玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

秩父のこと

2005年04月02日 | 捨て猫の独り言
30年以上もまえに、同僚の結婚式のために初めて秩父を訪れた。1970年に西武鉄道が秩父へ延長された直後のことだ。正丸トンネルを抜けると間もなく武甲山が見える。秩父盆地は、「要塞」のように感じられた。神社の畳の大広間に黒塗りの膳が並び、土地の酒が振舞われた。そのときの新郎と私は、しばらくして別々の職場に移ることになったが、その後も家族ぐるみの交流が続いている。荒川にかかる、モダンな秩父公園橋の近くに、私の立ち寄る場所がある。

初めの頃に、案内されたのは音楽寺である。秩父札所34ヶ所の観音霊場の第23番の音楽寺は、秩父市と小鹿野町の間に連なる長尾根丘陵にあり、秩父盆地の町並みが眼下に広がる。桜と好展望で知られる人気の札所だ。明治十七年(1884年)11月2日飢えと借財に苦しむ農民で組織された困民党が、竹槍や鉄砲などで武装蜂起しこの音楽寺に終結した。銅鑼を乱打し、それを合図に河岸段丘を駆け下り、大宮郷(秩父市街地)へなだれこんだ。自由民権運動の激化事件の一つだが、十日あまりで鎮圧された。世にいう秩父事件である。

12月3日は秩父夜祭である。2日の神馬奉納のあと、3日夜、笠鉾と山車が「お旅所」まで渡御し、このとき秩父屋台囃しが奏される。祭りは町内会の持ち回りで運営される。彼が当番のときに、私は招かれて、はっぴと鉢巻を受け取り山車を一部の区間だけ引く機会が与えられた。そのとき、いつに間にやら眼鏡の片方のレンズを紛失していた。祭りのクライマックスは「お旅所」直前の談合坂にある。連続する花火の光と音とともに短い談合坂を山車が傾き軋んで駆け登り大歓声が沸き起こる。混沌たる祭りの全体像を把握するには、一夜では困難だ。

秩父は、酒、ぶどう酒、うどんそば、山菜保存食そして鉱泉、札所、祭りなど個性的である。ときおり我が家では秩父屋台囃しが流れる。

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