練習日誌、旅日記

水泳の練習内容をメモ帳代わりに記録しています。旅日記もつける予定。

18回

2017-08-11 10:19:49 | スポーツ
さてと、私の日本実業団水泳競技大会を振り返ってみようか
超長文になりそう
まぁ、全部読む人もいなかろう。

18回出場の日本実業団水泳競技大会の開催地は…

①2000(平成12)年:宮城・利府(1回目)…………弊社3人エントリー、2人で初出場
②2001(平成13)年:千葉・習志野……………………弊社参加者1人
③2002(平成14)年:静岡・富士(1回目)…………弊社3人参加
④2003(平成15)年:沖縄・那覇………………………弊社参加者1人
⑤2004(平成16)年:秋田・秋田………………………弊社5人参加、初の継泳出場(年齢別Med継)
⑥2005(平成17)年:長野・長野………………………弊社5人参加、継泳2種目出場(年齢別Fr継、年齢別Med継)
⑦2006(平成18)年:愛知・豊橋………………………弊社6人エントリー、5人出場
⑧2007(平成19)年:大分・別府………………………弊社4人参加
⑨2008(平成20)年:福井・敦賀………………………弊社4人参加
⑩2009(平成21)年:宮城・利府(2回目)……………弊社5人参加、10年連続出場表彰
⑪2010(平成22)年:京都・京都………………………弊社4人参加
⑫2011(平成23)年:岐阜・岐阜………………………弊社6人参加
⑬2012(平成24)年:熊本・熊本………………………弊社6人参加
⑭2013(平成25)年:兵庫・尼崎………………………弊社女子部員1名初参加、計6人参加、女子部員2種目入賞、弊社1人10年連続出場表彰
⑮2014(平成26)年:和歌山・和歌山…………………弊社5人参加、女子部員2種目表彰台
⑯2015(平成27)年:鹿児島・鹿児島…………………弊社5人参加、女子部員2種目表彰台、弊社1人10年連続出場表彰
⑰2016(平成28)年:高知・高知………………………弊社6人エントリー、5人出場
⑱2017(平成29)年:静岡・富士(2回目)…………弊社6人参加、日本実業団水泳競技大会閉幕

こうやってみると、結構長い間出場していたんだなぁ、と改めて思う。

利府(1回目)は、初代の愛車で行った。
秋田、長野、敦賀、利府(2回目)、京都、岐阜は2台目愛車。
尼崎、和歌山、富士(2回目)は3代目愛車。
那覇、別府、熊本、鹿児島、高知は、当然飛行機。
富士(1回目)、豊橋は新幹線で行った。
習志野は電車で日帰り。当時は2日目しか出なかった。

1回目の利府の時は仙台に宿泊。ちょうど七夕祭だった。
競技会場では「駐車場ガラ空き~」と思ったら、広い運動公園の一番端っこに停めてしまっただけで、プールまでめちゃくちゃ遠かった。

習志野では同業MC社のSTさんが表彰台。私は当時の自己最速タイムが出て、一応満足して帰った。
初出場の時一緒に行った弊社Tさんは、奥さまの大きな手術があったため、この年は1年間休部。
でも、習志野には応援に駆けつけてくれた。

富士(1回目)は今回(2回目)同様、宿泊で苦労した。はボロかった
でも、同じに当時のFr短距離の日本記録保持者だったYTさんが泊っていて、「我々ごときが文句言っちゃいけない」と思った。

那覇は、日本実業団水泳競技大会は毎年8月第1週週末なので、が高い高い
会場ではM社とご一緒させていただいた。この時初めて、「日本実業団の場所取りって、メチャ大変なんだと驚愕。
屋外プールでサブプールは水温36℃の条件の中、知り合いのTY社ASさんが大会新記録で優勝

秋田は暑かった。台風一過でフェーン現象。秋田なのに35℃
角館、田沢湖(1泊)の観光してから、盛岡で冷麺食べて帰った。
初めて同業M社、C社と宴席を設けたっけ。この宴席で「旦那は水泳、女房は観光&買い物、夜は皆で焼肉のソウル合宿やろう」なんて話がM社のTTさんから出て、弊社では実現できたんだよなぁ。
ちなみにMS社のTHさんがFlyで表彰台。

