ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

秋風

2022年08月30日 | ノンジャンル

お盆を過ぎても蒸し暑い日々が続いていたが、今年は3年ぶりに

花火大会が開催された。

さすがに中止、中止の鬱憤が溜まっていたのか、見物客も多く、

花火の内容も、以前とは比べようもないほど豪華だった。

とはいえ、ドンドンと雷鳴のように響き渡る音を聞きながら、

いつものように玄関側で花火見物ということはしないで、

テレビのライブ映像を観ていた。

 

玄関を出て、下を見下ろせば、堤防に集まった大勢の見物客。

淀川の上流側を見れば、毎年眺めてきた花火が打ち上がっている。

本当に久し振りだなと思ったのも刹那、幼くして病気で逝った

近所の女の子の姿がフラッシュバックした。

 

その子は弱った体で、最後にこの花火を見て、その年に逝った。

元気で明るかった子が、声も出せないほどになって、

最後に見た花火はその瞳にどう映ったのだろう。

 

あれから13年。まさか花火を見て落涙するとは思わなかった。

あの子と同じように花火を見ることに堪えられず、

部屋でテレビを見ていた。

その夜は急に風が変わり、一気に秋の気配に包まれた。

猛暑、猛暑といわれた今年の夏も、もう去っていく。

人もまた、来去・去来を繰り返す。

それは、まさしく花火そのままなのである。

 

 

 

 

 


盆明け

2022年08月19日 | ノンジャンル

蒸し暑さに辟易していた時期も過ぎ、さすがに盆も明けると

朝夕が過ごしやすくなってきた。

帰省した息子も、例年よりは少しゆっくりと過ごして、

穏やかなお盆休みとなった。

 

盆が過ぎれば、若い秋を感じ始める。と、もう今年もバタバタと

過ぎていくに違いない。

月に一度の検診も今のところ変わりないようだが、

体調は日毎に異なる。

 

覚悟はしていたものの、正直、手術がこれほど生命を消耗させるとは

思わなかった。

なんだか10年も一気に老けたような感慨である。

枯れた身で、明日をあきらめ、今日を生きる。

そういえば、10年前にも同じような事を考えていた。

もう一花咲かせたいと。

 

この10年、一花も、二花も咲かせることができた。

だが本当の意味でいよいよの時となった今、願わくば

最後の一花を咲かせたい。

残りの命を燃やし尽くすほどの輝きに、

自分で自分がまぶしいほどの光に、

最後は包まれたいと願うのである。

 

 


半年

2022年07月29日 | ノンジャンル

術後半年が経った。

再挿入のドレインが取れて、退院してからは、

5ヶ月を過ぎたことになる。

 

ここのところの蒸し暑さには、辟易している。

7月の検診が済んだ後は、嬉しくなるほど体調が楽な

日が続き、このまま順調にと期待していたが、咽返るような

猛暑と湿気に包まれた熱帯夜で、一気に体調が悪くなってしまった。

 

職場ではもちろんエアコンを稼働しているが、自宅では

殆どエアコンを使わない。

まずは一年の季節の巡りを乗り越えていかないと、自分自身でも

何をどう気を付けて対処していけばいいのかがわからない。

 

朝、目覚めるときに体調の確認をすることが習慣となってきた。

胃のもたれはないか、お腹の痛みはないか、息苦しさはないか、

喉や施術部の痛みはないか、不快さはないか、腰の痛みはないか。

何の症状もないということは殆どないが、どれだけの症状が

重なっているかでその日の体調は決まる。

 

楽な時には、その日の行動にメリハリができるが、

悪い時には、動くことすら億劫になり、じっとしていても

何もよくならないし、無理に動いても、多少気がまぎれる

くらいにしかならない。

そして、苦しみながらよりは、早く楽になりたいと、

そればかりを思うようになる。

 

退院の後、楽な時と苦しい時は半々くらいだったろうか。

夏を迎えて、苦しい時の方が多くなってきた。

ここが踏ん張りどころなのかもしれないが、踏ん張る

気力さえない時もある。

まだまだ猛暑は続くらしい。今年の夏は、過酷な試練となる。

 

 


夏は来ぬ

2022年07月15日 | ノンジャンル

空梅雨の6月、戻り梅雨とゲリラ豪雨の7月。

おしなべれば、水不足の心配もなくなり、

良かったのだろうが、極端な豪雨は、かえって

被災や損害につながる。

ある程度まんべんなくと願うが、極端なことを

しているのはいつも人間で、自然にだけ穏やかにというのは

筋違いというものだ。

 

蒸し暑さにも少しずつ慣れてはきたが、週のうち半分は中の上、

半分は中の下というところか。

 

蝉の声も喧しくなり、陽射しが戻ってくれば夏本番であろう。

とはいえ、来月はもうお盆となり、夏とはこんなに短かったのかと

痛感させられる。

シオカラトンボに短い夏の訪れを見、アキアカネに

夏の終わりを見る。

いや、それは終わりではなく、巡るということだ。

巡る季節とともに、巡る命を生きていく。

 


ホッチキス

2022年06月28日 | ノンジャンル

何の予兆もなく、突然何かが引っ掛かったように

咳き込むことがあるのだが、ある日、咳き込んだ後に

口中に異物を感じた。

出してみると、Bの形状をした針金のようなものだった。

歯科で治療してもらった時のものが外れたのかと思ったが、

ここ何ヶ月もそんな治療をした覚えはない。

よく見ると、Bの形状は、明らかにホッチキスの針のように

なっている。

ということは、手術の時に縫合したステープルということだ。

数日、一つ、また一つと咳き込むたびに出てきていたが、

ついに、縫合部がそのままいくつものステープルとともに

出てきた。

縫合部の傷が治り、今度はステープルを異物とみなし、

排出できる部位のところは、痰などとともに排出しようと

しているのだそうだ。

外面の切開した傷は随分きれいに治ってきた。

内面もそれなりに回復しつつあるようだ。

今更ながら、内部も切開、縫合した手術の事実を、

思い知らされるようである。

身体も、あるべきものがもうないことを認識したようで、

しきりにその腔を埋めようとするのか、痛みはないものの

締め付けられるような、絞られるような感覚がずっとある。

梅雨というのに、大して雨も降らずに梅雨明けとなりそうだが、

蒸し暑さが術後の新たな試練となりそうである。