佐藤大介『死刑に直面する人たち』は死刑囚、刑務官、弁護人、法務官僚、被害者遺族、死刑囚の家族など、死刑に関わる人たちの声に耳をかたむけ、死刑に関する諸問題について考えていく本です。
刑務官の言葉です。
死刑執行が法務省で公表されるようになってから、刑務官の心のケアに一層配慮するようになった。
法務省が死刑執行を公表する際には、執行場所である拘置所名も明らかにされるので、「刑務官の家族はもちろん、親類や知人、子どもの学校にまで「死刑を行った場所に勤めている」というイメージを植えつけかねない」との懸念が生じているから。
東京拘置所処遇部長
死刑囚の教誨師は執行に立ち会う。
元死刑囚の母
だが、そうした苦しみが、死刑囚となった息子に刑が執行されたことで消えるわけではない。むしろ、息子が殺めた二人の死に加え、その息子の死にも向き合うことになり、心には底知れない暗闇が広がるようだった。
早稲田大学で行われた刑事制度についての「審議型意識調査」での「日本の死刑について」のセッションで、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の高橋正人弁護士と、弟を殺害された原田正治さんがゲストスピーカーとして壇上に上がった。
高橋正人弁護士の発言は迫力があります。
死刑廃止論をこのように完全否定します。
誤判の虞れがあるから廃止すべきという意見もあるが、すべての殺人事件で誤判の虞れがあるわけではなく、また、誤判は、疑わしきは罰せずとの原則を貫くことで避けることができる。
いかに迫力があっても、賛成はできません。
「疑わしきは罰せず」が原則だといっても、実際には冤罪事件が生じているわけで、誤判を避けることが本当にできると、あすの会の会員が信じているとすれば、事実を見ないようにしているとしか思えません。
被害者遺族の感情で死刑か無期か有期かを決めるべきだと、高橋弁護士たちは考えているのでしょうか。
犯罪者の更生が被害に遭っていない私たちと無関係であるはずはありません。
被害者であろうと、被害者でなかろうと、社会の中で生活しているわけですから。
それと、「死んで償ってくれ」と言いますが、加害者が自殺しても「死んで償ってくれた」とは思わないでしょう。
被害者がみんな厳罰を望んでいるわけではありません。
社会から犯罪を減らすためには厳罰よりも、社会復帰できる環境作りが重要だと思います。
政府による死刑制度に関する世論調査だと、死刑賛成の人が多いのですが、質問の仕方に問題があります。
1956年~1989年の質問。
「今の日本で、どんな場合でも死刑を廃止しようという意見にあなたは賛成ですか、反対ですか」
回答(1)賛成
(2)反対
(3)わからない
1994年~2009年の質問。
「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか。」
回答(1)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
(2)場合によっては死刑もやむを得ない
(3)わからない・一概に言えない
2014年の質問。
質問「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」
回答(1)死刑は廃止すべきである
(2)死刑もやむを得ない
(3)わからない・一概に言えない
1994年~2009年の質問は「どんな場合でも」と「場合によっては」との選択だから公平ではないという批判がありましたが、1989年までの「どんな場合でも」や、2014年の「廃止すべき」と「死刑もやむを得ない」も似たようなものだと思います。
復讐させてやればよい。過去の日本のように「仇討ち」を認めればよい。政府は「仇討ち赦免状」を発行する。但し、仇討ちの内容は「目には目を、歯には歯を」だ。サバイバルナイフなんかで一突きで殺した場合なら、それ以上(二突きとか)をやってはならない。指を一本一本落し、火傷を負わせ、風呂に沈め・・・など残虐の果てに殺害したなら、忠実にその通りの殺害方法(応報)をしなければならない。それ以上でも以下でも、認められない。シェークスピアの『ベニスの商人』。
私がこのように考えるようになった経緯は、「死刑存置とか廃止とか、難しい。いっそ、同じ方法(殺害態様)で犯人に報いたらどうなんだ」と友人に話したところ、即座に「そりゃ、だめだ。だって、誰が、それをやる? 指を落したり火傷を負わせたり・・・、刑務官が気の毒だよ」と。友人は「ロボットにやらせれば」とも言ったりしていましたが。
死刑執行は、短時間で、そして、3人の刑務官がボタンを押して、というふうに、死刑囚にも刑務官にも極力負担がかからないように(刑務官の心の傷が最小限に)工夫されているが、それでも刑務官の艱難は計り知れない。死刑執行を前日告知すると、その任務を命じられた刑務官は翌日欠勤するので、執行当日に告知するとも聞いた。
仇討ちを認めれば、国家にその無念を晴らしてもらっている遺族にも、刑務官の苦労(「死刑とは何か」の一面)が分かるのではないか。
その場合は、残念無念でおしまいですか。
それとも、相手をぐるぐる縛って、好きにできるとして、「指を一本一本落し、火傷を負わせ、風呂に沈め・・・など」の残虐なことができる人がはたしているものでしょうか。
『親切なクムジャさん』みたいに、そういうことが仮にできたとしても、実はその人は冤罪だった、真犯人は別にいたとなったら、どうしますか。
