駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

感謝を忘れた被爆者は

2011年06月18日 | 小考

 

 広島市長の「感謝を忘れた被爆者」発言が非難されている。普通の感覚で実感を言われたのだと思う。被爆二世なのにけしからんと被爆者団体から糾弾されている。表現の仕方に多少問題はあったかもしれないが、被爆は水戸黄門の印籠ではない。被爆者の苦しさを知らない奴が何を言うかと言われるかも知れないが、被爆は全てを薙ぎ倒す絶対権なのだろうか。理不尽に人を打ちのめす不幸不運は世に溢れていると申し上げたい。

 こうした正直な感想への攻撃が、隠然とした言論(自由な発言)への圧力になっているのではないかと危惧する。市長は言葉を尽くして真意を説明したいと言われている。どうか、話し合ってそれを公開して欲しい。

 被爆させた責任はどこに、あるいは誰にあるのだろうか。百年否二百年経っても世界を納得させる結論は出ないだろう。被爆者への補償や保護は責任から生じているのだろうか?。私は理不尽な不運不幸に見舞われた同胞を慈しむ心が源と感じている。

 不毛な極論の応酬を恐れ、殆どの医師は黙っているけれども、生活保護者の診療で時に違和感を感じない医師はいないと思う。

 平静に語れば決してタブーではない重要な課題を、避けることなく穏やかに語り合うことが、今必要とされる。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする