Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

目白視覚障害者の事故に対するルクセンブルクからのコメント

2011年01月23日 | 福祉・医療

ルクセンブルクに住む日本人の友人が、前回のブログ『目白駅、視覚障害者の事故は防げたはずなのに』を読んで、感想を送ってきてくれました。

彼は、日本社会から思いやりや暖かさといった人間性が失われていることを嘆くと同時に、

「柵の設置よりも監視カメラは設置されていないのですかね。パリのように監視カメラでホームを監視していれば、放送で注意を呼びかけることができたはずですし、また、駅員が見守ることもできたはずです。

ベルギー国鉄では、身体障害者には、駅員に乗降時の介添えを依頼するよう呼びかけています。

日本もバリアリーフで設備面の改善だけでなく、鉄道会社側でもっと気をつけるべきだと思います。」

と近隣国での様子を紹介してくれました。

以下は、私が彼に出した返事です。

「障害者や高齢者ではなく、普通の小母さんである私なども、東京よりパリやフランクフルトの方が、居心地がよくなる面があります。

それは、日本の大都市がアメリカのように、健康である若者が中心の町になってしまっているせいもあるのでしょうね。

また、日本人は身内(友人、知人を含む)+一部の外国人には優しいですが、それ以外の人達は大変冷たい、という特徴があると思います。

障害者といえば、先月、バスに乗ったとき、たまたま視覚障害者の方3名が乗ってきたのですが、彼らのために席をあけさせ、甲斐甲斐しくお世話をしていた女性2(2人共赤の他人で、視覚障害者の方達とも面識なし)に出くわしました。

私はバスの後部座席に乗ってみていたのですが、この内一人は、視覚障害者の方がバスを降りたあとも気にして面倒をみて、乗り換えバスのところまで案内しようとしていました。(実のところ、そこまで面倒を見る必要はないと思われましたが、視覚障害者の方は、ありがたく手を引かれていました。-視覚障害者を誘導するときは、手を引くのではなく、相手に自分の上腕を握らせる。)

その女性とたまたま目が会ったので、「慣れていらっしゃいますね。」と声をかけてしまいましたが、彼女は視覚障害者と接したことがないものの、「何とかしてあげなきゃ」と思ったそうです。

こういう人もいるにはいるし、いろいろな問題を気にかけている人はいるんですが、残念ながら、『目立つ行動を嫌う日本人』が多いですね。

タイガーマスク寄付があっと日本に広まったように、『障害者や弱者を気遣うことはかっこいい』という風潮も広まってほしいものです。」

ルクセンブルクの友人は、このあともまた下記の意見を寄せてくれました。

障害者ではないですが、欧州では、行き倒れの人がいて、手助けせずに無視して歩き去った場合には、犯罪になります。

日本のように無視した場合は、訴えられると罰金になります。交通事故でも、加害者だけでなく、そばにいる人も手助けが義務付けられています。人間として、生命に危険をさらされた人を助けるのは当然との考えがあるからです。

目白の事件も、そばにいる人が駅員に急報するなり、非常ベルを鳴らすなど助ける行動に出なかった場合には、犯罪として警察に訴えられる可能性が欧州では大です。日本では、なぜこのような基本的なモラルの法律がないか不思議です。」

私には、『基本的モラルの法律』があるのが当たり前の社会は不自然に思えるのですが(そもそもモラルも思想と同じで、法律で縛れないと思う。)、たとえば今回の事故のコメントで「視覚障害者は他の人の迷惑だから電車を使うな」といったような非人間的な言葉を見たりすると、「もうそこまでしなければならない時代になったのかな」とも思えてきます。

