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ニューズウィーク『パリとシリアとイラクとベイルートの死者を慎む』 by 酒井啓子氏

2015年11月17日 | 国際・政治

オランド大統領や彼に賛同する人々、一般イスラム教徒をもテロリスト扱いする人々の面前で、読みあげてほしいコラムです。

ニューズウィーク(2015年11月17日)
パリとシリアとイラクとベイルートの死者を悼む
By 酒井啓子氏
http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2015/11/post-948.php 

(前略) 

 パリでの惨事のあとに中東諸国で飛び交うツイッターやコメントのなかには、パリでの事件と、その前日に起きたレバノンでの爆破事件を重ねあわすものが多い。まさに「中東のパリ」とかつて呼ばれたベイルートの、にぎやかな商業地区二箇所で同時に起きた事件で、43人の死者と200人の負傷者を出した。シーア派イスラーム主義組織「ヒズブッラー」の支持基盤地域を狙ったものだったが、ここ数ヶ月激化している、「イスラーム国」とイラン革命防衛隊やヒズブッラー、イラクのシーア派民兵集団「人民動員組織」の間の抗争を反映したものだ。 

 ベイルートもパリも、「イスラーム国」との戦いの延長で、テロによる報復にあった。だが、その二つは受け取られ方の点で、大きく違う。 

 ひとつは、ベイルートでの事件が、欧米メディアのなかでかき消されていることだ。英インディペンデント紙の報道によると、「イスラーム過激主義の動向を懸念している国」リストのなかで、フランスとレバノンは同率2位(67%)である(1位は「ボコハラム」の攻勢に悩むナイジェリア(68%)だ)。中東の出来事だって、パリと同じく「被害者」として扱われてしかるべきなのに、という思いが、中東諸国だけではなく世界に広がる。アメリカの歌手、ベット・ミドラーは、こうツイートしている。「パリの事件も悼ましいが、ベイルートでの犠牲者も忘れてはいけない」。 

 ふたつ目は、フランスが「イスラーム国」との戦いに深く関与していることが覆い隠されていることだ。ベイルートで起きていることは「イスラーム国」の周辺として波及しても当たり前だが、遠いフランスは理不尽なテロに巻き込まれただけ、と思う。それは、違う。フランスは、堂々と「イスラーム国」との戦い(実際にはアサド政権のシリアとの戦い?)に参戦している。参戦して空爆でシリアの人々の命を脅かしているのに、フランスの人々は戦線から遠いところにいる。だったら遠いところから近いところに引きずりだしてやろうじゃないか――。犯人が劇場で、「フランスはシリアで起きていることを知るべきだ」とフランス語で叫んだのは、そういう意味ではないか。 

(中略) 

「イスラーム国」には誰もが頭を痛めている。なんとかしなければと、思っている。だが「イスラーム国」の「テロ」にあうと欧米諸国はいずれも、自分たちの国(と先進国の仲間)だけを守ることが「イスラーム国=テロとの戦い」だと線を引いてしまい、他の被害にあっている国や社会との連帯の声は、聞こえない。自国の利益を追求するのに、「テロとの戦い」という錦の御旗を利用しているだけだ。 

 そして「テロとの戦い」と主張してやっていることは、ただ攻撃と破壊だけである。攻撃のあとにどういう未来を、平和を約束するのかへの言及は、ない。反対に、同じ被害者である難民を拒否し、「テロ」予備軍とみなす。 

 「テロとの戦いで国際社会は一致する」というならば、その被害者すべてに対して、共鳴と連帯の手を差し伸べるべきではないのか。そうじゃなくとも、まずシリアやイラクやレバノンで紛争の被害にあっている人たちに対して、「被害者だ」とみなすことが大事ではないのか。もっといえば、自分たちの国の決定によって「被害者」になる人たちがいることに、目をつぶらないでいる必要があるのではないのか。 

 少し前まで私たちと同じように、普通に学生生活を送り、家族や友人と外食を楽しんでいた、「生きること」を楽しんでいた人々を、どうか国際社会が「被害者」から「テロ予備軍」に追いやってしまいませんように。

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