玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*2年目の夏

2011年08月08日 | 捨て猫の独り言

 トマトとキュウリの収穫は7月で終わりその残骸はすでに畑から撤去した。トマトもキュウリも例年を上回る収穫量だった。例年と違う場所に作った幅一間半のニガウリネットは現在は手のひらサイズのニガウリの葉で覆い尽くされている。2階部分の高さまで伸びるだけ伸びて行き場を失い、今度は込駈け下り始めている。緑のカーテンはまもなく緑のじゅうたんとなる勢いだ。市場に出回っている細長の品種と異なり、ずんぐりむっくりのニガウリだ。ニガウリはある大きさになるとすぐに黄色に変色するので収穫時期が遅れないように気をつけねばならない。

 昨年は不作だった柿の木は小さな実をかなりつけているようだが、その小さな実のままで落下しているのを多く見かける。垣根ごしに向こうの道路に落ちて車のタイヤで粉々に潰されている。今年の収穫も期待しない方がよさそうだ。柿の木はその若葉を愛でるためにそこに在ると観念すべきだ。今年は梅雨時に庭の紫陽花が咲かなかった。またいつもならこの時期すでに咲いているはずの庭のサルスベリも今のところ咲いていない。いずれも剪定の仕方が影響しているのだろうか。

 私は完全退職して2年目の夏を迎えた。1年目の昨夏は現在はアトランタに住んでいる孫娘2人の子守に追われていた。5月から7月にかけてほぼ70日の不思議な日々だった。子育て中の若い母親の気持ちをよく理解できた日々ともいえる。その時の孫娘の遊び友達だった近所の幼い子供たちも見違えるほどの成長している。93歳の親父が死去したのも去年の7月である。私が2人の孫娘を連れて鹿児島に行き、元気な親父と曾孫との面会をすませて私達が東京に帰った翌日に親父は危篤となりその後まもなく死去したのだった。

 つい先日7月末に親父の1年忌のために単身で帰省した。1年忌といってもごく内輪の者が集まった夕食会という簡素なものだ。昨年から始まったのだが、帰省すると早起きして鹿児島市内を一望できる城山展望台のラジオ体操会に参加するようにしている。そこは鹿児島を訪れた人なら誰もが知る場所である。6時になると有志によってクスノキやシイノキの大木のある展望台広場が掃き清められる。ほとんどの人が一礼して広場に足を踏み入れる。体操の始まる6時半頃は太陽は桜島の北岳の左に山より高く昇っている。昨年思わずお歳を聞いた上半身裸でベンチで腹筋運動するあの人に今年も会えた。80歳を過ぎてますますご壮健である。

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