ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

やっかみ

2008年09月20日 | ノンジャンル
診察を待っていると、Yさんがお母さんと叔母さんと共に
相談室からCWに伴われて出てきた。
一目で再飲酒したことがわかるほどボロボロであった。

確か私と同じ頃に病院へ繋がったはずで、その後も病院や
例会で顔を見かけることも多かった。
確か以前も再飲酒しながら、その後改めて3ヶ月だか6ヶ月
だかの断酒表彰を受けていたはずである。

今回は入院を前提とした再診察であったろう。
お母さんは高齢ながら、お元気な様子ではあったが、
叔母さんが付いてきているところを見ると、身体も思うように
動かないのかもしれない。

Yさんは、本当に人の良い人で、対人恐怖があるのかとさえ
思えるほど、他人に対してはおとなしく慇懃で、腰が低い。
ところが、母親に対しては別人かと思えるほどわがままで、
横柄な態度だ。今朝飲んだとの事だったので、まだ酔いが
抜けていないのかもしれないが、それでも見た目も態度も
言動も全く別人である。

もう高齢で、痩せた腕でYさんに触れながら話をする母親に
ぶつぶつと不平を言いながら、具合が悪いのか辛そうに
している。飲めばこうなってしまうという、お手本のような
姿である。心配そうに見守る母親に、自分が飲んでしまうのは
その母親のせいだと言わんばかりの態度にあきれて、叔母さんが
母親に、「干渉し過ぎるからや、ほっとけばいいねん。」と
たしなめていた。

「診察も本人と医者の対々の話で、あたしらがどうにかできる
事と違うねん。」と、さばさばした感じで、そういう考えの人が
そばにいることにかえって安心した。

駄々っ子じゃあるまいし、いい歳をしていつまで母親に甘ったれて
いるのかと腹が立ったが、それは以前にも似たような事があった
時に私が感じた嫉妬というか、やっかみであろう。

年老いた母親に心配をかける息子に腹を立てながら、いくつに
なっても心配してくれる母親がいることに対するやっかみである。

何もしてくれなくていい、ただ生きていてくれたらといまだに
心のどこかで思っている自分に気付かされる。
黙って一緒にいるだけで、心配してくれている事もわかるし、
心の底の方で安心感というか安らぎのようなものを感じていた
自分にとっての母親の存在を思い出す。

しっかりしろよという苛立ちと共に、羨ましさもあるのだろう。
見守ってくれている事を感じながらも、せめてもう少しこの世に
いてくれたらななどと、複雑な思いであった。

翻って、自分のカミサンと、息子を見るにつけ、母親と息子の
関係に安心感があるのだが、それが時に羨ましく思う事もある。
いくつになっても、自分自身がまだまだガキという事であろう。


精神の屹立

2008年09月16日 | ノンジャンル
自分の飲み方がどうも普通ではなくなってきたように感じ、
アルコール依存症ではないかと疑い始めた時、同時にその疑いを
一つ一つ打ち消す否認が思考に現れる。 
この病気の特徴の一つである。

仕事にも出ている、アルコールが抜けると、震えるような
事もない。
まともに歩いている。
呂律も回っているし、朝から飲む事もない。
まして、ビールでアル中なんて聞いた事がない。
止めようと思えばいつでも止められる。
飲まずに過ごせる日もいくらでもある。

ところがこうした否認の思考が現れる度に、実はどこかで疑いを
濃くしている自分がいる。
現に、アルコールをあるときピタリと止めて、その後に離脱症状が
出て、その事を自分で確信する前に、様々な依存症に関する情報を
ネットで検索して、予備的知識を得て、最後の駆け込み寺として、
専門医も会社の近くに探していたのである。

それでも、なんとかアル中ではなく鬱病などではないかと、
心療科を探したりもしていた。
鬱なら、アルコールは関係ない、症状もどちらかというと鬱に
当てはまると最後の否認のあがきも見せたが、問題の本質は
アルコールである事を頭のどこかで自覚していた節がある。

