駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

打ち止め台を叩く人

2011年06月15日 | 人生

 

 もう二十年以上パチンコをやったことがない。大きな声では言えないが、トイレを借りに入ったことはある。

 最近、パチンコ業界について色々喧しいようだが、個人的には規模を縮小して形態を変えれば存続しても構わないと思っている。ただ、今の規模は異常だと感じている。医療費に匹敵する産業とはどういうことなんだろう。

 今はよく知らないが、パチンコには打ち止めというのがあった。一つの台で、ある一定数玉が出ると、それ以上は出せませんと、それで終わりになる仕組みだ。つまり、玉が出やすい台で腕が良い人が際限なく玉を出すと、パチンコ屋が大損になるので、一定数でご勘弁をというシステムなのだ。昔は毎日打ち止めになるほど玉を出して、それで生活しているパチンコのプロという人が居たと聞く。

 長く市中で臨床医をしていて、いつの間にか九十歳を越える患者さんが何十人と増えてきた。長生きの方は大まかに三種類あるように思っている。穏やかに老いによる身体の不都合を従容と受けいれられる方、我が強く我が儘で生命力溢れた方、そして身体は比較的元気なのに脳の方が惚けて仕舞われる方だ。

 腰が痛い、夜何度も小便に起きる、便がすっきり出ない・・・と毎回あれこれ訴えられる九十過ぎの患者さんが時々居られる。精一杯頭を絞って薬を調合、生活指導をしているのだが、いかんせん満足するまでは解決してあげられない。こうした比喩はけしからんと言われる方が居られるかも知れないが、ひょっとして打ち止めの台を玉が出ないぞと叩いて居られるのではと思うこともある。出来るだけのことをしているのに訴えが続くとこうした考えが頭を過ぎることもあるのだ。パチンコ屋でそんなことをすれば、ちょっと恐そうなお兄さんがぬっと現れ「こらこら、打ち止めだろ」。と一睨みされるだろう。

  

コメント
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