小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』によると、格差社会であるアメリカは「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」という4つの階層に分かれた社会である。
「特権階級」「プロフェッショナル階級」の上位二階層を合わせた500万世帯前後、総世帯の5%未満に、全米の60%の富が集中しており、トップ20%が84.4%の富を握っている。
経済的に安心して暮らしていけるのは、5%の〝金持ち〟だけ。
アメリカ国民の60~70%を占める中産階級は「プロフェッショナル階級」と「貧困層」に二分化している。
1980年以降、すなわちレーガン政権により、アメリカの所得分布は大きく方向を転換し、所得格差が猛烈に拡大し始めた。
アメリカ社会の最下層にいるのが、貧困ライン(4人家族で年間所得約280万円)に満たない世帯や、スラムの黒人やヒスパニック、保留区のネイティブ・アメリカン、難民や違法移民の大半で、人口の25~30%前後を占めている。
貯金が全くない世帯は25%。
人口の15.7%、4500万人は医療保険が全くない。
必要な医療も受けられない彼らは、病状が悪化してどうにもならず、止むを得ず病院へ行けば、返済できないほどの多額の借金を抱え込むことになる。
「落ちこぼれ」はどういう生活をしているのだろうか。
バーバラ・エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド』は、「福祉改革によって労働市場に送り込まれようとしているおよそ400万ともいわれる女性たちは、時給6ドルや7ドルでいったいどうやって生きていくというのだろう」と考えた著者が現場に飛び込んで、身をもって体験した体験記である。
バーバラ・エーレンライクは1941年生、博士号を持ち、文筆業。
1998~2000年にかけて、フロリダ州でウェイトレス、メイン州で掃除婦と老人介護、ミネソタ州でウォルマートの店員をした。
一番の問題は住居らしい。
全国平均で、ワンベッドルームのアパートを借りるためには時給8ドル89セントが必要。
にもかかわらず、全労働人口のほぼ30%が時給8ドル以下で働いている。
では、どういうところに寝泊まりしているのか。
フロリダ州でウエイトレスをしていた時の同僚たちの住まい。
・ボーイフレンドと週170ドルのトレーラーハウス
・ルームメイトと週250ドルの簡易宿泊所
・夫と1泊60ドルのモーテル
・ショッピングセンターにヴァンを駐車
適当な値段のアパートがなかなか見つからないこともあるが、アパートを借りるために必要な1ヵ月分の家賃と敷金が彼らにはない。
一つの仕事だけではやっていけないので、別の仕事をせざるを得ない。
当然、身体にはこたえるが、健康保険に入るためのお金もないし、貯金もない。
だから、病気をしても休まないし(病気欠勤の手当が出ない)、病院には行かない。
1998年までは「トイレ休憩の権利」すらなかった。
自分の家の掃除を業者に任せる人がいる一方で、身体の具合が悪くても仕事をこなしていかないと生活できない人もいる。
「彼女たちのようにぎりぎりどうにかやっている人たちがいっぱいいるというのに、一方で、こういう持てる人間がいることをどう思うのか」という疑問を持ったバーバラ・エーレンライクは、掃除婦をやめる時に、同僚たちに「客たちのことをどう思っているのか」と尋ねる。
その質問に対して、深刻な椎間板の故障を抱え、8000ドルのカードローンを抱える24歳はこう答える。
2人の子を持つシングルマザーの返答。
なぜ格差は広がるのか。
小林由美はその原因を、金持ちは損になることをしたくないからだと言う。
候補者の目がどこに向くかは言うまでもない。
ワーキング・クラスからの徴税を大幅に増やし、投資収入で生きるトップクラスの税負担を減らすことが、連邦準備制度理事会議長グリーンスパンがレーガン大統領のために考案した〝減税策〟だった。
このトリックを大々的に報道するマスメディアはアメリカにはいない。
ついでだが、イラク侵攻の最大の理由の一つは、ドルの対ユーロ防衛なんだそうだ。
フセイン大統領は2000年の11月に、石油の輸出価格をドル建てからユーロ建てに換え、同時に国連への預託金100億ドルもユーロに換えた。
しかし、この番組。とくべつに貧困者や被差別者でなくても、睡眠障害に悩んでいる女性とか毎日、毎日、次から次へとよくまあ問題が尽きないなあと。
この番組のキャスター、国谷裕子さん。ただニュースとして伝えてるんではなくて、ゲストと的確なトークをやっておられまして。頭の回転が早く、おまけ(?)にとても美人でとある女性が評してました。
でもこんな番組やってたら、こっちの方の神経が参ってしまいそうで。私だったら三日でキャスター辞めさせてもらいます(笑)。でも長井さんのように誰かが伝えなければいけないんでしょうね。
でもまあ、ホームレスの人と接していて行政に対して怒りに満ち満ちた人がいるかと思えば、達観してしまったような人もいますよ。