だからこそ、まずアルコールを断じたのであり、その上で
離脱症状が出て、確信したのである。
離脱症状との闘いの中で、限界に達した時、駆け込んだのは
探しておいた心療科ではなく、アルコール専門医であった事を
見ても、アルコール問題に対する自覚がハッキリあったといえる。

ではなぜ、離脱症状のピーク時に、再び飲むということを
しなかったのか。
飲めば同じ事を繰り返すというより、螺旋階段を転げるように、
死の底までいずれ落ちていく事がわかっていたのかもしれない。

今止めるか、このまま落ちて行くか。
落ちるところまで落ちてしまえと思った瞬間もあった。
そこを辛うじて踏ん張らせたものは何だったのだろう。
自分の中の父親の自覚であったかもしれない。
自分だけの事であれば、果たして踏ん張れたかどうかは
わからない。

いずれにせよ、幻覚と幻聴のなかで、理性を維持できたのは
父親としての自覚であった。
ただただ、その一点で何とか地獄への境目で踏み止まって
いたようである。

後に、専門医の診察を受けて依存症である事を断じられた時に、
やはりそうかと、変な話だがホッとした気分になった事を
憶えている。
同時に、ここまで来てしまったかという悔悟は、痛恨の
極みであった。それでも一生飲めないとわかると、最後に
好きだったビールをたらふく飲んでおけばよかった等と、
往生際の悪い事を考えたりもしていた。

人それぞれ様々な経緯はあるだろうが、断酒というのはつまり、
一人立つという事だと考えている。
自分自身がお酒を断つ、生きる、という二本の足で立つ事である。
専門医で診断を受ける事は、お酒を断って立つか、座して死を
待つかの選択を迫られることである。

この選択を迫られるところまで、つまり専門医に繋がること
自体が難しく、尚且つ繋がった後でさえ、立って歩き続ける事が
難しい。しばしば倒れて、再び立ち上がるのだが、倒れるたびに、
また立ち上がる事がますます難しくなる。

断って立ち、歩いて行くのか、座して立ち上がる事なくお酒に
焼かれて死ぬのか。
これは本人次第である。専門医に繋がる事は、この生きるか
死ぬかの選択を迫られる事と同じだと思っている。
だからこそ、依存症の疑いがある人には、専門医で診察を
受ける事を強く勧める。
仮に依存症ではないと診断されたなら万々歳ではないか。

依存症と診断されたなら、この究極の選択を迫られる事になるが、
立ち上がって生きていきたいと願うなら、それを支えてくれる
人は数多くいるのである。
支えられるのと、依りかかるのとは意味が違う。
あくまでも一人立つ覚悟で、自分の命を生きようとするものに、
支えの手はある。

立とうともしない者を、誰かが背負って生かす事など出来はしない。

励まし、応援し、苦しみも辛さも分かち、時には手を差し延べ、
肩を貸す人達。
ヘッドコーチ、サポーター、仲間というべき人達の支えを得ても、
それに感謝する心、そして何より自身の精神の屹立がない者には、
全てが無駄となる。
だが無駄となるのはその本人にとってのみである。
支えようとした人達に決して無駄はないのである。



物の見方

2008年09月11日 | ノンジャンル
よく聞く心理テストである。

ボトルにワインが半分入っている。
まだ半分もあるというのが楽観主義。
もう半分しかないというのが悲観主義。

ボトルにワインが半分入っているというのは現実である。
その現実をどう捉え、どう考えて将来の行動に移すかは
人間次第という事だ。

我々は、まだ半分とか、もう半分とか、まったくお構い
なしにボトルを空にし、その人が一生に飲める量を
飲んでしまったにもかかわらず、今度は自らの命を削りながら
更に飲み続けていたのである。
飲み続ける間は、命を削り続けることであるから、
少しでも早く、すでにボトルは空であることに気づいた
ものが、その分命を永らえる。

いずれにしても、大なり小なり、与えられた寿命を
削ってしまったことには変わりはない。
自ら削ることをやめた者は、許された時間がどのくらい
なのかと気に掛かる。
飲み続けている間は、そんなことに考えは及ばない。

