何もないことが幸せであったり、何でもないようなこと、
何気ないことが特別なことであったりということに
気づかされると、日々幸せを感じながら、感謝する心が
生まれる。
穏やかに日々を暮らせるのは断酒のおかげ、
断酒が出来ているのは、何のおかげかと考えていけば、
自然に謙虚に、ありがたい気持ちが湧き上がる。
あれだけ飲んでいたお酒を断っている自分は偉いと自分で
思ったときに、その感謝の気持ちは消えている。
人はみな、それぞれ苦しみながらも精一杯生きている、
生きようとしている。
酒害を経験し、断酒を継続している我々は、何も特別な
存在でも何でもない。
病気を経験したものが、健康のありがたさを知ったに過ぎず、
それは誰しもが形は違うにせよ、経験することでもある。
特別なことをしているわけでも何でもなく、生きていく
上ではごくあたりまえの事であると自覚したときに
謙虚さが身につく。
いかなる経験であろうと、無用の経験であろうと、
経験してしまった以上、その経験に学び、生かしていく
ほかはない。それを忘れてしまえば、再び同じ経験を
しなければならないこととなる。
学び続けていくことは、経験を重ねることであり、
同じ経験を繰り返すことではない。
何もない日々であっても、同じ日は一日たりともない。
だからこそ積み重ねていける。
誰しもが、日常の忙しさに埋もれながらも、生きる意味や
目的を求めている。
身をもって経験し、学び、身につけたものが人のために
活かされるとき、その人自身ではなく、その人の持つものが
特別なものとなる。
そしてそれはその人だけではなくて、皆で分かち合えば、
皆にとっても特別なものとなるのである。
我々は相対的に特別な存在なのではなく、共に特別なものを
分け合うかけがえのない存在なのである。
つまり一人一人がこの世に生を享け、同じ時代を共に生きる
絶対的な存在なのである。
誰かが特別で、絶対的ということはむしろありえない。
人は人と人との間でしか存在することは出来ない。
何気ないことが特別なことであったりということに
気づかされると、日々幸せを感じながら、感謝する心が
生まれる。
穏やかに日々を暮らせるのは断酒のおかげ、
断酒が出来ているのは、何のおかげかと考えていけば、
自然に謙虚に、ありがたい気持ちが湧き上がる。
あれだけ飲んでいたお酒を断っている自分は偉いと自分で
思ったときに、その感謝の気持ちは消えている。
人はみな、それぞれ苦しみながらも精一杯生きている、
生きようとしている。
酒害を経験し、断酒を継続している我々は、何も特別な
存在でも何でもない。
病気を経験したものが、健康のありがたさを知ったに過ぎず、
それは誰しもが形は違うにせよ、経験することでもある。
特別なことをしているわけでも何でもなく、生きていく
上ではごくあたりまえの事であると自覚したときに
謙虚さが身につく。
いかなる経験であろうと、無用の経験であろうと、
経験してしまった以上、その経験に学び、生かしていく
ほかはない。それを忘れてしまえば、再び同じ経験を
しなければならないこととなる。
学び続けていくことは、経験を重ねることであり、
同じ経験を繰り返すことではない。
何もない日々であっても、同じ日は一日たりともない。
だからこそ積み重ねていける。
誰しもが、日常の忙しさに埋もれながらも、生きる意味や
目的を求めている。
身をもって経験し、学び、身につけたものが人のために
活かされるとき、その人自身ではなく、その人の持つものが
特別なものとなる。
そしてそれはその人だけではなくて、皆で分かち合えば、
皆にとっても特別なものとなるのである。
我々は相対的に特別な存在なのではなく、共に特別なものを
分け合うかけがえのない存在なのである。
つまり一人一人がこの世に生を享け、同じ時代を共に生きる
絶対的な存在なのである。
誰かが特別で、絶対的ということはむしろありえない。
人は人と人との間でしか存在することは出来ない。