駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

わかりにくい人達

2011年06月10日 | 人物、男

 

 人間、特に男には外の顔と内の顔が大分違う人も多いようだ。そうした裏表は誰にも多少はあるもので建前と本音というか生きる術として了解可能の範囲だが、一体この人は何が言いたいのか、どういう人なのか分かりにくい男達が居る。女性にも訳のわかない方がいらっしゃるが、それは私の手に余るのでさておいて、わかりにくい男の代表を二人ばかり挙げておこう。まず、田中康夫だ。この人はへたくそな翻訳のような持って回った表現をする人で、一言で終わる発言を聞いたことがない。もう一人は同じ人の発言とは思えぬことを、訛っているから気が付かないだろうとばかりに、好々爺然としてまとめる渡部恒三だ。

 このどちらをも歯牙に掛けない人がおられるようだが、私はそれなりに評価し目に留めてきた。殊に田中康夫は奇妙な露出趣味は別として、持って回った言い方ではあるが、既得権に対抗し自立と自由を尊重し、虐げられる人を擁護する発言をしてきたように受け取っている。ただ、どうしても理解不全感を拭えない。修飾がヒラヒラして曲がりくねり、中身がわかりにくい感じがする。田中自身はそんなことはないと言うだろうか、あるいは物事の本当の姿はそのようにしか表現できないと言うだろうか。

 渡部恒三は昔は訥弁のせいもあって、大所から穿った妥協案を提示する好々爺の様に思っていたが、ここに来て結構黒い毒を含んだ立ち回りを演ずるように変わってきた印象がある。一体何を主張しているのか、よくわからない。自分の役割を大きく引き立てようとしているだけなのか、何か構造的な変化を目指しているのか。政局を餌に七変化するハイエナのように見えてくる。

 たまたま目に留まった二人を挙げた。わかりにくくても、厄介なことに政治家は我々の生活に関わってくる。勿論、一人一人の力は微々たるものだが、さりとて蓋をして我関せずでは、何か大切なものを放棄したことになるだろう。

 この不思議な人達を鑑賞鑑定する面白み楽しみを逃す手はない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする