Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

「もののあはれ」は人間の本能-失われていく“哀”と“愛”

2019年09月03日 | 雑感

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徳永英明の『最後の言い訳』・“言い訳”なしの“開きなおり”のクールジャパン
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/6a39d167f3a1ab30cbbd75d002802234 

で紹介した歌のリンクを送ったあと、曲を一番気に入ってくれていた海外の友人にこんなことを書きました。 

「21世紀になってから、私たちが急激に失いつつあるのは「sense of “Mono no aware”ではないでしょうか。

(「もののあわれ」は、「日本人特有」のようなもののように言われていますが、言い方は違えど、このsenseは、国籍や人種を超えて、人間の本能に組み込まれているものだと思う。 )

徳永英明の歌『最後の言い訳』は1988年のもの。

この曲古めかしいとか、センチメンタルすぎると思える人ももちろんいるわけですが、この曲やたぶん、90年代初頭までのJ popsに限らない世界の大衆的な歌、小説、ドラマ、映画かには、「もののあわれ」が感じ取られるものが多かったのではないか、と思います。」

 今はまだAI技術は不完全ですが、実は私たちは90年代後半から急激にコンピュータに支配されるようになり、多くの人の頭の中もデジタル化が進んだ結果、やはり※人間の種類が変わってきてしまったのか。 

(※注

人から悲しみが失われている?
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/eee4be3d6bc0188328b0ff6a37cf684e

このなかで紹介した記事のリンク:

Wired (2014年4月1日)
人から「悲しみ」が失われている:デトロイトの人工知能学者が唱える仮説
http://wired.jp/2014/04/01/aprilfool-2014/
 

参照) 

「悲しみ」という感情は、感じない方が幸せかもしれませんが、「哀しみ」さえ感じられなくなった人は、おそらく「(誰かを、何かを)愛する」ということもできなくなってしまっているのではないでしょうか。

「悲しみ」を知らないから、人に対して残酷な言動が撮れるという面もあるでしょう。

虐め(ネットでの誹謗中傷含む)、虐待、無差別殺人・・・本当の「悲しみ」や「哀しみ」を理解する人だったら、なかなかできないと思います。

 

追記: 

永遠の命を欲しがる人達や、100歳以上の長寿を目指そうとする人がいますが、彼らにとって「悲しみを感じる」という機能は人間には不要、と思えるんではないでしょうか。

「自分は長生きをする=たくさんの身近な人達のお別れを体験する」ことに慣れる為にも。 

トランスヒューマニズムは誰に恩恵を与えるか・1985年映画『クリエーター』
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/c62154c618fffe18ca8d05b8eb2fb22c

レイ・カーツワイル氏の描く世界・“フランケンシュタイン博士”は“ハーメルンの笛吹男”?
https://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/60108c51726d626811a3fceb718de787

レイ・カーツワイルとレオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてGoogleが目指すものはhttps://blog.goo.ne.jp/afternoon-tea-club-2/e/8f37390fb2a58e4e7ca8712199bf9a13 

ところで、永遠の命を求める人達は世界に変化をもたらせようとする人に多いですが、実は最も変化を嫌う人達(人間個人の命は有限ですが、世界は新しい人間にバトンタッチされて新しい世界を作っていく-ということを受け入れられない人達)) 

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