駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

休み明けに考えた

2019年08月16日 | 小考

    


 広域鈍足台風のおかげで、台風一過の青空はなくまだ風が吹き小雨が降っている。湿度は高いが幸い気温はさほど高くなく、トボトボと休み明けの出勤をしてきた。今週いっぱい休みの会社もあるらしく、電車は空いていた。

 黙って座ればぴたりと嵌まる。診察室の椅子に座ると忽ちルーティーンの仕事モードになるから不思議だ。数か月離れていれば僅かな違和感はあるだろうが、それでも一日二日でいつもの体制に戻れそうだ。一年くらいまでのブランクなら一週間で元に戻れそうな気がする。五年となればさすがに戸惑いは大きく元に戻るのにかなりの時間が掛かるかもしれない。

 戦争記録にもいろいろあると思うが、召集され戦地に二年三年と居て戻った兵士の眼に故郷日本はどう映っただろう。どうやって様変わりした日本に溶け込んでいったのだろう。そうした記録がきちんと残っているだろうか、こんなはずではなかったは負けたのだから仕方がないと飲み込んでしまったのだろうか、様変わりしていてもなじんだ椅子に座れば三年前の日常が戻ってきたのだろうか、生きるために忙しく感慨に浸る暇もなかったのだろうか。日本人はと言うと過ぎるかもしれないが、我々は忘れること水に流すことが得意なのは確かなように思う。それが良い悪いは無体な問いに思えるが、忘れてはならないことはあるだろう。

 なんでもない日常の有難さというものが、インターネット携帯ゲーム外食の子供たちに果たしてわかるものだろうかと疑問が浮かぶ。こうした問いに我々は十分答えられているだろうか、芸能評論家、文科省厚労省、そして政治家だけでは答えられない問題で、勿論一人の手に負える問題ではないが、一人一人が考えないと解決の糸口さえ見つけることはできないと思う。なんだかなあ、どうしたものかなあとしばし考えた。休むに似てしまうのだけれども。

コメント
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