長野では、弊社ISさんがFr継3泳でほぼ溺死
ほとんどBrしか泳いだことがないが、とにかく身体能力が高い(空手、合気道、マラソン、自動車ラリー、自転車、剣道、柔道なんでもござれで筋力、柔軟性とも半端ない)ISさんに3泳を任せたところ、快調に泳いでくれた。
ところが、途中で波を食らって水をしこたま飲んだら普段はFr、いや水泳の練習をあまりしていないIさんは対応できずにもがき苦しんで、やっとこさ4泳に引き継ぎ。
1泳の私がプールからISさんを引き上げた時は、瀕死の状態

豊橋はビジネスホテルが取れず、2食付きの旅館に宿泊。参加者全員同部屋。
2泊目は業界宴会のため、夕食は予約時点では払って放棄。
でも、会場に近い宿だったので、窓から外を眺めて「お、そろそろ来はじめたな」と思ったら即出発、列の比較的前の方で、席の確保は楽だった。
宴会に行く前にMS社の方と露天風呂に浸かっていい気持ち。

別府は自己最速タイムだった。宿泊はMS社、C社と同じで、私は大会終了後湯布院へ。
翌日、レンタサイクルで湯布院の観光中にゲリラ豪雨に遭遇。身動き取れず、あわや帰りのに乗り遅れるところだった

敦賀では皆さん宿酔でツライ大会に。。。屋外プールで周囲に店もなく、脱水と熱中症のリスクに怯える大会
MS社KAさん、決勝進出。
DS社のOTさんとは友情を確認する大会に?理由は、大会に関係する何かです(ヒミツ)。

2回目の利府。宿泊は仙台を避けて塩竃に。こちらの方が利府に近い。の数は少ないけど。海の幸も美味しかった。
私にとっては10年連続出場の表彰の場所。
私と同じ年に連続出場が始まった方は、10年表彰が最初の出場地だったので、皆それぞれ感慨深かったんじゃないかな
本チャンの大会ではMS社THさん、決勝進出。
レース終了後は、私のお祝い会兼ねて弊社の皆さんと秋保温泉に行ってきました。
MS社の方も何人か秋保温泉に家族で行かれたようで、良い大会でした。

京都は歴史に残る大宴会を開催。弊社、MS社、C社の他、TK社、O社、D社などなど、総勢50人くらいいたかな?
TK社から2人、MS社から1人、決勝に進出。

岐阜には弊社新入部員のWさんが参戦。
WYさんは元岐阜県の国体選手で、Fr中距離では県内無敵、大会主管の県水連にも知り合い多数。
でも、(タイムも体形=腹も)恥ずかしくて挨拶に行けなかった模様
夜はWYさんの親御さん、弊社の岐阜事業所にいたことのあるSHさん等も合流して、アユ料理に舌鼓。

熊本は弊社の出張所に同期の女子社員がいるため挨拶に。
翌日はなんと、朝イチのMed継を観戦に来てくれていたらしい。
そうと知っていれば、ちゃんと夜もご接待申し上げましたのに
大学時代にH大水泳部で活躍していたという弊社福岡支店の女子社員KAさんも(彼氏のレースの?)観戦に来ていたようで、翌年には弊社から実業団に参戦。

尼崎は熊本に観戦に来ていたKAさんが弊社初の女子部員として初参加。
いきなり2種目決勝に残り、「スゴイね」と言ったら「(表彰)台に乗らないとダメです」とのお返事。
「レベルが違うワ~」と一同唖然。
この年、前年の熊本で10年連続出場表彰を受けたC社KFさんが、大会1ヵ月前に突然の病に倒れ、生死の境をさまよい、連続出場が途切れた
幸い命に別状はなく、現在はお元気になられた模様。
またプールに帰ってきてくださることを信じています。

和歌山に行った時は、朝試合会場に行こうと思ったら左後輪がパンクしていた
現地のディーラーさん、お世話になりました。
弊社女子KAさん、2種目表彰台に乗りました。MS社のTHさんも表彰台。

鹿児島では弊社女子KAさん、またも2種目表彰台。本人曰く「一番高いところじゃないとイヤ」だそうですが
MS社TTさん、同僚のレースを観戦しないで指宿に行った部員2人にオカンムリ。
私は大会翌日に九州新幹線⇒SL人吉⇒いさぶろう⇒はやとの風と特急を乗り継ぐ「鉄」な旅。
お宿でいただいた黒豚しゃぶしゃぶ、美味でした。

