6月8日(土曜日)。鎌倉アジサイ観光のシーズンまっただ中です。
長谷寺に朝8時。9時に光則寺。御霊神社ー江の電とあじさいー力餅家さんで自分ち土産購入して、成就院さんに午前10時到着したら、既にアジサイの参道は観光客で大にぎわい。

でもまだ少し待つと観光客が途切れる時間もアリ。すかさず記念撮影を。

参道を上がり振り向くと、遠くに海が見えます。
よくある構図ですが、今年は今一あじざいの花のボリュームが足りない。どうもね。今年はきつめに剪定したので、花が多くないんだそうで。右斜面はともかく、左側は殆ど花がついてません。まあ。こういう年もあらあな。
*今年、花が今一と感じるのは剪定した。とか、東北のお寺へ株分けで送ったから。とかだそうです。確か成就院さんの参道のあじさいは、般若心経の文字数と同じ262株のハズです。
ちなみに、去年はこんな感じでした。
アジサイの名所成就院(2012年6月19日)の記事
成就院さんは入山料無料です。なので、参拝してお賽銭を~。って、なんか境内に行列が出来ています。
不動像がパワースポットなんだそうで。

本堂の左手前の植え込みに、イワタバコが可憐な花を咲かせています。鎌倉のお寺にこの時期岩タバコがあちこちで見られます。

アジサイの参道とは反対側にも階段があるので、混雑が嫌いな方はこちらを利用して下さい。
さて。目指すは江の電極楽寺駅。

極楽寺さんは、境内撮影禁止なのです。山門前でパチり。
ちなみに、極楽寺と成就院の間に伝上杉憲方の墓があります。

ん?
上杉憲方って確か、明月院だよね??
「伝」って所がポイントかも?
普通墓石には埋葬された人物の名前とか法名を刻んであるんだけどね。
ちなみに、明月院にはちゃんと上杉憲方の墓があります。やぐらの中だから近寄れませんが。
明月院やぐらと瓶の井(2010年12月6日)の記事
上杉憲方って誰ぞや?
いつものwikiによりますと。
上杉憲方とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。関東管領。上杉憲顕の子。
1379年3月21日、憲方は関東軍の大将として派遣されたが、上洛はせずに伊豆三島に留まった。4月15日に関東管領に任じられ、28日は鎌倉へ戻った。
1394年10月24日死去。享年60。墓所は自身が鎌倉に建立した明月院。
ちなみに、上の画像のうち、七層塔が三代鎌倉公方足利氏満の下で関東管領を勤めた上杉憲方の墓で、隣の五重塔は憲方の妻のものと伝えられている。
ちなみに、極楽寺切り通しを挟んで反対側の崖には、妻が建てたとされる憲方の逆修鵜塔が残されている(逆修塔とは、生前に建てる供養塔)。
長谷寺に朝8時。9時に光則寺。御霊神社ー江の電とあじさいー力餅家さんで自分ち土産購入して、成就院さんに午前10時到着したら、既にアジサイの参道は観光客で大にぎわい。

でもまだ少し待つと観光客が途切れる時間もアリ。すかさず記念撮影を。

参道を上がり振り向くと、遠くに海が見えます。
よくある構図ですが、今年は今一あじざいの花のボリュームが足りない。どうもね。今年はきつめに剪定したので、花が多くないんだそうで。右斜面はともかく、左側は殆ど花がついてません。まあ。こういう年もあらあな。
*今年、花が今一と感じるのは剪定した。とか、東北のお寺へ株分けで送ったから。とかだそうです。確か成就院さんの参道のあじさいは、般若心経の文字数と同じ262株のハズです。
ちなみに、去年はこんな感じでした。
アジサイの名所成就院(2012年6月19日)の記事
成就院さんは入山料無料です。なので、参拝してお賽銭を~。って、なんか境内に行列が出来ています。
不動像がパワースポットなんだそうで。

本堂の左手前の植え込みに、イワタバコが可憐な花を咲かせています。鎌倉のお寺にこの時期岩タバコがあちこちで見られます。

アジサイの参道とは反対側にも階段があるので、混雑が嫌いな方はこちらを利用して下さい。
さて。目指すは江の電極楽寺駅。

極楽寺さんは、境内撮影禁止なのです。山門前でパチり。
ちなみに、極楽寺と成就院の間に伝上杉憲方の墓があります。

ん?
上杉憲方って確か、明月院だよね??
「伝」って所がポイントかも?
普通墓石には埋葬された人物の名前とか法名を刻んであるんだけどね。
ちなみに、明月院にはちゃんと上杉憲方の墓があります。やぐらの中だから近寄れませんが。
明月院やぐらと瓶の井(2010年12月6日)の記事
上杉憲方って誰ぞや?
いつものwikiによりますと。
上杉憲方とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。関東管領。上杉憲顕の子。
1379年3月21日、憲方は関東軍の大将として派遣されたが、上洛はせずに伊豆三島に留まった。4月15日に関東管領に任じられ、28日は鎌倉へ戻った。
1394年10月24日死去。享年60。墓所は自身が鎌倉に建立した明月院。
ちなみに、上の画像のうち、七層塔が三代鎌倉公方足利氏満の下で関東管領を勤めた上杉憲方の墓で、隣の五重塔は憲方の妻のものと伝えられている。
ちなみに、極楽寺切り通しを挟んで反対側の崖には、妻が建てたとされる憲方の逆修鵜塔が残されている(逆修塔とは、生前に建てる供養塔)。
