三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『ブタがいた教室』と『豚のPちゃんと32人の小学生』1

2009年04月03日 | 

小学6年生の担任が「ブタをクラスで飼い、そして最後は食べます」と子どもたちに宣言し、そうして飼っていたブタを食べることで命について考えようというアイデアはなかなかのものだと、最初は思った。
しかし、前田哲『ブタがいた教室』を見て、担任の安易な思いつきにすぎなかったのではという気がした。

普通、ペットは殺さないし、食べない。
子どもたちは豚にPチャンという名前をつけ、先生に言われたからではなくて、進んでPチャンの世話をする。
Pチャンの世話をしていくうちに情が移り、肉を食べるために飼う豚ではなく、子どもたちのペットとなった。
Pチャンを殺して食べるのは、家で飼っている犬やネコを殺すのと一緒。
担任は最初、子どもたちがここまで豚に愛情を持つとは思わなかったのではないか。

で、担任だった黒田恭史氏が書いた『豚のPちゃんと32人の小学生』を読む。
映画は実際とはかなり変えている。
まず映画では6年生の一年間の話だが、実際は4年生の7月から卒業まで豚を飼っている。
豚をどこで買うか、それがまず一苦労。
そして、豚小屋の付近で蚊と蝿が大発生したり、豚が風邪をひいたり、毎日試行錯誤の連続だったと原作にはある。
映画では担任と子どもたちだけで豚を飼ったようになっているが、実際は多くの人に手助けをしてもらっている。
たとえば豚小屋にしても、子どもたちだけで作ったわけではなくて保護者が協力してるし、Pちゃんが大きくなるというので豚小屋を改修している。
豚を飼い続けることの大変さにはお金の問題もある(風邪薬や小屋の修理費などなど)。
子どもたちは廃品回収をしてお金を作る。
こうした苦労は映画では描かれていない。

黒田氏は命の教育ということでいろんな試みをしている。
たとえば、子ども動物園の八木修氏に来てもらい、豚について話をしてもらう。
豚は生まれて6ヵ月ぐらいで100kg前後になると豚肉にするのだそうだ。
そして、豚の寿命は何年ぐらいか、豚がどれくらいまで大きくなるのか、その体重をいつまで支えきれるか、誰にもわからないだろう、と八木氏は言う。
人間に食べられるのが豚が生まれてきた意味だということになるか。
ちなみに、日本人は豚肉を1年間に1人あたり約5kg食べており、日本全体だと6億kg。
豚肉になる豚は約100kg、そのうち豚肉になる部分は60kg程度なので、1年間に1000万頭の豚が殺されていることになるそうだ。
ところが、厚生省の調査では年間約2000万頭の豚が食肉になるという。
いやはや、知らないことだらけである。

あるいは、人間は何匹の虫を踏んでいるかということ。
まず足の裏の面積を求め、そして一定量の土の中にいる生き物の数を調べる。
1m四方、深さ15cmの土の中にみみずやむかでなどの大型のものが360匹、とびむしやだになど中型のものが202万8000匹もいるそうだ。
ある生徒の場合だと、片足の下には約3万6400匹もの生き物がいることになる。
あるいは、食肉センターに行って、豚が解体されるのを見学する。
ただし、喉元を切られるところや頭と足を切り取る部分は見学が許可されない。
あるいは、中華まん作り、ソーセージ作りなど。
そして、記録を残すために絵本を作る。

4年の終わりにPちゃんの処遇をどうするか結論が出せないままに終わり、クラス替えとなる。
5年生の9月からテレビの取材が入る。

卒業が間近になり、Pちゃんをどうするか、子どもたちが討論をする。
3年1組に引き継いでもらうか、食肉センターに連れていくか、子どもたち同士で何度も話し合い、保護者にも話し合いに参加してもらうこともあった。
映画でもこの討論の場面は圧巻である。

Pチャンの世話を下級生に頼むか、それとも食肉センターに連れていって殺すかの選択を子どもたちはしなければいけない。
ブタを殺したくないという子と、殺すしかないという子と半分に分かれ、涙を流しながらすごく一生懸命に話し合う。
ご飯を食べる時、目の前の牛肉や豚肉がもとは生きていたなんてことは考えない。
でも実際にブタを飼うことであれこれと考える。
自分が飼っているブタの命は大切だけど、スーパーで売っている豚肉になったブタの命はどうでもいいのか。
じゃあ、これから豚肉は食べないのか。
そういうことを子どもたちが真剣に、時には泣きながら、きちんと自分の意見を述べる。
子どもだからと馬鹿にできない。

原作では、子どもたちの結論は、まずは3年1組に引き継いでもらうことですすめ、どうしてもダメな場合は食肉センターに持っていく、最後の決定権は担任の黒田氏にあるということになった。
結局、黒田氏は食肉センターに持っていくと決断する。
どうして下級生に頼まなかったのだろうか思った。
黒田氏もよくわかっていないらしい。
子どもに食肉センターに連れていく(つまり殺す)ことがどうして一番いい方法なのかと聞かれ、黒田氏は「今わからない。ごめんね」と答えている。
このことについてのインタビューを読んでも、黒田氏が何を言っているかよくわからない。

他にも疑問がある。
たとえば、食肉センターに運ぶためにPちゃんをトラックに乗せるのに子どもたちを手伝わせたこと。
餌を入れたバケツを見せてトラックへ乗せようとするのだが、Pちゃんはトラックへの坂道を上がろうとしない。
ロープを鼻と足に巻き付けて引っ張る。
子どもたちもそのロープを引っ張る。
Pちゃんは足を突っ張って抵抗する。
泣き始める子もいる。
Pちゃんは今まで聞いたことのない叫び声をあげながらトラックに乗る。
そこまで子どもたちがしなくてはいけないのかと思う。

そして、豚を飼う〝教育効果〟について。
豚を飼うことで何もかもうまくいったわけではない。
「クラス内での子どもたち同士のもめごとや、いじめにしても何回もあった。お金がからんだこともある」そうだ。
「ただ、子どもと保護者と教師の全員が一つのことに必死になれた。教育の一つのありようを自分たちが創り出すことの意欲を持っていた」
では、黒田氏は次のクラスを担任した時にどうして豚を飼わなかったのか。

「Pちゃんのときの子どもたちは今はどうしていますか?」と聞かれることが多いという。
「質問した人は、素朴に彼らのその後を知りたいという気持ちとともに「こんな経験をしたのだから、彼らが大きくなっても他の子とは何か違っているのでしょうね」という〝教育効果〟を聞き出そうとしているように感じていた。しかし、そんな〝教育効果〟は全くといってよいほどないように思う。3年間よりも、その後の8年間の方がずっと長いし、もっと多感な時期であったことだろう。だから、Pちゃんのことが、全てに飼って大きな出来事であるはずがなかった」
いわゆる〝教育効果〟というのも安直な話ではあるが、だからといって豚を飼っても飼わなくても子どもたちにとっては同じことだったというわけでもないだろう。
子どもたちは何かを得たと思う。
それは黒田氏の狙いとは違うかもしれないし、子どもたちも言語化できないかもしれないが。

コメント (8)
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