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映画『ミュンヘン』とイスラエル-2

2023年11月20日 | イスラエルのファシスト、シオニスト、他

映画『ミュンヘン』は、始まりがミュンヘンオリンピックのイスラエル選手たちが殺害された事件が始まりであっただけなので、スピルバーグがこの映画に『ミュンヘン』と付けたのはおかしいと思います。

ジョージ・ジョナスの原作の名はwikipediaによると、『標的は11人 モサド暗殺チームの記録』。

この原作で1986年に作られたカナダのテレビミニシリーズは『ギデオンの剣』

Sword of Gideon - Wikipedia

Google翻訳:

『ギデオンの剣』は 1986 年のカナダのテレビ映画で、1972 年のミュンヘン虐殺に関連したテロリストを追い詰めるモサドのエージェントを描いています。 最初はカナダの CTV テレビ ネットワークで 4 時間のミニシリーズとして放映され、その後米国の HBO でも放映されました。 マイケル・アンダーソンが監督し、クリス・ブライアントが脚本を書き、スティーブン・バウアーとマイケル・ヨークが主演するこの映画。 この映画はジョージ・ジョナスの著書「復讐」に基づいており、この事件の記述は一部の諜報関係者によってフィクションであると批判されているが、その秘密の性質のため証明も反証も困難である。

一部の国では、この本は映画のタイトルの由来となった「Vengeance: Sword of Gideon」というタイトルでした。 この物語は、スティーブン・スピルバーグ監督の 2005 年の映画『ミュンヘン』で再び語られました。

プロット

熟練したイスラエル軍将校であるアヴナーは、イスラエルのゴルダ・メイア首相からの特別要請により、イスラエル諜報機関モサドへの入隊を求められ、イスラエル国防軍での勤務を中断される。 父親の警告にもかかわらず、彼は参加することに同意し、ミュンヘン虐殺に関与した黒い9月のテロリスト全員を暗殺する任務を与えられたエリート5人組のリーダーとなる。 しかし出発直前に妻が妊娠していることを明かし、アヴナーは驚いた。 潜入部隊はテロリストの多くがいるヨーロッパに派遣され、銃器や爆弾によるテロリストの暗殺を開始する。 当初、彼らは大成功を収めていたが、アヴナーはターゲットの一人の妻と娘が病院で彼の死を知り泣いているのを目撃し、すぐに自分の任務の倫理性に疑問を抱き始める。 最終的に、この部隊は暗殺の容疑で国際的に指名手配され、ブラック・セプテンバーが派遣したスパイは数カ月かけてアヴナーのチームの大半を殺害することに成功する。

2人の標的の暗殺未遂によりチームはほぼ全滅した後、アヴナーは任務を担当する事件担当官に任務の中止を要請し、彼の要求は認められ、2人の生存者だけで任務は終了した。 イスラエルに帰国したアヴナーの事件担当官は、アヴナーのモサドとの契約期間が3年であることを明らかにし、アヴナーは激怒して仕事を辞め、妻と幼い息子とともにニューヨークに移住しようとした。 そこで彼は事件担当官による嫌がらせの標的となり、イスラエルに戻ってモサドの別の任務に就くよう説得しようとする。 アヴナーは、イスラエル国防軍に入隊して再び士官になりたいだけだと言って拒否した。 彼の上司はその申し出をきっぱりと拒否し、モサドとの契約に違反した罰としてアヴナーの全財産を銀行口座から引き出し、家族は完全に破産した。

しかし、彼は古いアパートを購入して修繕し、タクシーの運転手としてつつましい生計を立てることができています。 映画が終わると、アヴナーが砂漠でイスラエル国防軍の装甲縦隊を指揮する姿が見られ、テキストの段落では彼がヨム・キプール戦争中に戦車部隊を指揮するためにイスラエルに戻ったと説明されている。

 

スピルバーグの『ミュンヘン』と違って、『ギデオンの剣』は、英語版wikipedia「暗殺」は主ではなく、「アヴナーという人間」を中心に描いている様子です。

『ギデオンの剣』が原作に近いのか、『ミュンヘン』が近いのか・・・。

そうであっても、スピルバーグがなぜ『ミュンヘン』とつけたんでしょうか。

 

ミュンヘンオリンピックの事件の仕返しと見せしめとして、イスラエルはPLOにかかわるメンバーを殺害して行きました。

このミュンヘンでの虐殺には、PLOだけでなく、「ドイツ赤軍派」も協力していたと思いますが、イスラエルはなぜ、「ドイツ赤軍派」を殺害することがしなかったのでしょうか?

『ミュンヘン』の映画の中で、アヴナーの友人アンドレアスと彼の恋人イヴォンヌがでてきます。

イヴォンヌは裏社会に通じているようですが、彼女のカルト宗教、偽哲学者の様子を見て、アヴナーは、

「バーダーマインホフか!?」と言います。イスラエルの敵であるはずなのに、まったくそのようなそぶりもなく。

バーダーマインホフはドイツ赤軍、アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフの苗字から。

アンドレアス・バーダー - Wikipedia

ウルリケ・マインホフ - Wikipedia

たまたまアヴナーの友人の名も「アンドレアス」。

 

ところで、1972年に日本赤軍が起こしたテルアヴィヴ銃乱射事件、イスラエルは犯人に寛大だった気がします。

イスラエルから見た「日本赤軍」の謎 50年前の空港乱射事件、イスラエル人はどう受け止めたのか | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

抜粋:

岡本自身も計画では自殺する予定でしたが、その前に逮捕されたそうです。 岡本はイスラエルで裁判にかけられ、終身刑を宣告されましたが、捕虜交換の一環として13年後にイスラエルの刑務所から釈放され、現在はレバノンに住んでいます。

(中略)

日本赤軍によるテルアビブ(ロッド)空港乱射虐殺事件のイスラエルにおける直接的な影響は、空港治安の強化でした。今日、有名なイスラエルの空港での厳重なセキュリティーチェックは、実際にはこの攻撃の結果なのです。第二の影響は、グローバルテロリズムです。日本赤軍とパレスチナのテロ組織とのつながりなど、目標は異なっても、社会を不安にし、国家に対抗するテロ行為を行う組織的つながりが初めて確認された出来事でした。それ以来、現代はますますこのテロ組織と遠隔の人々のつながりに注目が寄せられています。 幸いなことに、日本赤軍のテロリストが望んだような日本国家の転覆やイスラエルとの外交関係は悪化には至りませんでした。

空港乱射虐殺事件の後、イスラエルに悲しみと支援の手紙が世界中から届きました。アメリカのニクソン大統領(肩書はいずれも当時)は、この攻撃を「醜い暴力と流血」と呼び、イスラエルを支持していると宣言しました。悲しみの手紙は、3人のテロリストが飛行機に乗って飛び立ったイタリアからも、そして当時イスラエルと外交関係を持っていなかったヨルダンのフセイン国王からも届きました。 日本政府からは佐藤栄作首相が署名し、イスラエルに対する哀悼と支援の意を記した手紙を託した特使が派遣されました。

 

参考:

イスラム過激派テロは宗教テロか?-日独赤軍派との共通点 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ウクライナ危機と米、欧州委員会とドイツ・ヨシュカ・フィッシャー - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

欧州委員会委員長ウルズラ・フォン・デア・ライエンー2 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

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