『正信偈』に「三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦」とある。
どういうことかというと、曇鸞は『大集経』の注釈を作っていたが、病気になり、死んだのでは人生が中途半端に終わってしまうと考え、不老長生を求めて陶弘景に学び、仙経十巻を授かった。
菩提流支に会って「仏法の中でこの仙経に勝る長生不死の法はあるか」と曇鸞が自慢すると、菩提流支は唾を吐き、「いくら長生きしても、いつかは死んで輪廻を繰り返すではないか」とたしなめた。
『観経』を授けられた曇鸞は仙経をすべて焼き捨ててしまった、とまあそういう話です。
ところが吉川忠夫『読書雑志』によると、「曇鸞の代表的著作である『浄土論註』に曇鸞がすべてを焼却したはずの仙経のまぎれもない痕跡がありありと見出される」そうだ。
『論註』に、「転筋(こむらがえり)に悩む者は木瓜(ぼけ)を火の前であぶればなおる。またなかには、ただ木瓜の名を呼ぶだけでもまたなおる者もある。私自身やってみて効き目があった」という文章がある。
この文章は「(陶弘景の)『本草集注』の記事に依拠していることはほとんど疑いがないであろう」ということである。
「木瓜の効果について、陶弘景が「理亦た尋ね解す可からず」といささか懐疑的なのだが、曇鸞はむしろ信じきっている様子がうかがわれるのが面白い」
吉川忠夫氏は、曇鸞が『本草集注』を引用しているのだから、「陶弘景から授かった仙経のすべてを焼き捨てたというのは疑わしく思われてくるのだ」と言う。
恥ずかしながら『論註』にそんなことが書かれてあるなんて知らなかった。
どういう文脈で「ぼけ」というおまじないが効き目があると説かれているかというと、「称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり」というところである。
「名と法(もの)と一つであるとは、諸仏・菩薩の名号、般若波羅蜜や陀羅尼の言葉、まじないの言葉などである。腫物をいやす言葉に「日出東方乍赤乍黄」などの句を言うようなものである。たとえ酉の時刻にこのまじないをして、朝日が出る出ないにかかわらず腫物がひく。また、いくさに行き対陣して、歯をくいしばって「臨兵闘者皆陣列前行」と誦えるようなものである。この九字を誦えると五兵があたらない。『抱朴子』には、これが戦の要道だとある。また、こむらがえりで苦しむとき、木瓜(ぼけ)を火に暖めて、そこを熨すならば治る。また、人がただ木瓜の名を呼んでもまた治る。我が身にその効能を得た。こういう手近いことは世間の人が知っている。まして、不可思議な仏の境界においてはなおさらである。滅除薬を鼓に塗るたとえもこの一例である。この喩えは前に書いたから重ねて引かない。
名が法と異なるものがあるとは、指が月をさすような名である」
名と義とが一致している例として、曇鸞は呪文の効力をあげているわけである。
木瓜(ぼけ)と言えばこむらがえりが治るように、南無阿弥陀仏と称えたら所願が満足するということである。
また、道教の百科全書とでも言うべき『雲笈七籤』に「曇鸞法師服気法」が収められているそうで、曇鸞の真作かどうかはわからないが、吉川忠夫氏は「曇鸞を取り巻く状況を考えるならば」「何の違和感もない」と書いている。
ちょっとがっかりでした。
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世相に媚びることが多いですからね。
なになに。。。リラックスした姿勢で座り、伸ばした両手を膝の上に置き、着物をゆるめて、目を閉じ、舌を上あごにつけて、ゆっくりゆっくり息をしまーす。てな感じですかね。
まあ呼吸法ですね。息を調える。ブログ主さんは、「寺ヨガ」について書かれていますが、「寺導引術」「寺気功」とか真宗寺院でやりだしたら、ご本山から指導入るんですかね?
