三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

スタッズ・ターケル『「よい戦争」』2

2013年04月01日 | 戦争

原子爆弾の製造に関わった研究者へのインタビュー。
フィリップ・モリソン「マンハッタン計画の核物理学者」
戦争中、モリソンは核物理学者だった。
「原爆をつくるのは正当だという雰囲気だった。いまでは、もちろん、正当だとは思わない。だけど、もしもう一度やらなきゃならないとしたら、同じことをするだろうというのが正直なところだ。ナショナリズムというのは恐るべき力だよ」

「ファシズムをくいとめるために我われは戦った。しかしそのために、ファシズムに反対する社会も変容してしまった。ファシズムの属性のいくつかを自分のものにしてしまった」

ジョン・H・グローブ「核化学者」

グローブはマンハッタン計画に加わった科学者のひとり。
広島に原爆が落ちたことを知ったとき。
「私のとっさの反応は大得意だったよ。それから次の反応が起こる。(ささやき声で)ああ、なんていうことだ! 都市に落とすなんて! ボスの部屋に入っていって、(ささやき声はどなり声になる)原爆を十万人とかの大都市に落としやがった。なんで、東京湾か、トラック島のでかい海軍基地に落とさなかったのか。なんで、民間人のたくさんいるところへ落としたのかってね。ボスはユダヤ人でホロコーストのことを知ってる男だよ。それが「なんだっていうんだ。連中はジャップじゃないか。犬畜生だぜ」っていう。私はショックだった。彼にたいする尊敬はいっぺんになくなってしまった」

原子爆弾を投下した人。
ビル・バーニー「ナガサキへの飛行」
長崎に原爆を落とす飛行に加わった乗員のひとり。
ターケル「この話題になるたびに質問されると思うんだが、あなたも、他の乗組員も悩まなかったかってね」
バーニー「おれの知るかぎり、そういうのはぜんぜんいない。世間にさわがれたのが一人いただけだ」
その一人とは『ヒロシマわが罪と罰』を書いたクロード・イーザリーである。
イーザリーは以前から精神的に病んでいたという。

ジョージ・ザベルカ神父「テニアン基地従軍司祭」
ザベルカ神父はテニアン島から出撃する搭乗員を祝福していた。
「搭乗員を祝福するのは習わしだった。飛行機をじゃなく。爆弾をじゃなくだがね。私は自分に何度もこの問題をなげかけたんだ。しかし、乗員は私たちの教区の一員だった。危険な任務についていくんだ。我われの男児、若者たちで、死の危険にさらされている。島のラジオが教えてくれるまでは、どんな爆弾を落としてるのか私は知らなかった。それで、ショックだよ。突然、八万の人びとが、あの一発で殺されたんだ。(略)
恐ろしさを、クリスチャンとしては、司祭としては、感じるべきだったのに、感じてなかったんだ」

「感じなかった理由は、教会が、宗教指導者のだれもが、声をあげなかったからだ。焼夷爆弾の非道徳性。ドレスデンで、日本で。スペルマン枢機卿はテニアンにきたことがある。私はおぼえているよ。終戦まぢかの大きなミサのときだった。彼は、諸君戦いつづけよって力説するんだ。我われは自由のために、正義のために、パールハーバーで日本人がなした恐怖をうち負かすために戦っているとかだ。ヒットラーをうち負かすために戦ったようにね」

ターケル「他の従軍牧師はどうなのかね? その問題はもちだされたことがあるのかな?」
ザベルカ「原爆投下の道徳問題にはけっして立ちいらなかった。たぶん私たちみんなが、ひどいことだが必要だと感じてたんじゃないかな。忘れちゃいけない、我われは無条件降伏を要求したろ。これも聖アウグスチヌスの「正義の戦い」の原則に反する。つまり、相手方が降伏の準備があるときに戦闘をつづけてはならないんだ」

「原爆」を「原発」に置き換えてみてもいいと思う。
原発の建設に関わる人たちは「原爆をつくるのは正当だ」と思ってるだろうし、作業員が被曝しても「なんだっていうんだ」という程度だろうし、原発事故は「ひどいことだが(原発は)必要だと感じてたんじゃないか」。

