三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

塩見鮮一郎『貧民の帝都』

2013年10月08日 | 

オバマ大統領が推進している医療保険改革法の延期または予算打ち切りを狙って、アメリカの上院は暫定予算案を否決した。
医療保険制度改革案に反対する人がいるのはどうしてか、私はわからない。

町山智浩『教科書に載っていないUSA語録』に、保守派が国民皆医療保険制度に反対する理由が書いてある。
「政府が運営する保険は保険会社の自由競争を邪魔する。社会主義的なシステムだという。また、貧しい者の医療費を政府が払うということは、豊かな者が払った税金を回すことになり、これも社会主義的で許せない。
さらに独立戦争の頃から伝統的に、州の自治権と中央政府の権力は対立してきた。今回も、共和党が過半数を占める南部のいくつかの州議会は、オバマケアを、州の自治権を保証する憲法修正第10条違反だと裁判所に訴えた」
国民皆保険が社会主義なら、「ゆりかごから墓場まで」のイギリスはどうなんだと思う。

では、日本はどうか。
解雇特区、前向きに検討 官房長官「経済発展の観点で」
安倍政権が構想する国家戦略特区のうち、従業員を解雇しやすくしたり、労働時間の規制をなくしたりする特区の導入について、菅義偉官房長官は3日の記者会見で「何がこの国の経済発展のために必要か、という観点で考える。甘利明経済再生相と新藤義孝総務相、私を含めて3者で協力して、これから方針を打ち出したい」と前向きに検討する意向を示した。政権は15日召集の臨時国会に関連法案を出したい考えだ。
「解雇特区」とは
この特区では、働き手を守る労働契約法などに特例を認め、企業が従業員を解雇しやすくなる。安倍政権の産業競争力会議は1日、「成長戦略の当面の実行方針」をまとめたが、解雇規制の緩和をめぐっては積極的な民間議員と慎重な厚生労働省の間で意見の隔たりが大きく、盛り込まれなかった。野党はこの特区を「首切り特区」などと批判している。朝日新聞10月3日

頼みもしないのにツイッターがメールで送られてくるのだが、この朝日新聞の記事を批判するツイッターがその中にあった。

この特区は、解雇しやすいだけでなく、就職しやすいということ。こういう偏向報道をしてどうするのか。事実関係とバランスが無さ過ぎる。

人材の流動性が高まれば解雇をしやすくなる。そうなれば普通はクビにならないためにスキルを身につけて自分を高めるのでは? 問題なのは競争力が無くなっても生き残れる現状。

このツイートは大学教授や実業家、MBAを持っている人たちである。
この人たちのように能力があり、経歴がよければ、転職するたびに自分を高めることができるだろう。
しかし、そんな人間はほとんどいない。

多くの人は、景気がよければ就職しやすくなっても、景気が下り坂になると、とたんに解雇されててしまうことになるのではないか
いつ首を切られてお払い箱になるかわからないのだから、20年、30年ローンで家を買うのは無理だと思う。
求職中の知人にこの問題について尋ねると、苦労したことのない人が考えることだ、と言ってた。
私もそう思う。

塩見鮮一郎『貧民の帝都』は、明治5年に創設された、窮民、病者、障害者、孤児、老人たちの収容施設である東京養育院の変遷をたどりながら、貧民問題から浮かび上がる明治という時代を描いている。

ロシアの皇太子が来日するというので、明治5年10月15日に養育院ができる。
貧民のために作られたのではない。
「貧民救済でも慈善でも福祉でもなかった。目ざわりなゴミかなにかのように、こじきをかきあつめて、人目にふれない場所にほうりこんだだけである。執行者の頭にあるのは、外国の客人にきたない街を見せたくないという見栄だけであった」

明治5年10月26日、「乞食廃止令」が府知事の名で公布される。
「従来乞食等へ米銭を与ふるは、畢竟姑息の情より出候事にて、其実は一時飢餒を免れしむるのみ、却て其者を放逸に至らしむるに付、米銭を与へ候儀は一切不相成、尤右体の者去る十七日限り処分申付候については、向後徘徊候儀は無之筈に候得共、自然他より潜入し候者有之、夜中庇下へ差置又は米銭等差遣し候者有之候はば、見当り次第邏卒にて差押、施し候当人へ二銭づつ過料可申付候条、此旨兼て可相心得事。
但し、寄方無き廃疾不具の者は、会議所に於て夫々救助の筋可取立候間、愛憐の志により右費用に充度者は、寡多の別なく同所へ差出候儀自由たるへき事。
右之趣市在区々不洩様可相達事。
明治五年十月二十六日
       東京府知事 大久保一翁」

塩見鮮一郎氏の訳。
「これまで乞食に米やゼニをあたえていたのは、その場のがれの行為でしかなく、結果、いっときの飢餓感をのぞくにすぎず、かえって相手を怠惰にしたので、もう米やゼニをあたえてはならない。もっともこじきを十七日までに処分したので、今後は徘徊することはないはずだが、よそから潜入してくる者がいるだろう。かれらを自家のひさしの下に寝させてはならない。見つけしだいに警察に知らせてつかまえさせること。米やゼニをほどこした者には二銭の罰金をもうしつける。ただし、寄る辺のない病者、障害者は会議所において救済する。もし愛憐の気持ちから寄付をしたい者がいるなら、多寡の区別なく同所へさしだすのは自由である」

福祉依存という言葉があるが、それと同じ理屈である。
「あまやかすとだめになるから、こまっていても助けるな、軒下で雨宿りさせてもならない。「働かざる者食うべからず」という今日につづくイデオロギーが、府知事の言葉としては社会的に認知される」
今でも「自己責任」という都合のいい言葉によって路上生活者や生活保護者を苦しめている。

節税のために養育院を目のかたきにする人たちが出てくる。
田口卯吉は「東京経済雑誌」(明治14年7月発行の号)にこんな意見を述べている。
「租税をもって天下の貧民を救おうとすべきではない。現在500名を養育院で養いこれに対し二万円の地方税を費やしているが、貧民の十分の一も養うこともできない」
つまり、「公的機関が貧民救済にのりだしても救済できるのはわずかだから、社会の自律にまかせたほうがよいという意見だ」と塩見鮮一郎氏は説明する。

自己責任論は議会でも繰り返された。
「慈善事業は自然に懶怠の民を作る様になるから、寧ろ害あって益無きものである」
怠け者を作るだけの慈善事業は百害あって一利なし。

現在も似たり寄ったりの状況である。

「北朝鮮やアフリカの飢餓の悲惨はニュースになるし、自然災害のときは義捐金がすぐにあつまる。身近の貧民に対してだけ、見ぬふりですましている。そしてボランティアの人たちだけがなんとかしようと努力する。これがいまの日本の現実だ」
たしかにそうだと、私も思う。
アフリカの難民のために寄付はしますけどね。

東京養育院の院長を長く務めた渋沢栄一を例にあげ、塩見鮮一郎氏は「こういう政治的な危機に直面したときには指導者の力量が問われる」と指摘する。

安倍首相の力量や如何に。

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