さて、一生分以上を飲み、寿命を削ったものは年齢的にも
人生の半分を過ぎていると考えてよい。
現代の平均寿命を考えれば、80年生きられるところを、
飲み続けて50で死ぬ者は、30年の寿命をお酒で削った
ことになる。
20代、30代で気付いた者は、本来の寿命に近い人生を
まっとう出来るであろうが、この気付きと断酒に
つながる者は、残念ながら40代以降が圧倒的に多い。

つまり、気付いた時には、すでに人生の半分以上を
過ごしてしまっている。

ここからが冒頭の問題になるわけだが、誰にもわからない
寿命に囚われて、思い悩む必要はない。
心配せずとも、いつかは死ぬし、大まかに言えば、
「平均寿命-飲酒年数+断酒年数」くらいで、辻褄が合う。
私の場合、80-22+3で、とりあえず61歳くらいまでは
今のところ何とかなりそうだ。

断酒年数を重ねれば寿命は延びる計算になるが、とまれ、
現時点では余命16年となる。
あと16年しかないと嘆いて生きるよりは、16年という
長い歳月をどう生きるかを考える方が大切というよりも、
必要なことである。

まだ16年もあるという心の余裕と、もう16年しかない
という差し迫った行動で、一日一日を生きていければ
よいと考えている。

断酒によって何年命を延ばすことができるかということと、
これから何が起こって、いつどんな形で死ぬかはわからない
ということは、また別の話である。



二つの言葉

2008年09月08日 | ノンジャンル
人間、「ありがとう」と「ごめんなさい」が心から言えるなら、
何とでも生きていけるわ。

とは、カミサンの持論である。

初めは、そんな単純なことで生きていければ苦労はしないと
思ったが、よくよく考えると、そうかもしれないなと
思い直した。

人は生まれる前から、そして生まれた後も一人では
生きていけない。
周りに支えられ、いつしか支え合えるようになって、
生かされていくことを思えば、感謝の気持ちが謙虚さにも
つながる。

また、人は過ちを犯すものであるから、素直に反省し、
ごめんなさいと謝ることが自らの成長と前進には本当に
大切なことである。

普段、当たり前のことのように口にしている言葉であるのに、
いざという時になると、心で思っていても伝えられなかったり、
素直になれずに屁理屈をこねたり、弁解ばかりしてしまう
ことがよくある。

単純なようで、簡単なようで、なかなか難しいことで
あるかもしれない。

ありがとうが言える、ごめんなさいが言える、
人に会ったら挨拶をする。
子供の頃に言い聞かされて、自分の子供達にも言い聞かせて
いることである。

ただ言い聞かせるだけでは、本当の意味を理解させる
ことにはならない。
やはり、言葉というのは、行動なのである。

人を幸せにする「ありがとう」の言葉。
人の話を素直に聞ける「ごめんなさい」の言葉。
私自身、大切にしていきたい二つの言葉である。



ある「理」、ない「理」

2008年09月07日 | ノンジャンル
アル中にある「理」、ない「理」。

屁理屈はあっても、論理がない。

理性もなければ倫理も道理もない代わりに、

無理と矢理はある。

理論があるかと思えば、理路整然としない。

理知的な思考の代りに、本能的かつ理不尽な行動。

飲む理由はあっても、飲まない理由はない。

病理の知識も理解もない。しかし真理を感じている。

アル中になった原理はあるかもしれないが、

アル中に理想はない。

数理的発想はなく、心理的に拘束される。

管理能力はなく、単に生理的な欲求に支配される。

理念がなく、不条理である。

理がないから具体的行動もなく、具体的行動がないから
不条理となる。

であれば、われわれの回復とは、この「理」の回復では
あるまいか。
どちらが先かは別として、「理」に即して、具体的な行動を
起こし、その行動を通じて、理を証することが、回復であり、
人生の奪還である。

回復の定理の一日断酒を事実の一日断酒とし、
生き長らえていくなかで、この「理」の回復が少しずつ、
本当に少しずつ可能となっていくのである。