1945年10月、ザベルカ神父は日本行きを命ぜられる。

「九州で私は、広島からきた何人かのシスターや宣教師たちにあった。長崎にはすでにいっていて、廃墟をみて、被爆者の数人と話していたんだがね。何千人もが「原爆症」になっていたよ。思えば、私がほんとにわかりはじめたのは、このときだね。ここに、戦争とは何の関係もない小さな子どもたちがいる。その子どもたちが死んでいく、多くのものは静かに、ほんとにおとなしく。ただ静かで、ただ死んでいくんだ。良心の虫がうごめきはじめる」
現実に被害を受けている人を知るということが大切だと思う。

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5 コメント

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Unknown (てるてるぼうず)
2013-04-01 22:12:59
>連中(日本人)はジャップじゃないか。犬畜生だぜ。
またまた、良いこと言ってます。

日本人を人間と思って殺していたら、アメリカ人は犬畜生以下の生き物ですもの。

まあ、こちらも「鬼畜米英」ですから同じようなものですね。

神とマインドコントロールされ現世利益を求める氏子の村組織ほど怖いものはない。
日本中・・・じゃなくて世界中にいっぱい・・・
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前回のコメントの続きも含めて (となりのみよちゃん)
2013-04-02 05:41:23
怨親平等という言葉があり、これは、生きてるときは、敵味方になって戦っても、、亡くなってしまえば、対立をのり超え、お互いの冥福を祈る、というようなことのようです。
怨親平等は、明治維新のころまであった日本人の崇高な精神!!と説く人も多いと思います。
明治政府が靖国神社を建立したときは、官軍の兵士の冥福だけ祈り、幕府側の戦没者は除外。このことが、ず~~と尾を引いて、精神にかげりを刺している。そして、今でも他国の感情を逆なでしている、と思います。
今年は、大正102年昭和88年、明治なら、ワッ、数えるのが、面倒・・・
これから先、戦争はしないのが一番ですけど、面倒くさがらずに、いろいろな方法で日本が戦争をしていたという事実も知っておかないと、困ります。もし戦争がおきてしまったら、まっさきに、徴兵されるのは、桜の下でカンチュウハイ飲んでいた、あの若者のような人かも・・・
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コメントありがとうございます ()
2013-04-02 14:58:10
>てるてるぼうずさん
カナダに亡命したアメリカ陸軍元兵士ジョシュア・キーは、新兵訓練所で「アメリカ人は地球で唯一の優秀な国民であり、すべてのイスラム教徒とテロリストは死に値する」とたたき込まれたそうです。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/70a345cb14b965e43b2aec46dbc34f02
キューブリック『フルメタル・ジャケット』も人間性を破壊して殺人機械になるという話でした。

>となりのみよちゃんさん
「怨親平等」は仏教の言葉だと思っていましたが、ネットで出典を調べてもわかりませんでした。
『法句経』にある有名な「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」という言葉があります。
http://seijyaku.fc2web.com/hou.htm
ここらでしょうか。

賊軍の戦死者も招魂社で祀ればいいという話ではないと思います。
喜んで国のために死んでいく人を作る装置としてのヤスクニです。
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どこか、供養に関係あるところ、いらした? (となりのみよちゃん)
2013-04-03 06:15:15
「怨親平等」の考え方・・・空海が、密教伝授にあたり、門徒弟子、区別することなく怨親平等に扱うべき、としたのが本来の意味。

糸満の「平和の礎」アメリカ兵14000人他、他国民も慰霊。(靖国問題は、高橋哲哉さんの本に、詳しい。)
 
日記に、「原発の建設に関わったひとは、原爆と作るのは正当と思っている・・」って書いてあっりますけど、建設当初は、そんなことまで、考えていなかった人も多いと思います。
そこまでいわれてしまったら、なんか、お気の毒。
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知りませなんだ ()
2013-04-03 14:26:47
「怨親平等」の初出を再度調べると、『過去現在因果経』に由来するとありました。
私は「怨親平等」とは、こんちくしょうと思う人間も親しい人間も等しく接することだと思ってたら、「日本では一般に、戦いによる敵味方をとわず、一切の犠牲者を供養し救済しするなど、平等に応じる意味に使われる」とあり、驚きました。
空海が用いた意味とは全然違うんですね。
『法句経』とも違うし。

>「原発の建設に関わったひとは、原爆と作るのは正当と思っている・・」って書いてあっりますけど
「建設」という言葉が不適切かもしれません。
原爆だって最初のころは平和のためだったわけでしょう。
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