よって殺人は正当であり、死刑は不当である」
という訳か。仏教は殺人を肯定する宗教だという主張な訳だ。
相変わらずですね。まだ、そういうことを書き込んでくる人がいるんですね。
で、そういう人をきちんと相手にしている円さんってすごいです。
私だったら、死刑反対派著書か、良いことが書かれているサイトを紹介して、無視か。
はじめから無視です。
もしくは、私のブログにそういうふうに書いてくる人がいたら、円さんの反論を参考にします。
あだ討ちとか、近代国家では無理。
『人権』という視点から考えても、まず、政府が容認するわけないし…
仮に、あだ討ちが可能な国というのは、人権に関する考えが遅れている国で、
それ以前に生存権も危うい国であるという前提だと私は思います。
無法地帯に近いということですね。
AがBにあだ討ちをしたら、
そのBの妻や子供が、Aにあだ討ちをする…ってたぶん、永遠に続くと思います。
それか、家に爆弾をとりつけられるとか、毒を盛られるとか…
国が殺しを認めたら、なんでもござれになるでしょう。
犯罪と社会の関わりや、犯罪発生要因を皆で考えられず、
「やられたらやり返せばいい」って、
『日本人よ!バカになれ!動物の脳みそになれ!進化をやめろ!』言ってるようなもんです。
あ、動物も報復なんて考えないから、動物以下ですか。
私の主観ですが…
報復肯定派はナショナリズムを説く人が多いですが、
日本文化が後退するのが世界に誇れる日本になると思ってるのですかね。
円さん、どっかで、「入院された」と書いてあったと記憶しているのですが、お体、お大事に^^
頭の回転が鈍くなって、思いつかないということもありますが。
コメントを返すことも面倒になりました。
意味がよくわからなかったり、明らかな誤読(意図的かどうかはともかく)に返事を書くこまめさはなくなりました。
保守派は人権や自由を嫌っているように感じます。
全国民が一つの価値観で統一すべきだというように思ってるんじゃないでしょうか。
そのくせ、ヘイトスピーチをする人間が「表現の自由だ」と言うわけでですから、何を考えているのかと思います。
http://originalnews.nico/45811
被告人は、国家という強権に立ち向かわないといけないと反対派の青木氏。しかし遺族も、必ずしも法制度で保護されてるわけでもない。
えーと。いっそのこと、人口知能に判定させる。被告人の更生可能性も膨大なデータを使って判断。その時、状況証拠だけしかないとか冤罪が生まれそうなら死刑は回避される。
で、それでも現行犯とかで死刑判決となったら、最後に遺族に聞く。死刑を望みますか?望みませんか?
で、遺族がいない、もしくは死刑を望むというなら死刑執行のお迎えもロボット、ボタンを押すのもロボットがやったらどうでしょう。
被害者遺族の言葉はすごく重たいです。
でも、私はやっぱり死刑には反対です。
感想を後日書きます。
AIに判断させるといっても、データを入力するのは人間です。
裁判員裁判だって、今までの判例をもとに量刑を決めるのでしょうから、同じことだと思います。
ただ、死刑判決を出すことに罪の意識を持たずにすむという利点はありますね。
わたしは自分の立場はグラデーションでありたいと思ってます。実際問題、試験があって二者択一で答えよといわれたら、マルかペケかをつけますが、死刑に関しては条件つきの賛成かな。
このブログを読んでいても、賛成派はずっと賛成意見だし、反対派はずっと反対。議論は平行線。賛成派も反対派も相手は、理解不能でときに罵声、ときに罵倒。いきおいあまってお前は頭がおかしい、と。
なので私は、死刑廃止派がその理由にあげる(冤罪がおこるから。刑務官の負担があるから。遺族は必ずしも死刑を望まない)等の条件を限りなく満たせば、反対派にはどういう主張があるのかと思って、先の投稿をしました。
また、世界の潮流は廃止に傾いているというのをあげることもありますね。あるいは、国が殺人を犯すことはいけないんだと。
で、近年はテロ事件が報道を賑わせています。そして、死刑を廃止した国でも特殊部隊が現場に突っ込んで犯人(?)を射殺しているのを見ます。「ああ、戦争とかテロのなどのっぴきならない場面では、国として殺人を肯定するんだなあ」と感じます。
おかげさまでアクセスが増えました。
だけど返事が大変だ。
しゃべりの上手な人は文章がうまいことが多くて、しゃべりと文章の上手下手は正比例するように思います。
頭に浮かんだことをそのまま書いて、それでちゃんとした文章になるんでしょうね。
しゃべりも文章も下手な者は、頭をひねって何度も書き直しても、意味不明になりがちです。
死刑に反対なのは何となくでした。
今はいろいろと理由をつけることはできますが。
人の可能性を信じたいということもあります。
多くの犯罪者は生育歴が悪い人が多く、自分もそういう環境で育ったらどうなっていたかと思うと、ある弁護士が言ってました。
それでもちゃんと更生する人がたくさんいます。
死刑囚だって同じだと思います。
>ときに罵声、ときに罵倒。いきおいあまってお前は頭がおかしい、と。
死刑廃止派はそういうのはあまりいないと思います。
上から目線の人、ちょっと変な人はいるようですけど。
>「ああ、戦争とかテロのなどのっぴきならない場面では、国として殺人を肯定するんだなあ」と感じます。
戦争と死刑は、殺してもいいと国が認める人がいる、殺しても罪には問われない、という点で共通しています。