ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

コロナ帝国

2020年04月02日 | ノンジャンル
ウイルスに意思があるわけではない。
発生したなら、環境が整っていれば増え続けようと
するのみで、それは生命の性である。

それをさせまいと消毒で殺生するかと思えば、
より良い環境を整えて増やすにまかせてもくれる
人間とは不思議な存在である。

もはや衰えを知らない急速で全世界的な繁栄は、
人間が築いたかつての大モンゴル帝国よりも
遥かにすさまじい。

わずか数ヶ月で全世界を席捲してしまった。

偶然ではあったが、日本においてはクルーザー
という培養容器のような場所で密度を上げ、
一気に国内に放出された。

クルーザー内での隔離など、絵空事にしか
過ぎない。
そもそも、感染症に対応できる構造ではないし、
船内隔離など不可能である。

蒙古襲来を2度迄も撃退した台風のような
一撃がない限り、このコロナの大繁栄を止める
ことは出来ないかもしれない。

梅雨になれば、猛暑の夏になればという声もあるが、
一日に一度は土砂降りの雨になる、年中夏の国々に
おいても拡大が止められない。

感染者数など、検査数が多くなれば比例的に
多くなる。

感染しないように、予防してという段階はとっくに
過ぎ去っているように思う。
症状がなく、検査も受けていない保菌者数は、
確実に増加しているはずだ。

何ら症状がなくとも、意識としては感染者だという
自覚によって、他の人にうつさない対策を自ら講じて
いくというのが、日々の生活の上で最も肝要であろう。

うつされないようにではなく、うつさないように
という自覚である。

この認識の転換という事こそが、裸のサルという
脆弱な存在の人類をして、これまでの環境の
変化に適応せしめ、種の存続を成し遂げさせて
きたのである。

まさに正念場の今こそが、その転換期であると
信ずるものである。