あられの日記

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岡倉天心記念館とハギ寺 谷中散歩その7

2017年11月07日 05時43分29秒 | 上野・根津・湯島・神田
観音寺の築地塀鑑賞後、最短コースで谷中銀座へ行く道を浪漫ちっくマップを眺めて決めた。
西に向かうと突き当たりを右折れして一度足が止まる。坂道です。まさかの急な下り。うそ〜ん。しばし考えたものの、谷中墓地は台地の上にあるから、谷中銀座へ行くならどっちみち坂を下るので、このまま最短コースで!変更なしで!!
手元の浪漫ちっくマップには、進行方向に道沿いに岡倉天心記念公園がある。
岡倉天心といえば、明治期の日本文化を守った人です。歴史のテストではアメリカ人のフェロノサとセットで覚えた人だ。

すでに時刻は午後3時半近く。帰りの電車に乗るのがあんまり遅いと帰宅ラッシュに巻き込まれてしまう。急ぎたいけどちょっとだけ。と、ついつい寄り道する。
説明板発見:東京都指定旧跡岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡
日本美術院は明治31年(1898)岡倉天心が中心になって「本邦美術の特性に基づきその精神開発を図る」ことを目的として創設された民間団体で、当初院長は天心、主幹は橋本雅邦、評議員には横山大観、下村観山がいた。
活動は絵画が主で、従来の日本画の流派に反対し、洋画の手法を取り入れ、近代日本画に清斬の気を与えた。
この場所に建てられた美術院は明治31年9月に竣工した木造2階建で、南館(絵画研究室)と北館(事務室・工芸研究室・書斎・集会室)からなり、付属建物も2.3あったと言われている。明治39年(1906)12月に美術院が茨城県五湖に移るまで、ここが活動の拠点となっていた。
昭和41年(1966)岡倉天心記念六角堂が建てられ、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
実は以前岡倉天心の生誕地を訪問したことがある。
ランチをとらねば(2010.11/8)の記事 こちらの記事に岡倉天心の生誕地の石碑の画像があります。実はここ、誰でも知ってる横浜三塔の一つでもある旧開港記念横浜会館なんですよ。岡倉天心は彼の父が生糸の輸出の仕事をしていた関係から、幼い頃より英語に慣れていて、東京大学の講師をしていたフェロノサの助手になった。フェロノサは海外に向けて日本美術を収集紹介し、日本人に国宝という考えを教えたのも彼。そして二人は東京美術学校を作るのです。


こちら岡倉天心記念公園の公衆トイレです。街歩き途中のトイレ休憩にも使えるので覚えておくと便利だよ?
公園前の道を北へ。と?何か緑のものが?
あ、これハギだ。谷中散歩は2017年9月14日に訪問しました。だからハギの見頃にはまだ早かったのですが。

つぼみがほとんどないっ。え?見頃にまだ早かったの??
白萩は少し咲いてた。でもピンク色のは??あるのか?今年のハギは8月の長雨で名所もあんまり花をつけないまま終わったという嘆きを、どなたかのブログで見たんですが。もし来年以降ハギの季節に谷中散歩をする機会があれば確かめたいなあ〜。
ちなみに谷中のハギ寺は宗林寺さんといいます。
小道をさらに北へ。もうすぐ谷中銀座に着くハズ何だけども?

突然の行列です!何の行列?ラーメン??にしては女性が多すぎだわ。列をたどって先頭へ。ひみつ堂さんだって。自然の寒さで育った天然氷を昔ながらの手動式で削ったかき氷屋さんでした。訪問日は9月14日ですから、半袖の人もいますね。うわ〜、唐突に行列が現れたからびっくりしたわ〜。(続く)

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