有名な囲碁や将棋の名人が人工知能(AI)に負けてしまったり、手術に関する指示が人間の経験よりAIの選択のほうが優れていたりというニュースを聞いた。先日の毎日新聞の記事に、49パーセントの職種が、今後10年から20年のうちに、AIやロボットに代替可能になると書かれていた。
少子高齢化に伴い、日本の生産人口は2060年には4418万人と、ピーク時の1995年の8716万人の半減となると予想されている。生産人口の減少と高齢者の増加を補う意味では、AIやロボットがその代替をすることでバランスがとれるというメリットがある。
しかし、単純作業を含む仕事の多くがAIやロボットに奪われることで、失業を余儀なくされる人たちが出てくることは大いに考えられるとともに、現実的に二極化しつつある貧富の差をさらに助長することにもつながることが予想される。
機械の指示や命令に従って、間違いのない作業を行うという仕事に創造性は見出せない。また、人間の活動そのものがAIやロボットに依存する生活になってしまうことも、自らの人間性を破綻させることにつながってしまう。
すでに、仮想体験と現実が交錯したキャラクターゲームが世に送り出され、空前のブームになっている中で、正常な人間の生活リズムすら狂わされてしまっている。AIによる自動運転を可能にする自動車の販売も開始され、大切な人命をマシンに委ねる時代も来た。
未来の生活を描いた漫画や映画の世界が、少しずつ現実化している。
人工知能(AI)の発達は、職種を減らすばかりではなく、人間の生活そのものの変化に影響を与えている。
学校の学習においても、単純に知識を暗記する活動は、すでにITC機器の出現によって、いつでもどこでも必要な知識が引き出せるようになることで無用になる。学校でこれから学ばなければならないことは、広範な知識を覚えることではなく、こうした知識を自分なりに再構成する思考力や判断力、そしてそれを効果的に活用するために表現する力(表現力)である。AIにはできない創造性のある資質や能力を高めること、豊かな感性を持つことが、これからの教育には求められる。
便利で快適な生活のために、効率化や省力化ばかりに目が向けられ、創造性や人間性を見失っては、人間の尊厳そのものが見失われてしまう。以前、「デジタルとアナログ」という題で書いたことがあるが、まさにアナログ的な人間の資質や能力が、これからの時代社会を生き抜くために、再び脚光を浴びる時が来たように思う。人間は考える葦であることを再認識したい。
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