声明(文法)、因明(論理学)、内明(教義)、工巧明(工芸・暦学)、医方明(医学)です。
曇鸞が医学に詳しいのは教養として当然だったのかもしれません。
仏教=科学だったわけですから。
ウィキペディア「五明」には、
「外の五明」は、因明、内明の代わりに、
・呪術明(じゅじゅつみょう): 呪術
・符印明(ふいんみょう): 呪符・呪印
の2つが入る。
の2つが入る。
とあります。
ですから、「ぼけぼけぼけぼけぼけ」でこむら返りが治るのは怪しむに足りません。
『療百病雑丸方』(三巻)
『調気方』(一巻)
『論気治療法』(一巻)
『服気要訣』(一巻) があったそうです。
木瓜は、『名医別録 中品』に見える生薬で、陶弘景は『神農本草経集注』を書くにあたり『神農本草経』の薬物以外にこの『名医別録』に取り上げられた薬物を加えて注釈を書いています。
ついでにこの木瓜うんぬんの話は、道綽禅師の『安楽集』にも出てきますが、その前に「また人が犬にかまれた時、 虎の骨をあぶって患部を熨(の)すと患者がなおる。 あるいは、 骨がない時には、 よく手のひらをひろげてその患部をなで、 口の中に 「虎来虎来」 といったならば、 患者がまたなおるようなものである。 」という話が出てきます。
この虎の骨もまた漢方薬で、あぶって炙虎骨(しゃここつ)として抗炎症作用や鎮痛作用が報告されています。これも
『神農本草経集注』に載ってる生薬です。もっともワシントン条約で、いまは虎の骨を使うことは制限されてるそうですが。
七山病院や羽栗病院の治療について書いたものです。曇鸞大師を擁護(?)したわけではありません。いぜん、「仏教医学」というテーマで調べていたとき、曇鸞大師はたくさん医学書を書かれているのを知って驚きました。
人ってなかなか「捨てる」ことって出来ないですよね。
蓮如を火葬したあと、息子の実如は鴨川で禊ぎをしたと聞いたことがあります。
御影堂の修復をしたついでに、鬼門も直せばよかったのに。
でも負の遺産だから、これはこれで残しておくべきかもしれませんね。
http://7yama.or.jp/greeting
そこでは漢方薬が使われてました。「いたいのいたいの飛んでけ~」とかおまじないや祈祷だけで治していたのではありません。
不老不死をめざして仙人たちが使ったものには、たんなる気休めみたいなのもあったでしょうけど薬効成分を含むものもちゃんとあった。
真宗門徒は、病院にいって病を治し、命を長らえることまで禁止されるわけではありませんよね。
おまけ。愛知・岡崎 羽栗病院さん。こちらも真宗大谷派のお寺が発祥。お灸と漢方で精神の病を癒されてました。
http://www.hagurikai.com/haguribyoin/outline/index.html
>木瓜が筋肉痙攣(転筋)に効果があるのは、鎮痙作用も備えているためと考えられる。貧血や血虚による筋肉の痙攣にも使用する。
http://www.sm-sun.com/family/syouyaku/syou-ma/mokka.htm
それより、本願寺さんは風水によって建物を建てているのでしょうか。東西本願寺とも北東部角を「鬼門封じ」されてます。ばっちりレポートされてます。 https://news.mynavi.jp/article/20130624-a058/
曇鸞が仙経を焼いた、ということは法話の絶好のタネなんですが、使えないことになると困りますね。(笑)
でも、そうなると『論註』の解釈を根本から考え直さないといけないことになるんでしょうけど、そこらはどうなってるんでしょうか。
でも、その後、自分の指導教授(龍大元学長S先生)の著書を読んでいたら、何のことは無い、件の木瓜の文等を引かれて、「曇鸞の念仏理解はかかる呪術的な念仏理解が残る不徹底なものであった」と、ばっさりと切り捨てられてありました。
先生の教えを受けながら、私が聞いていなかっただけだったようで・・・^^ヾ
子どもの頃、関節を痛めて、医者にこの子は一生正座ができないでしょうといわれた時、祖父に連れて行かれた民間療法の先生から、木瓜を煎じて飲みなさいと言われ、あの木の枝のようなものを煎じた不味いお茶のようなものを1,2年飲ませ続けられました。
それが利いたのかどうかはまったく因果性はわかりませんが、40半ばとなった今でも2~3時間程度の正座までなら平気です。
「木瓜」と唱えて直ったわけではありませんが・・・