最後に、視覚障害者の誘導方法の説明があるリンクを参考までに貼り付けます。

(「何かお役に立てますか?」と訊いてくだされば、彼らがどうしてほしいか教えてくれるでしょう。)

http://home.c00.itscom.net/t2oho4no/fukusitaiken/yuudou/yuudou.htm

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先日初めてロンドンに行く機会があった。そこでと... (Shinichi Kida)
2011-02-03 02:36:21
先日初めてロンドンに行く機会があった。そこでとてもよい印象だった事がある。日本でも車椅子の方にするように、盲人の方を地下鉄で駅員さんが列車に乗せ、迎えに来ていたのだ。割と若い男性だったが、乗車していたその視覚障害者は考え事をしていたのか、降りる駅だと気づかなかった。駅員さんに声をかけられ、あーっと恥ずかしそうに、降りて行った。さっと肘に手を添えさせ、自然で気さくな対応。とても爽やかで、感心した。私にも盲人の友人がいるので、駅で白い杖を突いている人を見かけるととても気になることがある。一度は本当に連結部分の隙間に入りそうになった方がいて、すかさずドアまで案内した。でも何度も目の見えない友人と一緒に歩いた経験があるから、すぐにこれはまずいという判断が出来た気がする。どんなベテラン!の障害者でも、しょっちゅう健常者がしない失敗をするのを知っていたので、躊躇が無かった。一方自分自身も以前はそうだったのでよく分かるのだが、ここで自分が動けばよいという瞬間に、タイミングよく体を動かすことは本当に難しい。誰か代わりに動いてくれないかと周りを見渡してしまう人が多いのでは。それでは間に合わない、取り返しがつかないことがある。でも、そこのところは本当に体験と訓練が必要だと思う。話は飛躍するが、障害者や弱者を都市の輪郭部や片田舎に隔離するような教育制度、福祉制度のあり方に疑問を感じる。身近に障害者がいないと言う方が、都市部には特に多いのでは。また、子供の頃に接した経験のない方も。そういう社会的弱者を遠ざけ隔離することは、勉強や経済活動の効率化に役立つという考え方が、いまだにあるように思う。でも本当はまったく逆ではないか。そういう考え方は、障害者の社会参加を妨げるだけでなく、健常者自身の日常を不安にし、老後の希望を奪う。そして万が一障害を負ったときの絶望を、何倍も増大することになるのではないかと思う。タイムリーなことに、暗闇体験をする「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントが行われていると妹から聞いた。彼女は5000円を払って参加したのだが、とてもよい体験だったと興奮ぎみに語ってくれた。暗闇の中、ガイドしか頼るものが無い。不安や不思議な安らぎを感じながら、すべてのコースを歩き終わって明るくなったときに、道案内をしてくれた人と初めて対面する。そこには目の見えない若い学生アルバイトの子が立っていた。そこで立場が急に逆転する。あの頼もしかった先導者はふだん障害者と呼ばれ、無力だった自分は健常者と呼ばれているのだ。そのあとしばしディスカッションの時間を与えられたのだが、案内をしてくれた学生は、このイベントを通して本当に自分に自信を持つことが出来るようになったと言う。早速、私もエントリーを決めた。
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Shinichi Kidaさん、コメントありがとうございまし... (Yukari)
2011-02-03 09:22:07
Shinichi Kidaさん、コメントありがとうございました。
視覚障害者の友人(元同僚)に、[点字ブロックや歩道がない十字路は、どうやってそれを察知するの?」と訊いたことがありました。彼女は「風の流れの微妙な違いを察知できるから分る」と答えてくれました。
視覚障害者の方が、電車で、乗り口(扉が開いた状態)と連結部を間違えたりすることは、そういうことで起こるんだな、とそれを聞いたとき思いました。

「自分じゃなくても誰かがやってくれるだろう」「あの視覚障害者は誘導者もつけず駅にいるくらいだから、きっと慣れていてサポートは必要じゃないんだろう」「という自分に都合の良い思い込みを、人々をしないようになってほしいですね。

「日本は障害者、弱者に優しくない」と時々聞きますが、実ははたとえば点字ブロックが日本で発明されたということも。しかし、折角の点字ブロックの上に物を置いたり、自転車を止めてしまう人も多いです。こうしたことは知らないからやってしまう。教育もですが、駅構内や街に『障害者が困ることリスト』『障害者の方への声かけのお願い』のポスターを貼るだけでも、ちょっとは変わるかな・・と思ったりします。

Yukari


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