸いなのだろう。
 所信は分かりました。さあ、どうしますかというのが、国民の最大の関心事で、それが機能しなくてはメタボ弟の批判をまともに浴びることになる。先日触れたように鳩山首相が優れた鵜症たり得るか、注目している。 
 
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ちょっと甘い物

2009年10月26日 | 身辺記
 甘い物に目がない方なので、いつもお茶受けと称して何かしら甘い物が用意?してある。これには甘い物が好きだった両親の影響が大きいと思う。殆どアルコールは飲まず大食漢だった父は頂き物と云うと甘い物で、母は頂き物の箱を揺すってこれはカステラなどと中身を当てる名人だった。妻は甘い物に無縁の家に育ち、甘い物を食べる習慣がなかったのだが、私につられて甘い物を食べるようになった。
 甘い物を食べることを良くないこと(勿論、食べ過ぎは良くない)とは云えないが、朱に交われば赤くなる、人は易きに付く範疇のできごとのように感じる。多少気が咎めた方が旨いのかもしれないと妙な考えも浮かぶ。
 実は診察室の引き出しにはチョコレートが入っていることが多く、患者さんが居る時に開けるとチョコレートが覗いて、減量を指導しているのにまずいなと思う。まあ、覗き込まなければ見えないので、気付かない人が多いと思うが。
 今はロッテのラミーチョコが入ってる。これはわたしの好みのチョコで、40年前に初めて食べた時の感激を今も憶えている。ひとかけら何百円などという高級品に負けず旨いと思う。ちなみにゴディバなどブランド品はなぜあんなに高いのだろうか。美味しいけれど、頂けばともかく、自分で買うことはない。たった一個で何枚も買えるロッテや明治の板チョコで十分だ。。どうも味の話しに値段を持ち出して面目ないが、日本の板チョコ甘すぎず、滑らかでレベルが高いと診断している。
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紺屋の白袴?

2009年10月25日 | 身辺記
 残念ながら鼻風邪を引いてしまった。新型インフルエンザワクチンは受付事務に回して、私は打っていないので風邪を引くとインフルエンザではないかと職員が心配してくれるが、熱はなく鼻水ばかりで関節痛もなくインフルエンザではないようだ。
 医者が風邪をひくのは紺屋の白袴とちょっと違う。勿論、不養生をしているわけでもない。
 二年に一回くらい今頃の時期、風邪のはやり始めに、患者さんから感染させられてしまう。ほぼ感染源の患者を特定できる。喉を診る時、医師を目掛けて咳やくしゃみをするマナーを忘れた患者が居るのだ。避けられるように注意しているのだが、間に合わないこともある。
 どういうわけか風邪をひくのは週末ことが多く、仕事には差し支えない。早めに寝て、土日ゆっくりすれば大体治ってしまう。しかし気分も良くないし、大切な週末もつぶされるし、災難には違いない。
 
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短いハネムーン

2009年10月25日 | 世の中
 長すぎた春のせいか、鳩山内閣のハネムーンはもう終わった。何処へ行ったかよく知らないが、どうも仕事を兼ねてニューヨーク辺りへ出かけたようだ。
 これから予算編成に向けて大車輪で動こうとしているが、あちこちで軋轢音が聞こえる。醒めた国民、野次馬政治評論家、無定見雷同するマスコミという奇妙な取り合わせの中で砂利を噛みながら車輪が回ってゆくわけだが、鳩の肩に掛かる荷は重い。鳩山首相は丁寧な説明を自らに課しているようだが、言い回しや時間の長さよりも国民に分かる説明が大切だ。
 鳩山首相は猿山のボス的でなく鵜飼の鵜匠的な手法が向いており、そうした手法を取るのだろうが、どうも暴れ鵜が多そうで手こずるかも知れない。上手く御すれば力が出るし、間違えば転覆の危険がある。
 評論家やマスコミはともかく、支持者には責任がある。少々うまくゆかなくても、リーダーが渾身の頑張りを見せれば、辛抱強い支持が得られるだろう。
 
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コーラス

2009年10月23日 | 映画
 寝る前にニュースをと思いテレビのチャンネルを変えていたら、禿げた中年男が古びた城のような寄宿舎にやってきた場面に行き当たった。どこかで見たような男だなあとしばらく見ていたら、だんだん引き込まれ最後まで見てしまった。
 2004年のフランス映画「コーラス」。
 第二次世界大戦後の孤児や問題児達を抱える寄宿舎、そこでは子供達の荒んだ生活を体罰で締め付ける運営が行われていた。禿げた中年男は新任の教師兼舎監マチューで、何を思ったか、心貧しく無軌道でいじめや悪戯を繰り返す子供達に合唱を教え始める。
 取り立てて劇的な展開があるわけではないが、合唱と新任教師のマチューが寄宿舎に静謐で透明な変化をもたらす様子が淡々と描かれる。こういう教師こうした人間がどこかにいるよなあと思った。あるいはこんな風でありたいと思ったのかも知れない。何処にでもいそうな何気ない風貌の男の仕草と子供らしい子供達が深い感動をもたらしてくれた。
 もし機会があればどうぞご鑑賞をお勧めする。
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