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欧州映画界とブルジョア-48(フランソワ・ミッテランの妻の姉の女性映画プロデューサー)

2024年10月15日 | 欧州映画界ネットワーク

『バルドー』のドラマには、フランスの初の映画プロデューサークリスティーヌ・グース・レナルが出てきますが、彼女はフランソワ・ミッテランの義理の姉でした。

Christine Gouze-Rénal — Wikipédia (wikipedia.org)

クリスティーヌ・グース=レナルはフランスのプロデューサーでありレジスタンス戦士であり、1914年12月30日にムシャール(ジュラ)で生まれ、2002年10月25日にヌイイ・シュル・セーヌ(オー・ド・セーヌ)で亡くなった。 彼女は、1950 年代から映画用、1970 年代からテレビ用の映画製作に携わった初のフランス人女性でした。

バイオグラフィー

彼女の本名はマドレーヌ・グース  で、大学校長のアントワーヌ・グースとドイツ占領時代のレジスタンスのメンバーであるルネ・フラショー  という教師夫婦の長女です。 美術史の学位を取得後、パリ音楽院に入学。第二次世界大戦が勃発すると、彼女は労働省で働き、その後映画局局長ルイ=エミール・ガレーの私設秘書となった。同時に、彼女はクリスティーヌ・レナルという名前でレジスタンスで秘密活動を行ったが、この偽名は彼女の映画キャリアを通じてずっと使用されていた。

戦争の終わりに、彼女はアンリ・フレネとフランソワ・ミッテランの私設秘書室長となり、ミッテランは1944年に妹のダニエルと結婚して以来義理の弟であり、その後ラテンアメリカの伝道部長に就任した。彼女は、マルセル・レルビエによって 1943 年に設立された高度映画撮影研究所 4 の共同所長でもありました。 1950 年代初頭に帰国すると、彼女は行政職のキャリアを放棄し、映画に専念しました。 1956 年に彼女は制作会社プロゲフィを設立し、フランス初の女性映画プロデューサーとなりました。

彼女は、ブリジット・バルドーが出演する映画(美しすぎる花嫁、私生活、女とパンタン...)をプロデュースし、ジャン・ヴァレール(『ラ・センタンス』)、アンリ・ヴェルヌイユ(『情事』)など多くの監督と仕事をしています。一夜)、ジャン・ドラノワ(『国民の王国』)、クロード・シャブロル(虎は新鮮な肉が大好き、虎はダイナマイトで自分に香りを付ける)、エドゥアール・モリナロ(『甘い告白』、『運命の皮肉』)、ジャック・ドゥミ(『街の一室』) 。彼女はそのキャリアの中で、約 50 本の映画作品を制作しました。

(後略)


ミッテランとバルドーのことを少し紹介したブログ記事

アラン・ドロン追悼・フランス映画界の戦後-12(ブリジット・バルドー) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

に紹介した記事には、

「1956年 ジャン=ルイが徴兵される。官僚フランソワ・ミッテランに呼び出され対面する。
手をしゃぶられながら「僕と寝たらジャンにはそれなりの場所に配置してあげるんだけど」
と要求される。ブリジットは怒りに震え一切応じず。」

と書いてありました。さすがに義理の姉の目に掛けている女優にミッテランがこういう発言はしなかったでしょう。

 

ミッテラン元大統領-極右から左派、植民地主義者 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ロレアル創業者はじめファシストグループCagouleのメンバーを容認したフランス - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ロレアル社創業者と娘婿とファシストグループ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ミッテラン (y-history.net)

 

しかし、戦後、ヴィシー政権にかかわった人たちにやさしかったミッテランは、フランス映画界にとって大切な政治家だったことは想像できます。

が、実はミッテランを飛び越えて、映画界は政治に大きくかかわっていくために都合がよかったのが、ブリジット・バルドーであったのかもしれません。

「フェミニスト」でなかったブリジット・バルドーも「フェミニズム」の原型へ、映画監督最寄り映画と政治をくっつけていくー

女優ブリジット・バルドー:セイレーンの呼び声 | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

映画監督ジャン=リュック・ゴダールとヌーヴェルヴァーグの功罪 | パリジェンヌメーカー|さよなら、パリジェンヌ⑨| カルチャー | ELLE [エル デジタル]

ブリジット・バルドーの解体と「まなざし」の転換──アストリッド・クラインのNY初個展をレビュー|ARTnews JAPAN

 

もちろん、陰ではオナシスやワイラー等の富豪たちが政治家とも一緒になって映画界の裏にいます。

参考:

アラン・ドロン追悼・フランス映画界の戦後-12(ブリジット・バルドー) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

欧州映画界とブルジョア-23(米国だけでなく欧州でも力をもったエルザ・マクスウェル) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

モナコはいかに「地中海の宝石」になったか? | THE RAKE JAPAN | The Modern Voice of Classic Elegance

 

仮置き:

Gouze — Wikipédia (wikipedia.org)

Olympe de Gouges — Wikipédia (wikipedia.org)

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