三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

冤罪と謝罪

2007年01月31日 | 死刑

強姦事件で逮捕されて有罪判決を受け、服役した男性の無実が判明した。
富山県警と富山地検、そして法相も男性に謝罪、さらには県警本部長が直接謝罪し、「就職先の紹介など生活支援をする意向を伝えた」という記事が、先日の新聞に載っていた。

死刑が執行された後に無実が判明した場合でも、警察や検察はやはり謝罪するのだろうか。
というのが、この記事を見て福岡事件のことを思ったからである。

1947年、福岡で闇商人2人が射殺され、西武雄さんと石井健治郎さんが主犯として逮捕された。
実行犯の石井健治郎さんは、西武雄さんは事件とは無関係だと述べている。
西武雄さんは無罪を、二人を射殺したことを認めた石井健治郎さんは正当防衛を主張した。
2人とも死刑判決を受けた。
ところが、それにもかかわらず、1975年、なぜか西武雄さんは処刑され、石井健治郎さんは無期に減刑された。

イギリスで死刑が廃止されたのはエヴァンス事件がきっかけである。
1949年、ロンドンで起こった殺人事件の犯人とされたエヴァンズは、1950年に絞首刑に処せられた。
ところが、1953年に真犯人が逮捕された。
イギリス国民はショックを受け、イギリスの死刑制度は廃止された。

実行犯の石井健治郎さんが西武雄さんは無実だとはっきり言っているのだから、間違いなく冤罪である。
教誨師をされていた故古川泰龍師は無罪を確信し、再審請求運動を長年されてきた。
しかし、いまだ再審は行われていない。
そもそも福岡事件を知っている人は少ないだろうと思う。
私にしたって昨年知ったばかりである。

罪を認めている者であろうとなかろうと、初めから犯人扱いで取り調べる警察・検察。
検察の作文を鵜呑みにし、無罪判決を出すことを躊躇する裁判官。
裁判所、そして警察・警察からの情報を垂れ流しにするマスコミ。
そして、他人事だと思っている我々。
みんなが冤罪を生み出しているのである。

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-02-01 23:02:31
冤罪論と死刑廃止論は別だと思いますが。

無理矢理のこじつけは左翼の典型。

あなた、何かの運動員?
返信する
どうして別なんですか ()
2007-02-02 18:05:48
>冤罪論と死刑廃止論は別だと思いますが。

団藤重光元最高裁判事や亀井静香といった人たちが死刑廃止を求める理由の一つが冤罪です。
裁判官や警察官僚をしていて、冤罪としか思えない事件にぶつかり、死刑は廃止しなければいけないと思うようになったそうです。
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_dando.html
http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html

>無理矢理のこじつけは左翼の典型。
>あなた、何かの運動員?

これでやっつけたつもりでいるんですか。
返信する
Unknown (スペルマン)
2007-02-20 23:20:57
あなた、やっぱり嘘ついてるね。前の人のやつ読みました。

団藤重光氏が死刑廃止論者と言うのは知ってます。彼が死刑廃止論者になったきっかけは冤罪を生むと言う理由ではなく、彼が担当したある裁判の法廷で『人殺し!!』と罵られたのが直接の理由である。まあ、そのような理由で死刑廃止論者となったとしても私は責めない。裁判官にしかわからぬ苦悩であるからだ。人を裁く職業にある以上、どちらかが不利益になる決定をせねばならないからだ。(亀井氏については私は知らない。ただ、旧社会党の残党や社民党の連中と仲良くしているのを見ると元警察官僚の経験としての意見とみるのは疑わしい。)

それに、死刑は冤罪の温床となる意見については、前の人の言うように全くのこじつけである。

もし、あなたがいうように冤罪となるならあなたが挙げてた富山県の痴漢冤罪事件については死刑から論じなければならなくなる。もととなる罪が強制猥褻なのに、裁判の際に死刑云々と警察や検察がいうのであれば死刑賛成論者の私ですら『ちょっと待てや』と言うぞ。

つまり、冤罪論はその元となる事実関係(早い話がやった、やってない)が論点になるのに対し、死刑論は量刑の問題である。

犯罪行為をした人間に対しての事実の有無を問題としているのが冤罪論であるのに対して、どういった罰を与えようか(簡単に言えば悪戯した子供に対して親がゲンコツを与えるかお尻ペンペンか、叱りつけて終わるか)と言うのが論点である。そこには事実関係云々の冤罪論が入っていく余地は全くない。

実際の裁判見てりゃわかるでしょうが。例えば泥棒で逮捕された犯人の被告側が『俺はやってない!』って言ってるのに対して反論で検察側が『死刑だ!』ってやってる裁判見たことある?逆に被告側が『泥棒で捕まったのに死刑は重すぎる。もっと軽くしてほしい』と主張してるのに検察側が『コイツ絶対やってるぞ』って反論してる裁判見たことある?そもそも変じゃん、そんな裁判。

あなたの論じてる主張はそのような裁判を肯定しているに他ならない。

論点スリカエや無理なこじつけは止めて欲しいものですなぁ。
返信する
どこがこじつけなんでしょうか ()
2007-02-21 10:57:54
>あなた、やっぱり嘘ついてるね。

どういう嘘をついていますか。
アムネスティのHPに載っている団藤氏の死刑反対論には、「正直なところ、「本当にこの人がやったのだろうか」という一抹の不安を持っていました」とあります。
また団藤氏はある講演会で次のようなことを言われています。
裁判長が「上告を棄却する」と言い渡しをした時、傍聴席から「人殺し!」という声があがった、あとからそれを言った人の話を聞き、「間違っていたとは思いませんけれども、しかし一抹の不安が出てまいります。それまでは確信をもって、これは死刑はやむを得ない、そういうことで死刑というものに別に疑問をもちませんでした。しかし、今のように一抹の疑問を与えられますと、そういうことで一人の人を殺していいのだろうか、と」
「一抹の不安」とは、ひょっとしたら冤罪ではなかったのか、無実の人を死刑にしてしまったのではないかという不安でしょう。

>冤罪論はその元となる事実関係(早い話がやった、やってない)が論点になる

その通りですね。
財田川事件、松山事件、島田事件など、冤罪(やっていない)なのに死刑判決が確定していました。
やっていないのに、やったと決めつけられ、死刑にされてしまったわけです。
死刑と冤罪問題のどこが無関係なんでしょう。

>論点スリカエや無理なこじつけは止めて欲しいものですなぁ。

それは私があなたに言いたいことです。
返信する

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