ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

ネクタイアル中

2017年04月23日 | ノンジャンル
アル中のイメージは、朝から晩まで飲んだくれている
ホームレスのような容貌かもしれない。

私自身も昔はそんなイメージを持っていた。
それとはかけ離れた自身の姿を、いわゆるアル中の
否認の主要な根拠にしていたと思う。

朝ネクタイを締め、出勤し、夜に飲むことを楽しみに
仕事に励み、翌日は二日酔いでお酒の抜けないまま
出勤前にむかつきを抑えるのに胃薬を飲み、
夜になればまたお酒を飲むということを
繰り返していた。

休日前は深酒、休日は昼過ぎまで寝て、また夕方から
飲み始める。

二日酔いがひどくて、昼から出勤、欠勤が多く
なっていったが、それでも夜には飲んでいた。

当時を振り返れば、完全にお酒に支配された
生活だったのだが、その時は夢にも自分がアル中とは
思っていなかった。

それを自覚させたのは、たった一晩お酒を抜いた
だけで出た幻覚症状であった。

人により様々な経緯と形態はあるだろうが、要するに
アルコールの支配下に置かれ、自身のコントロールを
失えばアル中であることを知った。

スリップの経験なくこれまで断酒継続出来てきたのは、
他の支配下に置かれ、自身のコントロールを失う
ことの恐怖がよほど大きかったからだと思う。

それは底付きであったかもしれないが、生死の境の
ギリギリのところであったことは間違いない。

お酒を飲む人が皆アル中になるわけではないが、
誰もがアル中になる可能性はある。

そして、アル中となってしまった時に、回復の
道へと進める人は残念ながら限られている。

幸いにもあの時、その道へ一歩を踏みだせたことを
今は感謝するのみなのである。