駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

自白の危うさ

2009年10月17日 | 小験
 どう考えても犯人で実際に犯人でも物的証拠がないと警察検察が困るのはよく分かる。しかし犯人らしく見えても証拠もなく実際に犯人でないことも大いにあるのだ。
 人間の言明など本当にいいかげんなのはいつも実感している。患者さんの病歴で当院での症状の説明と入院先での説明が食い違うことはしょっちゅうで、患者さんは事象が起きてからの経過や周りの状況で陳述を変えてしまうのだ。病院からの報告と当院カルテを見比べながらそうは言わなかったじゃないと首を傾げることはよくある。病名が明らかになり、そう言われてみればと、表現や記憶を変えてしまうのだ。これはどちらも人間的には真実とされよう。正確には真実は間にあるのではないかと考えている。 
 ただ困ったことは、診療はいつも満点とは行かず、後から見た医者が常に有利で正解にたどり着きやすい。あの町医者めとトラブルになった時はどうなるか、多少心配だ。幸い、今まで睨まれたり嫌みを言われたことはあっても訴えられたことはなく、司法に煩わされずに済んではいるが。
 万一の時はカルテが助けてくれるだろう。
コメント
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