Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

柯隆氏の寄稿文

2012年10月27日 | 国際・政治

今年3月に亡くなったK教授

(『K教授追悼』

http://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/d/20120404

が注目していたカリュウ氏の寄稿文、多くの人に読んでほしいので、リンクとともに、全文貼り付けさせてもらいます。

JBpress (20121022)

それでも日中は互いに欠かせない存在である

中国人がこれほど激しく日本に反発する理由(by 柯隆http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36306

今回の尖閣問題に関して、多くの日本人は中国人がなぜここまで激しく反発するのか不思議に思っているようだ。

 一部の評論家は、「国有化」という言葉が意味するものが日本と中国で違うから誤解が生じている、と解釈をする。だが、領有権の争いが存在する島を国有化することは、言葉のニュアンスの違いだけでは片づけることはできない。

 筆者は、今回の両国の対立が激化する背景には、国民性の違いもあるのではないかと考えている。

 もしも中国と韓国の間で島の領有権の争いが存在し、韓国が実効支配している島に韓国大統領が上陸した場合、中国は同様に激しく反発するだろう。だが、竹島問題について日本は韓国に反発らしい反発を行っていない。

 これが中国ならば、すべての韓流ドラマの放送を禁止し、韓国へのキムチや白菜やニンニクの輸出を禁止するに違いない。揚げ句の果てに北朝鮮への援助を増額するかもしれない。

 しかし、竹島問題が騒がれても日本では韓流ドラマの放送はそれまで通りである。先日、新聞のテレビ番組欄で1日に放送される韓流ドラマをざっと数えてみたら15本もあった。竹島問題があっても日韓関係は冷えていない。

 尖閣問題以降、中国に住む日本人の友人から「柯さん、中国に滞在するのは怖い」という連絡をもらったことがある。ほぼ同時期に、中国にいる親族から「日本にいて大丈夫か? なにかあったらすぐに帰ってきなさい」と言われた。幸いにも、日本で生活する私と私の家族に日本人が危害を加えることは今のところないし、これからもないと信じている。

 むしろ、私の意見に賛同してくれる日本人も少なくない。ネット上では日本政府と日本の政治家を批判する書き込みが見られるが、ツイッターなどで私を罵る日本人は今のところ現れていない。反対に、中国版ツイッターの「微博」で、私が対日関係についてもっと冷静に対応すべしとつぶやいたら、「売国奴」と何回も罵られた。私は無一文で日本にやって来たし、中国の国有資産を処分する権限も一切持たない。一体何をもって私が国を売るというのだろうか。

私の願いはたった1つである。日本と中国が隣同士の国として「普通の関係」に回帰することだ。特別な友好関係を結ぶ必要はない。個人の関係に例えれば、道端で挨拶する程度で十分である。

被害者の戦争の記憶はなくならない

 日中関係を論じるうえで避けて通れないのはあの戦争の負の遺産である。日本人からすれば、十分に反省しているのに、なぜ中国人や韓国人に許してもらえないのか不思議かもしれない。中国人と韓国人はいまだにことあるたびに「日本は軍国主義を復活させようとしている」と指摘する。

 日本で生活する筆者は、軍国主義の復活を夢見る日本人はごく一部で、日本が軍国主義に回帰することはないと確信している。日本は軍事費をもっと増額すべしと主張する論者もいるが、現実的には不可能である。

 いかなる側面から見ても、日本は平和な国である。とはいえ、中韓の日本に対する国民感情はなかなか変わらない。なぜなら、あの戦争の記憶は簡単には拭い去ることができないからである。

 考えてみれば、仮に日本が外国の軍隊に8年間も占領され、自国の軍人と平民が多数殺されたとすれば、70年前のことだから忘れてくださいと言われても、忘れることはできないはずである。

 24年前、私は名古屋へ留学するため南京を出発するとき、当時80歳の祖父に呼ばれ、「日本に行ったらしっかり勉強してきなさい」と激励された。そして、そばにいる祖母から「戦争のとき、おじいさんは無錫で日本軍に捕えられ、20日間留置所に入れられた」と初めて教えられた。幸い、祖父は知識人であり軍隊の兵士ではないことが判明し、その後釈放されたという。

 印象的だったのは、私を日本に送り出すとき祖父も祖母も淡々と過去の出来事を伝えただけで、日本への敵意や反感が感じられなかったことである。そうでなければ、今、私は日本にいないだろう。