高知は新幹線⇒特急乗り継ぎで来た人が結構いたのでビックリ
私はと言えば、最寄り駅から朝イチの羽田空港行きに乗車も、首都高大渋滞に巻き込まれ、出発の2時間前に空港に着いて朝ごはん食べる予定が、なんと20分前の到着。カウンターに走って荷物を預け、手荷物検査もファストパスでギリギリセーフ。
からプールの移動手段にも苦労。シャトルバスはないし、タクシーは出払って手配不能
たまたま私がレンタカー借りていたので、順次皆さんを乗せて4往復。

最後となった2回目の富士。
宿が取れなくて、業界の皆さんの宿泊地もバラバラ。A社は静岡だそうで
先輩のいるIT企業Y社は清水、知り合いのIJさんは沼津と、とにかく宿泊が大変。
で、場所取りも大変。皆さん何時にプールに来るのか予想も出来ず、皆早めの出陣。
弊社と同宿のMS社は1日目05:30に出たけど、列の結構後ろの方だった。
2日目は05:00に出発したが、1日目と同じような位置。
でも、席は確保できました。連続出場している間、席取りはMS社との共闘。
MS社がいなければ、会場内で座る場所もとれなかった公算が大きい。
ホント、MS社にはお世話になりました。

幼いころから運動音痴の私が、この歳になるまで泳いでいられるのは、皆さんのおかげ。
運動が苦手な息子をなんとかしようと、出来たばかりのスイミングスクールに通わせてくれた両親に感謝。
高校で水泳部に入ったのは、他校で水泳部に入った中学の同級生YYさんに勇気づけられた部分が大きい。
大学~入社8年目くらいまではほとんど泳がなかったけど、本社に転勤した時に水泳部に誘ってくれたITさんにお礼を言わねば。
水泳部といっても月2回の練習会がやっと。そんな中で1人気を吐いて、毎回たくさん泳いでマスターズに参加していたIKさんには刺激されました。
インターネットのはしりの頃、高校の水泳部OB会のHPを作っていたHSさん、彼がいなければOB会や水泳協会で水にかかわることはなかった。
マスターズに出た翌年、同業D社に勤務していたKTさんの「御社は実業団でないんですか?」のひと言で実業団参戦が決定。背中を押してくれた。
最初は東京都実業団のみ出場、日本実業団なんて遠い世界と思っていた。翌年、大学水泳界の強豪C大でMed継メンバーだったTSさんが参戦。TSさんの「日本実業団に出ようよ」がなければ、絶対に参加することはなかった。
高校水泳部の同期のKKさん、同業MS社に勤務していて弊社との橋渡しをしてくれた。彼がいなければ、後のMS社との交流はない。
MS社のTYさんは神奈川の名門S高水泳部OB。S高水泳部OB会副会長のC社KFさんとはお知り合い。C社との距離が縮まった。
MS社のTTさんは私と同い年。私の高校水泳部の同期のETさんとは大学水泳部で同期。
K市水泳協会で知り合ったIJさん、実業団に参戦中でした。
K市市民水泳大会でご一緒したJS高水泳部の顧問のOOさんは、高校の水泳部の先輩。C大水泳部出身で、YD社のSTさんの大学の先輩。
YD社には高校の水泳部の同期がいて、東京都実業団で20年ぶり?の再会を果たした。
TTさんのH大水泳部の後輩のKSさんは、私の弟と中学高校の同級生で、高校水泳部の後輩(私の弟はバレーボール部)。
高校の水泳部の後輩のFTさん、「Mさん(私)が今でも泳いでいるのは衝撃的でした私も泳ぎます」。高校時代にエースだったFTさんの言葉は、私を元気にしてくれました。

もっともっと多くの人と知り合うことが出来て、いろんな所に行って、いろんな美味しいものも食べ、楽しく笑って過ごした実業団水泳。
水泳って狭い世界かもしれないけれど、いろんな繋がりが生まれて、今がある。
これからも、多くの人とのつながりを大切に、楽しみながらいつまでも泳いでいたいと思います。

皆に感謝
最初から最後まで読んだ奴はいないだろうな(;^ω^)
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