駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

町医者の嘆き

2009年10月10日 | 医者
 台風一過、季節外れの暖気の中に秋風が吹いている。朝、医院を開ける時、一人の町医者であること、町医者であったことを僅かな時間だが後悔する思いが胸を過ぎった。 それは自分が人生の盛りを過ぎて、もはや残照の中に佇むと気付いた時、誰しもがふと抱く感慨かも知れない。
 もう何十年も前に目にした料理特集で、山形か秋田かの漬け物名人が思わず口にした言葉を思い出す。取材の記者が見事な漬け物の色と味に感じ入り、近所でも評判の名人を褒めちぎると「自分はみんなに美味しいと言われ懸命に家族や近所の人に漬け物ばかり作ってきたけど、これで良かっただろうかと思う。本当は東京に出て勉強したり働いてみたかった」。と寂しそうに呟いたのだ。
 何をいい年をして世迷い言をと思われるだろうが、市井にあって病人を診ることはあの60年代に膾炙したほろ苦く懐かしい言葉「消耗」そのものなのだ。これは異な事を言うと思われる方も多いだろう。テレビの医者と違うではないか。医療というのはもっと輝く生業に見えると。
 勿論、普段はこれでよいと思って働いているわけだが、決して辱めて言うわけではないが一般大衆のどうしようもない無恥蒙昧に晒される側面もあるので、時に臍を噛む。「患者なんて・・」。と意に介さない仲間が多いのだが、どうもあれこれ考える妙な星の元に生まれたらしい。
 人より優れようとか何か業績を残したい等という色気が残っているのが多分よくないのだろうと思う。そうした志向の対極にあるのが、臨床の本質本領で、還暦過ぎて道半ばと思いなしている。
コメント
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