駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

夏休みの小断捨離

2019年08月14日 | 小験

      

 

 台風十号の影響だろうか、風こそないが小雨が降っている。今年の夏の店じまいは早そうだ。夏には夏空が欠かせない。入道雲を孕んだ青空がなく、ただ暑いだけでは夏とは認められない。秋が終わっても冬が去っても春が過ぎても、夏の終わりのような郷愁は感じられない。八月十五日があるせいだろうか、夏休みが終わるせいだろうか、永遠が見える晴れた日はきっと夏のことだろう。

 今年の夏休みは地元に居なければならない用があり、家に張り付いている。ちょうど良い機会なので、不要品?の整理をした。一時断捨離とよく言われた。もう二度と読まない本使うことのない物を捨てるのは、なるほど確かにすっきりするし部屋が広くなる。しかし、私は修行が足りずどうも何かをなくした感覚がつきまとう。物にはそれにまつわる記憶思い出があり、それがあって始めて思い出せる記憶もあるのだ。六十五歳前の人にはわかりにくいだろうが、高齢者は半ば過ぎた記憶の中に生きている。その記憶を思い起こす縁を失うことは、やせた記憶の中で縋れた人生を生きる恐れを抱かせるのだ。

 不要品の中には使わなくなった半ば壊れた電化製品もいくつかあり、思い切って廃品回収業者を呼んだ。電化製品を行政に頼んで廃棄するのは手間と時間が掛かるので、早くすっきりしたいと思ったからだ。ネットの広告とは違い、電話に出た業者の感じは良くなかったのだが、勢いで比較的見積もりが安かったG社に頼んだ。ところがやってきたお兄さん、現物を見てこれでは五千円では無理、一万円と声に出た。大柄なお兄さんとすったもんだして可燃ゴミを外して八千円で持って行って貰った。職業に貴賤はないと言うがどうも怪しげな感じが抜けなかった。ステレオカセットプリンター・・計七台に雑多な金属製の不要品段ボール二箱、廃品と入っても幾ばくかの値打ちがあるはず、まあ業界の内情を知らないので渋々大金?を払った。たいした家でもないのに、立派なお宅ですねえと褒めてくれたのも嬉しくなかった。

コメント (2)
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