あられの日記

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明治が残る高砂緑地

2013年06月10日 05時16分37秒 | レトロ建築
高砂緑地は茅ヶ崎市にあります。小田原・大磯・茅ヶ崎。鎌倉に横浜市金沢区。かつて別荘が数多くありました。今ではほとんど現存してません。まさか茅ヶ崎市の高砂緑地に名残と出会えるとは…。そもそもここ、氷室椿庭園ー開高健記念館ー茅ヶ崎の海岸で烏帽子岩を見ながらご飯の後茅ヶ崎駅へ引き返しました。
氷室椿庭園の椿が見頃(2013年3月19日)の記事
氷室雪月花(2013年3月20日)の記事
開高健記念館(2013年3月21日)の記事
茅ヶ崎の海岸から(2013年5月6日)の記事
この時の散歩の記事です。氷室雪月花は、氷室椿庭園で作出された椿です。他では見られない椿です。

高砂緑地訪問の目的は梅!でも今年の3月はとても気温が高くて梅は既に散った後。でも高砂緑地はとても興味深かったのです。
説明板発見:高砂緑地の名前の由来は、明治35年頃この付近の砂山が「高砂」と呼ばれていたことで命名されました。

明治の「オッペケペー節」の俳優川上音次郎と女優貞奴夫妻がこの地の泥田を埋め立てて居住し、

その後大正8年に日本火薬の元社長の原安三郎あヨーロッパ風の別荘を建て「松籟荘と名付けました。この別荘は当時高い評価を受けました。

戦後、米軍に一時接収されましたが、原氏没後、昭和59年に茅ヶ崎市が購入し、高砂緑地として公開しました。
平成3年に緑地の一画に茶室の「松籟庵」を建て開放しております。
平成10年に緑地の東側に美術館が開設されました。

トップ画像は、川上音次郎・貞奴夫妻所縁の井戸です。松林の中にあります。

平塚らいてう記念碑ってこれか?
読めます?
元始女性は太陽であった。…なんか聞いた事はあるなあ。女性解放を実践した人だったよね。

ついでだったから近所の茅ヶ崎市文化資料館にも立ち寄りました。
訪問したのは3月17日。
調度3、11に近かったからか、茅ヶ崎市の関東大震災の被災の企画展をやってました。
関東大震災は1923(大正12)年に相模湾を震源として発生したマグニチュード7.9の大地震です。
企画展のチラシに使用したのは、相模川にかかる東海道本線の橋です。ポスターに馬入川とありますが、これは相模川が河口近くで呼ばれる名前で、同じ相模川の事です。京都の桂川や賀茂川が、下流で淀川になるようなものですね。
小田原・大磯・茅ヶ崎・鎌倉・横浜市金沢区に広がっていた明治から大正期の別荘が現存してないのは、この地震に罹災して倒壊したり損壊したのも大きいのかな?何しろ、神奈川県は震源に近かったから、被害も大きいし、時代柄耐震構造の設計してあった建物もそうそうなかっただろうしな。
コメント
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