青草民人さんです。
最近、通勤距離が長くなったこともあり、大きなカバンをぶら下げて通うのがおっくうになりました。たまたま、父から譲り受けた新品のデイパックがあり、荷物を詰めて背負って通うことにしました。両手が使えて、なかなか便利です。自分が使わなければ、父が散歩にでも使ったにちがいありません。
快適に使って通勤していましたが、さすがに毎日使っていると、ほころびも出てきます。ある日、とうとう縫い目が破れてしまいました。両手が使えて便利なので、さっそく家にあった一回り大きなデイパックに荷物を詰め替えて出勤するようになりました。
すると、背中のデイパックが少し大きくなった分、たくさんの物を入れるようになってしまいました。以前よりもたくさん物が入れられる分、荷物も多くなり、重くなり、荷物を背負うのがしんどくなってきました。しかも、余計な物まで入れるようになり、本当に使うのかどうかも考えずに、本だの着替えだのをほうりこむようになったのです。
あるとき、ふと思いデイパックを担いでいて、気がつきました。
人間は、大きな入れ物を持つと、余計な物を入れたくなる。また、入れ物を満たさないと不安になるものだと。
これって、人間の欲望にも同じことがいえるのではないかと考えます。人間は、自分を取り巻く器(地位や名誉、財産や立場など)が大きくなればなるほど、余計な物を取り込んで、あくせく苦労しなければいけなくなります。そしてさらに、もっと大きな入れ物を持ちたいと願い、その中を欲望で満たそうと必死になるのです。
身の丈に合った物を持ち、不要な物を除いて身軽になることのほうが、快適なくらしをおくることにつながると思います。
京都の龍安寺の手水鉢に「吾唯知足」という言葉が書かれていたのをおもいだしました。「われ、ただ足るを知る」と読むのでしょうか。「知足」という言葉には、私たちの日ごろの心、日常のくらしを見つめ直す力があるように感じます。
最近、シンプルライフとか断捨離という言葉が流行っています。無駄を省き、物欲から解放されることによって、自分の生活を身軽にし、本当に大切にしなければいけないものに目を向けていこうという風潮でしょうか。
震災以来、人々は知足の促しを再三受けてきましたが、時間の経過とともに、再び我欲の肥大化が始まろうとしています。せめて、背中に背負ったデイパックの中身が欲で満たされないように用心しないといけないなと思います。
先月、自分の不注意から左手の親指を骨折しました。普段は、左手の親指がどんな役目をしているのか、気にもとめたことがありませんでしたが、利き手でもない左手の親指が使えないと、ワイシャツの袖のボタンがとめられなかったり、納豆のたれが開けられなかったり、とても不便でした。
親指とは、誰が名づけたものなのか、手の中心となる指なのですね。これも知足だったのでしょう。足りていたことを知らなかったのです。「怪我の巧名」という言葉がありますが、私にとっては、まさに「怪我の光明」でありました。
最新の画像[もっと見る]
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- 植松聖「人を幸せに生きるための7項目」 4年前
- ボー・バーナム『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』 5年前
- 森達也『i -新聞記者ドキュメント-』 5年前
- 日本の自殺 5年前
- 日本の自殺 5年前
- アメリカの多様性 5年前
- 入管法改正案とカファラ制度 6年前
- マイケル・モス『フードトラップ』 6年前
当初、両手の指は、浣と表記されていましたが、いつしか干と称されるようになったそうです。古代中国人は、甲乙丙丁・・・を十干に当てはめていたそうですが、これによると、左手の親指は、己(おのれ)ということになります。知足の黄門様のお話は、またの機会に。
知足ではありませんが。
己は左手親指としているサイトがあれば、
http://isou.at.webry.info/201111/article_1.html
左手中指と↓にはあります。
http://e-walking.net/ma/ma038.html
はじめ、変態の歌かとおもっちゃった。オジサマにきいたら、好きな人どうしは、小指が赤い糸で結ばれているんだって。
アホな、わたしには、小指が、たくさん、あるんだぞ----.
誰かと思いました。
おせっかいですが、お伝えします。赤縄という故事が、ございます。お調べください。辞書の引き方、わからなかったら、円さんにでも、おすがりしたら?
小指たくさん、お持ちのようで・・・よろしかったら、一指お分けください。わたしは、大根足を忘れようとしている女です。
忘足より。
http://www.katch.ne.jp/~kojigai/gekkarou.htm
離婚して何度も結婚する人は何重にも縄で縛られているわけでしょうか。
足に結ぶわけですから、小指がなくても大根足があれば大丈夫。
漢語、ついでに、もう、ひとつ。
良縁天定・・・「縁あれば、千里も来りて相会す。縁なければ、対面するとも相逢わず」
伊東ゆかり、ときたら、園まりも。
逢いたくて、逢いたくて・・・こんな、歌もありました。
すいません。
でも、円さんも、忘足さんも、本来、大変、まじめな方だと、思います。ただ、足るを知る、境地(めざしているのであれば)への道のりは、はるかなことでしょう。
こういうのはちょっと恥ずかしいと思うのですが。
園まりだったら何と言っても「夢は夜ひらく」ですね。
伊東ゆかりも園まりもヒット曲はたくさんあるのに、他の曲は思い出せません。
青草さんに「コメントがありました」とメールしました。
漢文では、恥ずかしいことは、ないと思います。
紅楼夢や、金瓶梅の話に比べたら、きわめて、普通の漢語かと、思いますが・・・
今の時代、そういうのも、見た方がいいのですか?
♪ どうすりゃ、いいのか、このわたし・・・
夢は、夜、開く?開かない?