三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

青草民人の宗教遍歴 3

2013年12月10日 | 青草民人のコラム

古寺を巡るようになって、何度か京都に行くようになりました。お東さん(東本願寺)は両親の御先祖様が納骨されているところという感覚でした。両親の故郷には何年も帰っていませんでしたから、墓参りのつもりで寄るようにしていました。まあ、京都の観光をかねて回っていたのは事実です。

ただ、あちこちのお寺を歩いているうちに、次第に自分にもっとも縁のあるのは真宗大谷派の東本願寺というお寺なんだということが感じられるようになってきました。これは神秘的な感覚なので言葉でうまく言えませんが、死んだ祖母が「なまんだぶなまんだぶ」と称えていたことを思い出しながら、阿弥陀堂の阿弥陀様の前に座っていると、なにか心が落ち着きました。我が家に帰ってきたような感覚。

それまで阿弥陀様は知っていましたが、どんな教えなのかも知りませんでした。そういえば、おじさんの葬式でもお大師さんのお札は戻ってきたけれど、浄土真宗の教えってどういうことなんだろうと思うようになりました。こんなに大きなお堂のまん中にいる親鸞聖人ってどんな人だろうって。いろいろ興味が出てきました。


今までの自分の感覚で考えていた仏教とは何か違ったものを御本山で感じました。広いお堂に民衆を包み込むような包容力というのでしょうか。そこに結集する人々の力というのをあの毛綱やお堂の広さから感じました。自分が求めていた教えはこれかもしれないと直感しました。


帰り際、参拝接待所のところに「真宗門徒は帰敬式を受けましょう」という看板がありました。いろいろ聞いたりして、3回目に京都へ行く前に、真宗には帰敬式というのがあって、お剃刀を受けると法名をもらって門徒になれるということを知りました。

法名=仏弟子=お坊さん。そんな感覚で平成10年の1月28日(旧暦では11月でしょうか)、ちょうど親鸞聖人の御命日の日に帰敬式を受けました。

参拝接待所では変なのが来たと思ったでしょうね。所属寺はないし、「どうして受けるのか」と問われて、「とりあえず先祖供養のため」なんて答えるんですから。でも、真宗の門徒になりたいということをなんとか聞いてもらえて、その日の帰敬式を受けることができました。


真宗の門徒になったという自己満足は持てました。真宗の教義もわからずに、なんとなく真宗の門徒になったという時期でした。そして、私の本当の意味での回心体験となる転勤が4月に待っていたのです。

帰敬式を受けたあとですが、根無し草の浮き草門徒である私は、練馬に真宗会館があることを知り、早速日曜礼拝に通いました。帰敬式が1月、転勤が4月。楽しい真宗lifeが本当の浄土真宗として自分のどん底を救う教えになるなんて、新参門徒の知る由もありませんでした。

親鸞聖人は、35歳で越後に流されましたが、私は35歳で過酷な転勤を強いられました。不遜ですが、親鸞聖人の人生と私の年令が重なるのは、偶然でしょうが、不思議な気持ちがします。


転勤してしばらくは、仏教どころではありませんでした。教員として自信に満ちていた有頂天から、学級崩壊のクラスを担任するという地獄にたたき落とされたのですから。毎日、クラスでいろいろな事件が起きました。自分の無力さとどうしようもない現実にウツになりました。何も考えられない状態というか、次に何が起きるのか、そればかりが頭の中にあって、整理がつかない状態でした。真宗の本を読む気力さえなかったです。ただ、自分で描いた阿弥陀様に手を合わせるだけでした。


朝が来るのが恐い。眠りについても、学校の夢を見て夜中に起きる。不眠と疲労で限界までいきました。そしてあの日。小田急線のホームでのこと。向かってくる電車に近づいた寸前に足が止まりました。今思えば、恐くて死ぬことなんかできなかったのでしょうが、電車に向かう自分は自分でなかったような気がします。ふと我に返った瞬間でした。


真宗が本当に自分の求めていたものだと思ったのは、やはり転勤して、つらい思いの中で現実を受け止められるようになったときだと思っています。それまでは真宗の教義も、学問としてとか、雰囲気の問題であって、自分との関わりはなかったように思います。そこで踏み止まってからです。お寺に行ってみようと思いました。
 

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