川を跨ぐ道路の脇の電柱の脇にテントを張ってる人が「ついこないだも、この橋の欄干でクビを吊った年頃の女の子がいたんや。ワシらは若い頃、ムチャし過ぎてこうなったんやが、どうにかこうにかアルミ集めて生きてる。今では警察と顔なじみで、ワシにいろんな事件の相談をしてきよんのや(笑)。でな、ワシらに金使うぐらいやったら、ああいう普通の家に住んでても、たいへんな人間を政治ちゅうもんは救うたらなアカンのや」
この言葉をどう受け取っていいものやら。
20万円もらって自殺幇助というか殺人で逮捕された人をどう考えたらいいものやら。
ホームレスを住まわせて生活保護を不当にもらっている暴力団のことを、いつぞや万次さんが紹介されていましたが、今日の新聞にもその記事がありました。
問題を解決しようとすると、別の問題が生じるわけで、賽の河原の石積みみたいなものだということでしょうか。
大きな池があって、自分の母親と妻がおぼれている。その時、あなたは先にどちらを助けるか、と。
ある人の答えは、儒教の教えでは、親孝行を大切にするのでお母さんを助ける、キリスト教の教えでは夫婦愛の方が強い絆だからヨメさんを助ける云々かんぬんと続き、ひろさん特有の発想で、これを様々なバリエーションに変えてました。
で、もとの話しではその老僧の答えは近くにいる方から助けるというものですが。
まあ、こんな話しが頭によぎって、例のティック・ナット・ハンの詩では、まずは海賊に襲われた少女の悲鳴を聞いたらそちらを何とかするのが、もっとも理に適ったことではないかと書きましたが。
また、『銀河鉄道の夜』の話をひいて、人を助けようと川に飛び込む人もいるけど、さまざまな生活のしがらみで川に飛び込んでおぼれている人を助けられない人もいる(泳げない人もいる)。。。なんてことを書きました。
で、あちこちで溺れている人の悲鳴を聞いたらどうするか。まあ、私なんかは自分の身はひとつしかないし、耳を塞ぐわけですが。
高橋哲哉さんなんか、呼びかけを聞いたらそれに必ず応える必要があって、あらゆる日本人は日本人によって傷つけられた人に対し、傷つけた日本人を裁きの場に送ることが課せられている云々かんぬんと言っておられました。
それに対して内田樹さんの「人の耳には聞こえる周波数が違う。それに聞こえたからといって、同じ対応を取る必要がない」という意見。ぶんまおさんの「あらゆることに責任を感じるのはいいけど、やっぱり人は有限責任、分限責任でいいんじゃないか」という意見を紹介しました。
まあ、溺れる人をひとりひとり抱え込むんじゃなくって、浮き輪や救命具を投げ与えるとかそういう発想でいいんじゃないですかねえ。
んで、溺れ死ぬことからは免れるけれど、人はいずれ誰もが死ぬんですよねえええ。。。
『歎異抄』に「まず有縁を度すべきなり」とあります。
有縁というとまずは家族、親戚、友人、知人といった身近な人ということでしょうから、まずは近くにいる人を救うという意味になるんでしょうね。
だけど、本を読んで知ったことが縁となることだってあります。
たとえば、野口英世の伝記を読んで医者を志すとか、マザー・テレサの活動を知ってボランティアをするとか。
ですから、「近く」とは距離的な近さに限らないわけで、それこそ縁次第では思いもかけない関わりが生まれることだってあるし。
>溺れ死ぬことからは免れるけれど、人はいずれ誰もが死ぬんですよねえええ。。。
こういう記事がありました。
http://news.www.infoseek.co.jp/mainichi/society/story/12mainichiF1012m140/
長期脳死児なんてさっさと死んだことにして、子供でも臓器を提供できるようにすべきだ、と読めて、いやーな気持になりました。
ひろさんのヴァリエーションの中では、お母さんとヨメさんとどちらを救うべきか。お母さんは先行き短いからヨメさんを救うべきだという答えもあるし、ヨメさんもヨメさんによる(フェミニストのためにオヤジもオヤジによると書いておきましょう笑)と。
これも問いかける禅僧、「禅問答」です。
つまりは、正解なんかないんですが。円さんは痴漢にあった女性は見過ごす、とみごとに言い切られてましたしね(笑)恣意的なもんですよね、誰を絶対的弱者と考えるかも。だからすえ通らぬ慈悲心かなあと思います。
でまあ、いつもながらたとえ話しはわかりやすいけど、あくまでたとえ。自分が陸にいておぼれている人が海にいるという設定もヘンなものです。それを織り込み済みで読んでいただくことにして。
小学校の頃に、大きな船から投げ出されたときどうなるかということをいつもぼんやり考えてました。ビート板(発泡スチロール製)が一枚あったら、取り合いになるなあ、気のきつい人に取られて自分は溺れるだろうなあ。。。なんて考えてましたが。ツラの皮が厚くなってケッコウ生き延びることができました(笑)
ひとりひとりに、浮き袋がある。でも空気を入れる口がどこだかわからない。で、いっぱいつめたら栓をする。そのことをいろんな人から教わったと思ってます。でもそろそろ、その空気も半分以上減ったわけですが(笑)。
小心者ですから、おそらく見てみないふりをするだろうと書きました。
実際にそういう場に遭遇したら、これまた縁ですから、どういう行動を取るか私もわかりません。