 繰り返しになるが、戦争から70年経ったとはいえ、被害者は、自分がどんな仕打ちを受けたのかを忘れることはない。おそらく日本人も同じだろう。福島の会津若松の住民は、幕末の戊辰戦争の怨みでいまだに山口と鹿児島を快く思っていない、という話も聞く。無論、いつまでも過去の重荷を背負っては前へは進んでいかない。

中国との「交流」が足りない

 アメリカ人にとって中国人は世界の中で最も分かりにくい民族である。中国人特有の「適当」な性格はアメリカ人にとっては理解不能で、不安にも感じられるようだ。私がアメリカを訪れたとき、チャイナタウンはアメリカの普通の人が立ち入ってはならない場所になっているようだった。

 同時に、アメリカの宣教師は世界で一番の冒険家と言えるかもしれない。ノーベル文学賞を受賞したパール・バックは、アメリカから中国に渡った宣教師の娘だった(彼女もまた宣教師となった)。パール・バックは中国で育ち、中国人の心を洞察できたからこそ、あの不朽の名作『大地』を生み出せたのである。

 また、第2次世界大戦後に駐中国大使を務めたスチュアート・ライデンも宣教師だった。彼は、中国人以上に中国語と中国文化に精通する専門家だった。

 一方、今の日本には中国問題の本当の専門家がずいぶんと少ない。「中国の食べ物や文化が好きだ」という日本人はいるが、中国問題の専門家と思われる人はなかなかいない。

 まず語学の問題がある(これは日本の戦後教育の大きな欠点と言える)。英語教育はずっと英文読解教育だったし、中国語教育となるともっと低レベルであり、ろくに行われていない。「中国語ができる」と自称する日本人にいろいろな場で出会うが、正直言って中国語で普通にコミュニケーションできる日本人はごくわずかである。

 何よりも致命的だと思うのは、日本のグローバル化が遅れたせいか、日本人の外国人を見る目が一向に向上しない点である。付き合う人が玉か石かを見分けるのはその人の眼力次第である。

 中国に駐在する日本人には1つの傾向が顕著に見られる。それは、彼らが中国人の悪いところばかり身につけているのである。おそらく、教養のない、質の悪い中国人ばかりと付き合っているのではないかと思われる。

 子供のときに親から「いい人と友達となって、悪い仲間と友達にならないように」と教えられなかったのだろうか。もしかしたら飲み屋のホステスとばかり友達になっているからなのかもしれない。

 日本はもっと中国のことを研究し、理解すべきである。日中関係を正常化させるには、互いを知るための交流をもっと強化しなければならない。

双方が一歩ずつ下がるのが現実的な解決策

 日本政府は尖閣諸島を国有化した。それに対して中国政府は猛烈に反発している。日中関係は解のない方程式のような局面に直面している。

 おそらく尖閣危機を解決する唯一の方法は、日中双方が一歩ずつ下がることしかないと思われる。なぜ下がらないといけないかというと、日中のいずれにとっても相手の存在が欠かせないからである。

 ただ、簡単には下がれないだろう。双方の国益とメンツがかかっているからである。では、具体的にどのように下がればいいのか。

 今回の危機は、東京都による島購入から始まったが、日本政府による島の国有化は40年前の周恩来首相と田中角栄総理による「現状維持」の口約束に反している。そのため、日本の国益を損なわない前提で現状維持の方向へ戻す必要がある。

 しかし、ここまで来て島を個人に返すわけにはいかない。であるとすれば、第3の道を探る必要がある。

 第3の道とは国有化ではなく、元の個人所有でもない選択肢である。それは前回も述べたように、第三者の日本のNGO、あるいは財団法人や社団法人に島を譲渡することだ。第三者に譲渡すれば、中国のメンツもつぶれなくて済むはずである。

 ただし、東京都が島購入を宣言する前から、ここ数年、中国の船が尖閣諸島の海域に頻繁に出入りしていた。これが国民感情の対立を誘発している。尖閣諸島を第三者に譲渡するだけでは、問題の解決にならない。

 重要なのは、それを譲渡したあと、日中が尖閣諸島に関する協定を結ぶことである。すなわち、尖閣諸島の海域を立ち入り禁止海域にし、日本の船も中国の船も立ち入りしてはならないとする。この協定の有効期間は長ければ長いほどいい。例えば、今後50年間、誰も立ち入りできないようにすれば、向こう50年は尖閣紛争が爆発しなくて済む。

 そして最初の一歩を踏み出すために、国有化を決めた野田佳彦総理は胡錦濤国家主席に直談判を申し入れるべきではないだろうか。

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