本日のJBpressに掲載された、エコノミストの翻訳記事です。
エコノミストがこのような記事を書いてくれるとは・・・。
JBpress
原子力の未来:破れた夢 (Economist)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34737
英国の化学者フレデリック・ソディは1908年に、原子核の中にため込まれた巨大なエネルギーが「不毛の大陸の姿を変え、両極の氷を融かし、全世界を笑顔に満ちたエデンの園に」できるだろうと熱を込めて語った。
ところが原子力は軍事利用され、世界に正反対の脅威をもたらした。原子力は、未曾有のスケールで楽園を不毛の地に変えてしまえるのだ。
理想主義者は、原子力も、民生利用の衣裳をまとえばバランスを取り戻し、今後数百年にわたって安くて豊富、かつ信頼できて安全なエネルギーを供給してくれると期待した。だが、現実はそうはならなかった。これからもなりそうにない。
本誌(英エコノミスト)は26年前、停滞気味だった原子力産業を前に進めるには、「多くの原子炉を建設し、毎年毎年、犠牲者ゼロ、重大事故ゼロの記録を積み重ね、安価なエネルギー源となることを議論の余地なく示し続けることだ」と主張した。
当時としては公正な見方だった。しかし、原子力産業は「チョコレート工場と同じくらい安全」だという本誌の結論は、はかないものだった。それから1カ月もしないうちに、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の原子炉1基が制御不能に陥り、爆発。当時現場にいた作業員や、後に除染のために送り込まれた作業員が命を落とした。
汚染は広範囲にひろがり、広大な農業地帯が居住不能となり、何万人もが家を捨てざるを得なかった。事故による放射能がどの程度の被害をもたらしたかは、今日に至るまで不明のままだ。故郷を追われた人々のストレスと苦悩は一目瞭然だ。
そして日本も
それから25年が経ち、「原子力ルネサンス」という声も聞かれ始めたころ、事故は再び起きた。
日本のいわゆる「原子力村」を構成する官僚、政治家、産業界は、チェルノブイリの罪を負う人々のような崩壊しかけた独裁国家の機関員ではなかった。彼らには有権者や株主、社会に対する責任があった。
それでも彼らは原子力を熱心に推進し、その熱意の陰に、貧弱な規制や機能しなかった安全システムの問題を覆い隠し、罪深くも地殻変動のリスクを無視した。その間ずっと、原子力の安全神話を軽率に唱え続けた。
すべての民主主義国がこれほどお粗末なわけではない。しかし、原子力はどんどん、民主主義国のものではなくなろうとしている。
近い将来、原子力に最大の投資をすると見られるのは中国だ。といっても、中国が特に原子力に大きく賭けているためではない。この国の経済規模があまりにも巨大なため、そこそこの関心を向けるだけでも、ほかの国の基準では十分大きなものになるのだ。
中国は、福島の事故を受けて規制を見直す可能性が高い。中国の一部の原子炉は最も近代的で、最も安全な設計だとうたわれている。しかし、優れた技術だけでは安全は実現できない。独立機関による規制と、見逃しているかもしれないリスクを徹底的に洗い出し続ける、念入りで自己批判的な安全文化が必要なのだ。
中国(あるいは相当数の原発建設を計画しているロシア)は、まだそのような規制や文化を提供できることを世界に示したことがない。
どんな国でも、規制対象の産業が主に政府の決定により存在している場合、独立機関が規制をかけるのは難しい。しかし、本誌の今週号の特集記事でも述べているように、政府の後押しがなければ、民間企業が原発を建設するという決断を下すことはないだろう。
その理由の1つは、地元の反対や政策の変更に伴うリスクだ(ドイツの場合、政府が原発に安全のお墨付きを与えていたが、福島の事故後にすべてを停止した。このことは、業界に恐ろしいメッセージを送った)。だが、一番の理由は原子炉が非常に高価なことだ。
チェルノブイリの事故後、新しい設計で資本コストを下げるとうたわれたが、実現しなかった。欧州で建設が進められている一握りの新型原子炉は、もともと巨額だった予算をもはるかに超えるコストがかかっている。
世界で最も原発が多い米国では、シェールガスの開発によって代替エネルギーのコストが低下した。新しい原発が建造される可能性が高いのは、米国南東部など、いまでも電力市場が規制されている州のみだ。
※続きはリンクからどうぞ。
ドイツZDFフクシマのウソです。
日本の自治体が、どんどん瓦礫受け入れ表明しています。政府も原発再稼働を推進してます。
私は日本人として、何をしていったら良いのでしょう。
私の大切で、大事なものと、政治家達の大切で大事なものはちがうのでしょうか?
かなしくなります。
ZDF『フクシマの嘘』の動画、ありがとうございました。
ここで取り上げられていることは、もうこの1年間特にいろいろなメディアでも取り上げられていますが、残念なことにそれでも何も変らないようですね。
(反原発を掲げている)東京新聞が、国税局に厳しく調べられているという話も聞きました。
戦後も、日本は根本は変っていないのかもしれません。
結局は自分の首を絞めて行く事になると思うのですが、そこへ至るまでに
取り返しのつかないことになることだけは、避けたいです。
日本人、一人一人が何かがおかしいと思いながら無関心を突き通すことをやめよう。
と隣人にから、言います。
日本人の多くが、日本以外の国から、どのように見られているかに無関心でいるように、コントロールされていると感じます。
私は日本語しか話せないし、外国へ行ったこともありません。
yukariさんのような、ひとのブログに出会えてうれしいです。
また、時々のぞきます。
私は考え方や価値観は人それぞれであるので、自分の意見を押し付けることはしたくないですが、それでも、「誰しもが未来を作っていく一員」という自覚だけは持って欲しいと思っています。
今回の旅行中、グリッツァーナのマリアさんと息子達も交えて、日本の原発の話もしました。
息子と彼の友人は、マリアさんに「若い人の立場で、原発についてどう思う?今後どうしていきたい?」と質問されていましたが、二人共、「なるようにしかならない」というような諦めの答えをしただけでした。
「今回の旅行で知り合った22歳のアイルランドの若者が日本の原発のことを心配し、日本の将来も考え、そして自分の国やEUの将来についても憂いていた。・・・なのに、この2人はなんだろう。」と唸ってしまいましたが、(この2人が目覚めるのはともかく、)今は日本でも自分達が無関心でいたり、言いなりだったことを反省する人も増えているのではないかと思います。
海外旅行にいかなくとも、英語(他の語学)ができなくとも、インターネットで海外からの情報や意見をたくさん知ることができます。
私のブックマークに入っている『フランスねこ』さんが、最近も海外の声を大分紹介してくださっていますので、それも覗いてみてください。
(とはいえ、一番大切なのは、他の意見を鵜呑みにするのではなく、総合して考えることだと思います。)
では。
ここ何年か、自分がこれから、どうなりたいか、その為にはと色々考えるようになり本を読んだり、ネットを覚えたり、出来るだけアンテナを張って毎日を生きています。
フランスねこさん覗いてみます。