三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』3

2009年04月25日 | 問題のある考え

カルトに加わるのはおかしな人かというと、ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』によれば、
「精神的トラブルのある人や、精神障害者は、メンバーの三分の一以下にすぎない。臨床家のなかには、カルトのメンバーのほうが、そうでない人びとより精神が不安定であることを示す証拠はなにもない、と言う者もいる。実際のところは、精神的苦悩を癒すためにカルトに加わる人が多い」
何らかの問題を抱えている人が、問題解決のためにカルトの門を叩くというわけである。
「彼らは、カルトに加わるまで、社会への不適合や悲しみ、孤独、疎外感を感じていた。社会との接点はごく限られたものだった。精神的危機に陥った人びとは、カルトに加わることで、精神的苦痛がかなり和らげられている―少なくとも、一時的には」

だったらカルトは問題ないのかというとそうではなく、ロバート・I・サイモンはこのようにカルトを批判する。
「精神医学の見地からすると、カルトに加わることは、個人の成長を妨げ、責任感を放棄する危険がある」
「自分で考えずに人の言うなりになることは、人生を豊かにする経験からもっともかけ離れたものだ」

教祖が何か問題を起こし、時には教祖自身がみんなをだましていたと告白しているのに、それでもなお信じ続ける信者がいる。たとえば、信者に質素な生活を強要しながら、教祖や幹部が物質的に豪華な生活をしているカルトは珍しくない。
「カルトは戒律や規則を作ってメンバーに遵守させるが、その多くは資金集めの活動を奨励するものだ。カルトの精神生活にとって、お金はおよそ不必要に思われるが、実際には日々の活動をつづけるために不可欠なものだ。メンバーは労働を搾取され、個人の収入までも、カルトや指導者のためと巻き上げられる。なかには、メンバーには快適さをいっさい求めぬ暮らしを強いながら、指導者は贅沢三昧というカルトもある」
「カルトの指導者は神と特別な関係にあるため、多くの一般信者が縛られている俗世の規則や苦労から解放されている」

それなのに一般の信者は欲望を抑え、慎ましやかにしていないといけない。
「メンバーたちには、現世の物欲や快適さを捨てる代償として、救済と癒しが約束される。メンバーの多くは進んですべてを投げだし、無一文の状態になる」
にもかかわらず、信者は「カルトの理想に心を捧げるうちに、個人的な苦労など無視すべきささいなものだと信じるようになる」

どうしてなのか不思議になるが、ロバート・I・サイモンによると、「カルトは、精神的飢餓状態にある人びとに、指針と目的と愛と慈しみを与え、帰属意識や、精神的葛藤からの解放、それに自制心をもたらしてくれる」からである。
「たとえ指導者の化けの皮が剥がれ、まやかしだとわかっても、カルトから抜け出すことは難しい。人生の意味を教え、精神的支えを与えてくれた、理想化され偶像化された人物を、失うことになるからだ」

でも、カルトに入信したからといって、みながみなカルトにはまってしまうとか、心に傷を受けるわけではないらしい。
「統一教会の週末入門基礎講座を受けた人は、相当な数いたはずだが、そのまま入信したのは三万から四万人、1990年現在のメンバーの数は六千人にすぎない。多くのメンバーが、信仰を捨てるよう説き伏せられることなく、自発的にカルトを去っている―その後も、目立った精神的影響は出ていないようだ。傷つくことなく抜け出した幸運な人びとにとって、それは人生の一つの節目にすぎない」
「カルトに加わったことで、精神的ダメージを受ける人がいることはたしかだ。その一方で、様々な恩恵に浴した人びともいる。カルトへの流入流出を調べた統計によれば、カルトをやめた人の大半は、大きな変化も来さず、一時の気の迷いと受けとめ元の生活にもどっている」

ほんまかいなと思うが、米本和広『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』にもマインドコントロール論や脱会カウンセリングに対する批判が書かれている。
長年、統一協会の信者だった人が自分から自主的に脱会することもあるし、研修会に参加した人がすべて信者になるわけではないそうだ。

元信者を対象にした脱会後の予後調査
A群 自発的脱会者
B群 自発的に脱会カウンセリングを受けた者
C群 強制的に脱会カウンセリングを受けさせられた者
                                     A群   B群  C群
意識の浮遊や変性状態がある   11%  41% 61%
悪夢がある                        11%  41%  47%
記憶喪失がある                    8%  41%  58%

うーん、カルトへの入信が若気の至りで、人生の肥やしになるとはとても思えないが。
家族のだれかがカルトに加わると、残された家族は反カルト感情に凝り固まり、何とかカルトをやめさせようとする。
しかし、「迫害に曝されているという思いが、グループの絆をいっそう強める」ことになり、「メンバーたちを孤立化させ、意思の疎通がはかれなくなる」
そして、強制的にやめされると何らかの後遺症が残ることがある。
だから、無理強いはかえってよくないそうだ。
じゃあ、どういうふうにしてやめさせたらいいのだろうかと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする