あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

谷中散歩その1

2017年11月01日 05時32分56秒 | 上野・根津・湯島・神田
2017.9.14訪問。上野の科学博物館で開催された深海展を楽しんだ後、上野桜木へ。目的は谷中墓地の15代将軍徳川慶喜のお墓です。早速トーハクから芸大方面へ移動です。トップ画像はトーハクこと国立博物館の旧因州池田屋敷表門です。江戸の趣のある門の向こうは博物館なんだよね。この門は常に閉まってます。開いてるところ見たことないよ。

2017.11.7画像追加しました。
11月7日にANDO建築スタンプラリーをやりまして、国際子ども図書館もスランプラリーにラインナップされてます。旧因州池田屋敷表門(黒門)の前を通ったら、門が開く日があるのを知りまして、画像追加します。
土日に門が開くから見たことなかったのか〜。

説明板発見:旧因州池田屋敷表門(黒門) 重要文化財
この門は、元因州池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれる。表門は昭和29年3月、さらにここに移建して修理を加えたものである。
創建年代は明らかでないが、形式と手法から見て、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。
昭和26年9月、重要文化財に指定。

トーハクの西側の道の角に古い建造物。これ、なに〜だ?答え:かつてあった旧博物館動物園駅の出口です。現在は使われてません。道を挟んで西側には、国際子ども博物館と、黒田記念館があります。黒田清輝の作品が収納されてます。
黒田記念館(2010.12/23)の記事 こちらの記事の黒田記念館の外観と黒田清輝の代表作の画像があります。
旧帝国図書館(2010.12/22)の記事 こちらの記事に国際子ども博物館の外観の画像があります。この建物は帝国博物館として明治39年に建てられました。

さらに西へ。道の左右に東京芸術大学があります。芸大の博物館があるのもここ。ちなみに、上の画像は芸大の音楽学部の門です。風格あるよね。東京芸術大学赤レンガ1号館(2013.9/22)の記事 こちらの記事に上の画像にある正門奥にあるレトロ建築の画像があります。
道が突き当たる。右に見える細道を進むと?上野桜木の交差点に出る。細道は個性的な民家があって、玄関先の鉢を撮影。

これさ、中にホテイアオイを浮かべてましたが、壺の絵はニモ!関係ないんだけど、馴染んでるんだよね。ついつい撮影してしまったわ〜。

上野桜木の信号の道向こうに旧吉田屋酒店こと下町風俗資料館付設展示場です。
旧吉田酒店(2010年12月24日)の記事 こちらの記事に旧吉田酒店の屋内の画像があります。
もうこの辺りはちょっと進むと見所が!!という、レトロ好きには見所が多すぎて先に進めない。道の左手が有名な谷中です。ちなみに右手は上野桜木ね。
説明板発見:旧谷中町
天正から元禄(1589〜1703)にかけて、町屋の区域が武蔵国豊島郡谷中村より独立して、谷中町として起立した。
谷中という地名は江戸時代からあり、その由来は上野台(代山)と本郷台の谷間に立地していることにちなみ、下谷に対して付けられたと言われています。
本町の江戸時代の町屋は、言問通り(八軒町)と天王寺へ行く通りの面(総持院門前町まで)に形成されていた。明治初年、大雄寺を始めとする寺池が合併されて町域が定まった。
大雄寺には、勝海舟、山岡鉄舟とともに「維新の三舟」と言われた高橋泥舟が大クスの木の下に眠っている。この大クスの木は、東京都の保存樹木に指定されている。
大雄寺さんの入り口です。
説明板発見:高橋泥舟は幕末期の幕臣。槍術家。名は政晃。通称謙三郎。のち晴一。泥舟と号した。山岡鉄舟の義兄にあたる。
天保6年(1835)2月17日、山岡正業の次男として生まれ、高橋包承の養子となる。剣術の名人として世に賞賛され、21歳で幕府講武所教授、25歳の時同師範役となり、従五位下伊勢守に叙任された。(後略)

あ!個展やってる〜。せっかくだから見ていこう!
ここはK's Green Galleryさん。お邪魔した時は梨園染手ぬぐいの作家さんで磯崎真澄氏の仕事展 「グッと よぉござん寿」(2017.9/8~9/30)の個展をやってました。作品の手ぬぐいは買うこともできました。作家さんが会場にいて、説明してくださいました。
布物は私、大好きで、10年前なら即買いしてた!今も大分欲しかったのですが、布って集めてもしまい込みがちなもの。でもぼちぼち私の人生も四捨五入したら後半に入ってるのですよ。布を集めてしまいこんでてどうするの?と思いまして。できる限り自重してます。最近はしまうより使え!と思いまして、旅先で購入したハンカチやら布をふだん使いし始めました。布で座布団カバーや枕カバーを自作して楽しんでます。会社員時代あんまり忙しく休日は寝て過ごすのみ。買い物したい!欲は通販で解消してました。んで!使いもしないハンカチを毎月購入してた時代があったんですよ。フェリシモって今もあるんだろうか?最近男性でも使えそうなハンカチをダンナの普段使いに数枚。お散歩先で気に入って買ったいせ辰さんのハンカチってか小風呂敷?もダンナの普段使いに使ってます。
ってなことで、この時はみ〜る〜だ〜け〜~っ!で、我慢しました。この作家さんの和手ぬぐいは大分好みだったので、次に出会ったら我慢できないかも?

ギャラリーの前、道を挟んだ向こうにおせんべい屋さんがある!うわ〜〜!!
懐かしい店構えっ!うちの田舎ではこういう感じの店はほとんどなくなってしまいました。
あ〜ん??八十八ヶ所寺の近くには残ってたっけな?でも実家の近所の本山寺のそばのせんべい屋はもうない!と思う!いや、店の前の道が狭すぎて帰省した折も10年以上迂回路を通るようになったんで確認できんの。
話を戻して。谷中には昔ながらの〜とか昭和のかをり〜といった佇まいの建物やお店があちこちにあるんだね。そりゃあ、お手軽な街歩き観光にもピッタリ〜な訳です。

あ。またあった。あそこは和菓子屋さんです。豆大福が名物らしい。
愛玉子と書いてオーギョーチ。昔からここにあるそうです。
ショーケースに入ってるのがオーギョーチです。まるで黒糖寒天みたいだね。一回食べてみたいんだけども。今回は連れがいるのでパス。時間も科学博物館出発時ですでに午後2時だったから、寄り道はあんまりできんのですよ!
日展新会館さんの前に、谷中街歩きの地図が置いてあります。ゲットです!実は私が谷中の街歩き用に持ってきた地図は、何年か前に根津神社さんのつつじ祭りで配ってた根津権現かいわい浪漫ちっくマップでして、もしかしたら情報が古いやもしれんのです。だって谷中が「谷根千」として有名になる前にゲットした絵地図でして、歴史&寺の位置は変化ないと思うけども〜。ってなことで、最新の街歩き地図に持ち替えて〜??ん??観光客が日展新会館の脇の細道に吸い込まれていく。何かあるのか?
 
なんだ。猫か。そういえば、谷中って地域猫が多い町でもあったんだった!
む!猫の撮影してるのお姉さん一人だけ。他の観光客はどこへ行った??

何かあった〜〜!目的地の谷中墓地はまだ先なのに、みたい場所が次々現れてなかなか進みません。(谷中散歩その2へ続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 深海展のSHOPが面白い | トップ | 谷中散歩その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

上野・根津・湯島・神田」カテゴリの最新記事