玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*県民大会

2017年08月14日 | 沖縄のこと

 4月に辺野古に出かけた時に、ゲート前の座り込みが縁で親しくなった方がいる。千葉在住でメールを交換したが、その後は互いに連絡を取り合うことをしていない。その方に私がある一つの空想の話をしたことがある。「大浦湾の埋め立て予定地の海面下には巨大なガマ(洞窟)が存在し、埋め立ては無理であることが判明して新基地建設は白紙に戻る」というものだ。ブログ「チョイさんの沖縄日記」に私の空想に近いことが起きているのではないかと思わせる記事が出た。沖縄防衛局のホームページによると、海底ボーリング調査の全面やり直しが行われることになったらしい。今後の展開に注目である。(13日の毎日・産経)

 

 さて原田マハ著「太陽の棘」は、すらすらと読み終えた。従軍画家として戦地を転々としていた沖縄出身の画家たちが、沖縄戦で同胞が蒙った苦難を追体験するために終戦直後に沖縄に戻ってくる。その画家集団と米軍基地の若き医師との交流の物語だ。戦争が終わると空き缶でサンシンを作って歌い踊った沖縄の人たちだから、絵を描き続けた集団が存在したというのは事実だろう。そのことには感動したけれども沖縄戦の悲惨さは描かれていない。そのせいだろうか小説になにか物足りないものを感じた。(13日の朝日・東京)

  

 新刊本コーナーで「対談 沖縄を生きるということ」を目にして、さっそく手に取ってみた。1967年宮古島生まれ・琉球大教授新城郁夫と、1931年生まれ・早稲田大名誉教授鹿野政直との対談集だ。じっくり読んだわけではないが話題は多岐にわたるため、私には消化不良を感じさせられた本だった。沖縄の基地を本土のどこかに移設することは何の解決にもならないと指摘する。その対案が「地位協定改定要求」である。私が辺野古ゲート前に身を置くのは「新基地建設反対」のためであり、そして悲惨な沖縄戦を忘れないことが私の出発点である。

  その本の中で新城のつぎの言葉に共感した。「人を傷つけたくないっていうのは、傷つける自分に傷つきたくないということですから。それはやっぱりずっと沖縄の思想としてある。おそらく基地反対が長く続いていく中でも、それがあれば私は大丈夫だという気がしているんです」12日(土)には「翁長知事を支え、地方自治と民主主義を守るため、不条理に全力で抗い続ける」とした県民大会が約4万5000人が参加して那覇市で開かれた。探してみたが13日の読売には、このことの記事は見つからなかった。おかしなことがあるものだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« *AI囲碁ソフト | トップ | 新築の補修工事 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

沖縄のこと」カテゴリの最新記事