三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

奥秋義信『残念な日本語』2

2012年01月10日 | 

奥秋義信『残念な日本語』を読んで、これはクイズに使えるなと思った。

次の言葉の意味はどちらでしょうか?
「檄を飛ばす」
1,「激励する」「活を入れる」
2,「主張する」

「すべからく」
1,「すべて」
2,「ぜひとも」「なんとしても」

「憮然として」
1,「むっとして」「腹を立てて」
2,「がっかりして」「失望して」「しょんぼりして」

ちなみに、私はすべて×でした。

重言は「馬から落ちて落馬した」「屋上屋」みたいなものだけではない。
「後ろへバックする」「被害を被る」「犯罪を犯す」「アメリカへ訪米する」などは使ってしまいがちだが、同じ言葉が使われているので重言だとわかる。
しかし、「無料でふるまう」「もう一度くり返す」「あらためて再認識した」「食べられることができる」「関係各位の方々」などは、指摘されないと重言だと気づかない。
「一番最初」「第2回目」「ちょっと小耳にはさむ」「あまり聞きなれない」「みぞれ混じりの雪」「就任7カ月経つ」「バイパス道路」「覆面をかぶる」も重言。
どうして重言なのか、これもクイズに使えそう。

「エンドウ豆」も重言なんだそうだ。
漢字で書くと「豌豆豆」なので一応は重言だと納得するが、「エンドウ」では通じないように思う。
なんと「黒烏龍茶」も重言で、「烏龍」は「カラス」と「龍」ではなく、「黒い龍」という意味。
「従来から」「古来から」にしても、「従来」は「以前から」という意味だし、「古来」は「昔から」という意味だから重言。
ほかにも、「縁談話」(「談」と「話」)、「まだ未定」(「未だ未定」)、「最後の切り札」(切り札とは「最後に使う全能の札」)など。
「お身体をご自愛ください」は、「ご自愛」といえば「身体」のことに決まっているから、これまた重言。
今度から手紙を書くときには気をつけないと。

「ちょっと小耳にはさむ」がどうして重言なのかは説明が必要だと思う。
接頭語の「小」はいろんな意味があって、その一つは「体の部分や状態を示す体言に付いて、その語を跳び越して、動詞や形容詞に「ちょっと」の意味を添える」ということ。
「小首をかしげる」「小気味よい」「小才が利く」「小手をかざす」「小ばかにする」「小股の切れ上がった」などがそれ。
「小首をかしげる」というのは「首をちょっとかしげる」、「小気味よい」は「気味がちょっといい(気分がよい)」という意味になる。
だから「ちょっと小耳にはさむ」は「ちょっと」と「小」が重なっていて、「ちょっと耳にちょっとはさむ」という意味になる。
いやはや、この年になるまでそんな意味だとはまったく知らなかった。

「小股の切れ上がった(女)」は「股がちょっと切れ上がった」ということだが、奥秋義信氏は「(すらりとして)脚の長い(女)」という意味だと言う。
「〈股がちょっと切れ上がっている〉から、脚が長く、背丈がすらりとなるのです」
しかし、股がちょっと切れ上がっていても足が短い人もいるのではないか。
『五味人相教室』だったと思うが、股の形をYとして、Vの部分の角度がより鋭角なのが「小股が切れ上がった」ということだと読んだ記憶がある。

「小」には「名詞や形容詞に付いて「始まり」の意を加える」という意味もあり、「(夕焼け)小焼け」がそれ。

「小」についてもう一つ。
「小じゃれた」は「ちょっとおしゃれな」という意味ではない。
「じゃれた」は「じゃれる」で、「戯れる」の転だから「ふざけた」「なれなれしい」という意味で、それは「ちょっと」という意味の「小」をつけたのが「小じゃれた」だから、「ちょっとふざけた」という意味になる。
やれやれ、当たり前のように間違って使ってました。

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