玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*もっと笑いを

2008年01月15日 | 捨て猫の独り言

 新聞で笑える記事に出会うことはそれほど多くはない。1月5日付毎日のコラムの近聞遠見(岩見隆夫)につぎの様な話が紹介されていた。ある正月の七草を過ぎて残りの餅を雑煮にしようとすると、すでにカビだらけだ。弟子の一人が 「どうして餅ってカビが生えるんでしょう」 と何気なく言ったら、そばにいた師匠が 「バカヤロー、早く食わねえからだ」

 師匠とは落語家の林家彦六である。一刻者で晩年は声が震え、言葉がスラッと出てこない。それが不思議に芸になり格別の味わいがあった。何気ない弟子と江戸堅気のせっかちな師匠の意識のギャップが可笑しい。バナナの皮でホームレスが転んでも可笑しくないが総理大臣だと可笑しい。およそ笑いは差別化によって生じると説明される。

 江戸や上方は地方に対して人口の集中する中央だ。そんな場所で落語や漫才の笑いの文化が形成される。人多ければ複雑な人間関係を円滑に処理する必要があろう。日本の辺境である亜熱帯に育った者には眩いばかりの世界である。現在たまたま私が見続けているNHKの連続ドラマ 「ちりとてちん」 は上方落語界を舞台に展開されている。

 私は落語に詳しくはない。そんな私がこれまで抱腹絶倒させられた忘れられない二人がいる。それは今は亡き東の春風亭柳昇と西の桂枝雀である。これからは芸の中だけでなく自分の身近な生活の中にたくさんの笑いを見出したい。そもそも我々の生活は悲しみに満ち満ちている。笑いを得ることはやさしくない。笑いに対するアンテナの感度を磨くことが必要だ。 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうです、そうです。全く同感です。笑いを探しま... (笑い上戸)
2008-01-16 11:29:35
そうです、そうです。全く同感です。笑いを探しましょう。笑いを与えましょう。今更シワなんて気にしな~い。
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できれば他を笑わせたいが、ユーモアセンスは素質... (センス)
2008-01-16 16:05:29
できれば他を笑わせたいが、ユーモアセンスは素質的なものです。センスがないのにまねをするといかにもつくりものになる。おやじギャクがそうです。本人だけの自己満足、聞かされてサムイ。だれでも努力とその気があればできるのは「笑顔のほどこし」だと思います。遠くから目があって視線をそらすか、笑みを返されるか、でその後の気分が違うのはよくあります。ほんのちょっとしたことですけどね。
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おやじギャグも善意の発露かもしれませんね。そう... (ほほえみ返し)
2008-01-17 10:16:57
おやじギャグも善意の発露かもしれませんね。そう考えるとこれは保護育成すべきものではないでしょうか。稀に人を笑わせるセンスのある人を身近に見かけることがあります。人を笑わせることは難しいですが、微笑みぐらいは私でも努力目標になります。なぜか釈迦が微笑む図は想像できますが、釈迦が抱腹絶倒して床をたたいている図は無理ですね。
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NHK料理番組に某男性アナウンサーが出演します。こ... (ひねくれ者)
2008-01-17 14:59:38
NHK料理番組に某男性アナウンサーが出演します。この方が先生にダジャレをいうのが定番になってます。先生もなんとなく反応しなきゃいけない。アナウンサーのもとには「ダジャレが楽しみ」という視聴者の声があるとかで、のっているご様子。好番組ながら、ダジャレが嫌でこのアナウンサーの出演のときは見ないことにしています。アナウンサーは先生と料理の引き立て役に徹すればいいのです。
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