昨年末に、神奈川大学の的場 昭弘教授の書かれた記事がありました。
冷静に見て、ウクライナ戦争は2023年にどうなるのか、世界大戦の可能性はゼロではない(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
2022年2月24日のロシア軍による東部ウクライナ・ドンバス地域への侵攻からほぼ1年近くがたった。この戦争はどうなるのだろうか。西側の大手メディアは第2次世界大戦中と同じように、都合のいい情報しか流していない。もちろん、東側のメディアもその点では同じだ。
(中略)
戦争は兵器で勝つのではない。それを使える兵員がいないと武器は有効ではない。武器をNATO(北大西洋条約機構)から手に入れ、「ロシア対ウクライナ」の戦争を「ロシア対NATO」にしたいというゼレンスキーの思惑はわかるが、そうすればヨーロッパ、とりわけ東ヨーロッパは戦場となる可能性が高い。東欧にとっては、それは避けたい。これは、この戦争をどう位置づけるかという問題にかかっているといえる。
■戦争の原因を振り返る
少なくともこの戦争は、ソ連崩壊後独立した旧ソ連地域が、ロシアから完全に離れられるかどうかという問題に発端にあった。ソ連という国の中に組み込まれていた共和国は、経済、軍事、エネルギー、言語、教育、文化、さまざまな領域において、ロシアと密接な関係にあった。独立したからといって、そこから簡単に出ることはできない。 とりわけウクライナ東部の工場地帯は、ロシアの工業地帯と1つのコンビナートをなしていた。原料、エネルギー、生産、販売市場など密接に1つの地域をなしていたのだ。
この地域が2つの国に独立するからといって、ウクライナ側の工業地帯がロシアから独立できるわけではない。かつて旧東ドイツはソ連・東欧の工業基地であったが、ベルリンの壁崩壊以後、東欧社会と縁が切れたことで一気に衰退した。 東ドイツは当初、西ドイツとは別の国として独立するつもりであったが、それがこれにより不可能となり東西ドイツ統一になったことは、あまり知られていないが、事実である。
(中略)
■言語差別は少数民族を傷つける
言語問題も、大きな要因となっている。ソ連から分離したラトビアやエストニアでも、ロシア語を話す少数民族に対する言語差別が問題になっている。言語を統一することで国家を統一させることが、いかに少数民族を傷つけるかという問題は、世界中にある問題だ。義務教育から大学教育までどの言語を使うかで、排除された民族はあらゆる意味で市民権を失う。
ウクライナ出身でハーバード大学のウクライナ史研究家のセルヒ-・プロヒは、『ヨーロッパの門 ウクライナの歴史』(Serhii Plokhy,The Gates of Europe. A History of Ukraine,2015)の中でウクライナ語によるウクライナ統一を強調している。一方で、ウクライナ政府がウクライナ語以外を認めない政策をとったことが、大きな反対運動を起こしたことについては、あまり言及されていない。この書物は西欧から見たウクライナに関するもっとも都合のよい歴史書といえるかもしれない。
元スイス軍の職員で平和維持活動に従事した、ジャック・ボーの『オペレーションZ』(Jacques Baud,Operation Z,Max Milo,2022)は、この問題をウクライナ戦争のもっとも重要な要因だとして詳しく取り上げている。彼には、『フェイクニュースに支配される』(Gouverner par Fake News,2020)という書物もあり、西側の一方的な情報操作に極めて批判的だ。 とりわけこの書物では、中東戦争での情報作戦について書かれているが、すでに西欧社会自身が、プロパガンダの虜になっていることが暴かれている。
ボーによるとこうだ。少数言語に対する配慮のない旧ソ連邦の独立国の問題は、中国のウイグル問題と似ているという。とりわけウクライナ語がエリートと見なされる民族の言語として、下位言語と見なされるロシア語より優越しているという民族主義者の動きが、ウクライナ語のみの公的言語化を促進したという。 これらの集団はネオナチともいわれているが、彼らの攻撃のターゲットはロシア人だけではない。ウクライナ人よりも劣ると目されているユダヤ人も含めたさまざまな少数民族も攻撃に対象になっているのだ。
アゾフ軍団で有名になったアンドリー・ブリツキーは、「当面の、わが民族の歴史的使命は、生き残りをかけた最終的十字軍に白色人種を送り込むことだ」(前掲書54ページ)と述べたとも言われている。
■ウクライナ語の公的言語化が火種に
2014年2月23日、ロシア語とウクライナ語を公的言語としていた法律が廃棄されたことが、決定的だったという。それがドンバスやクリミア地域での住民の抵抗運動を導いた。 この運動の支援に、さまざまな支援団体が参加したのだが、そこにセルビアの「ヨバン・セヴィッチ」グループなどのさまざまな右派グループがいる。そんなグループの存在が、「ネオナチはドンバス側である」という西側の批判につながっているともいう。
実際、東欧の国のいくつかの左右の集団が、ウクライナの少数民族弾圧に抵抗するために参加したことは確かである。ハンガリーの「聖ステファン」、ポーランド右派の「ファランジュ」、スペインの左派「カルロス・パロミーノ」、イスラエルの「アリヤ」などである。とりわけ抵抗運動は、南部地域に集中していた。 南部といえば、ロシア人だけでなく、ユダヤ人、トルコ系、チェチェン系などもいる地方である。この戦争に参加している非ロシア系義勇軍が、ロシア側にも多いのはこうした事情による。
昨年トリエステを調べていたときに、TIGRという革命組織のことを知りました。
TIGR - Wikipedia
Google翻訳:
TIGR、Trst、Istra、Gorica、および Reka の略語、正式名称 Julian March T.I.G.R. の革命組織。 (スロベニア語: Revolucionarna organizacija Julijske krajinine T.I.G.R.) は、第一次世界大戦後にイタリアの一部となった旧オーストリア ハンガリー領の一部で、スロベニア人およびクロアチア人のファシストによるイタリア化への対応として設立された反ファシストおよび反乱組織でした。
オーストリア=ハンガリー帝国は多国籍帝国であり、さまざまな人々や民族グループに比較的大きな文化的自治を認めていましたが、イタリアは国民国家であり、その政府は独立した国家運動の存在を許可するつもりはほとんどありませんでした. そしてその領土のアイデンティティ。 行政と教育制度におけるスロベニア語とクロアチア語の使用に関する問題は、イタリア当局とスロベニア語とクロアチア語のマイノリティとの間の主な争点となった. ファシスト運動が 1922 年に権力を握った後、イタリア化の一環として反スラブ政策が実施されました。 1923 年、郵便局や公共交通機関を含むすべての公務でスロベニア語とクロアチア語の使用が禁止されました。 同年、異邦人の改革により、イタリア語が公教育の唯一の言語であると宣言されました。 1928 年までに、私立を含むすべてのスロベニアとクロアチアの学校が閉鎖されました。 1925 年、スロベニア語とクロアチア語の使用は法廷で禁止されました。 スロベニア語とクロアチア語の町や集落の名前はすべてイタリア語化されました。 1927 年までに、スロベニア語とクロアチア語の公的な使用はすべて禁止されました。 子供にスラブ語の名前を付けることは禁止されており、スラブ語に聞こえるすべての姓は管理上、イタリア語に聞こえる形式が与えられていました。 ファシストのイタリア化は、墓石にスラブ語の碑文を禁止した.[要出典] 1927 年までに、スロベニアとクロアチアのすべての団体 (政治団体だけでなく、文化、教育、スポーツ団体も含む) が解散し、スロベニアとクロアチアの少数派の手にあるすべての金融および経済機関も同様でした。 1928年から、州法は教会でのスロベニア語とクロアチア語の使用を制限し始め、1934年には、ローマカトリックの典礼(歌と説教を含む)でのスロベニア語とクロアチア語のすべての使用が禁止されました.
(後略)
「マイノリティのアイディアンティを奪う」がイタリアのファシスト党の出発点だったと思うのですが、100年たった今、これをウクライナがする分には容認されてしまう・・・。
これは、7年前のBBCの動画。
【BBC】 クリミア・タタール人、慣れ親しんだ町を捨て - YouTube
この動画と違う視点のクリミア・タタール人をBBCは動画にしないでしょう。
こちらは2年前の動画-ロシア在住の日本人とタタール系ロシア人の奥様、彼らのお子さんがクリミアを旅行した時の様子-です。