三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「死刑囚表現展」のアンケートと平野啓一郎『死刑について』(11)

2024年03月23日 | 死刑
⑬ 遺族の恨み、怒り、憎しみ

光市事件の遺族である本村洋さんはこう書いています。
犯人に対する怒り、憎しみを抱き続けて生きていくことを改めて心に誓ったのです。(「週刊新潮」1999年9月)

しかし、怒り、憎しみ、恨みを抱え続けることはしんどいものです。
怒ってもすっきりしないどころか、逆に後悔の念にかられることもあります。
それはわかっていても、怒りや恨みを手放すことが困難だからこそ、恨みや怒りを手放すための支援が必要だと思います。

平野啓一郎さんも『死刑について』にそのことを語っています。
復讐心を抱いて、相手を憎み続けるというのは、際限もなく生のエネルギーを消耗させます。被害者を、その人生の喜びから遠ざけてしまうことになります。

連邦ビル爆破事件で娘を失ったバド・ウェルチさんはこのように語っています。
怒りや憎しみ、復讐の気持ちを持ったままでは、癒しのプロセスには入れません。癒しに入るためには、それを越えなければいけないのです。なぜそう言えるのか。私もその道を通ってきたからです。ですから、まだ数家族の人たちが怒りや憎しみ、復讐の気持ちにとらわれていることは、とても悲しいことです。(「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第10回死刑廃止セミナー講義録)

娘の死によって死刑賛成に気持ちが傾いたバド・ウェルチさんがが、再び死刑に反対するようになったのは、主犯のティモシー・マクヴェイが犯行に至った動機を考えたからだと、布施勇如「米国の犯罪被害者支援―新聞記者の視点から」にあります。
湾岸戦争に出征したティモシー・マクヴェイは心に深い傷を受け、政府を恨んだことが連邦ビル爆破事件の大きな動機になっている。

バド・ウェルチさんは最終的にこういう考えに至ります。
マクヴェイを死刑に追いやることは、彼が娘のジュリーら168人を殺した理由と同じ、復讐と憎しみから死刑に追いやることになる。つまり、因果応報と怒りというのは、人を悪の行動に駆り立てるだけだ。

もう一つ大きな契機はティモシー・マクヴェイの父と妹に会ったことです。
テレビに映った父親の陰鬱な表情を見て、「彼も同じ犠牲者の一人なんだ。息子の犯行によって、心の傷を受けている」と感じた。
「マクヴェイのお父さんは毎朝起きると、自分の息子だけでなく、ジュリーと167人の犠牲者のことがまず頭に浮かぶに違いない。とすれば、一人の娘を失った自分以上の被害者じゃないか」と考えるに至った。

爆破事件の3年半後、バド・ウェルチさんはマクヴェイの父と妹を訪ね、3人で肩を寄せて泣きじゃくった。
そして、「僕ら3人は同じ気持ちだよ。君のお兄さんを死なせたくはない。そのためにできることは何でもするから」と言った。
バド・ウェルチさんは「この時ほど自分が神のそばに引き寄せられたと感じた瞬間はない」と思った。

1990年、ジョニー・カーターさんの孫娘キャサリン(7歳)は性的暴行を受けた後に刺殺されました。
犯人のフロイド・メドロック(19歳)を「この手であの男を絞め殺してやりたい」と思った。

ところが、その年の暮れから2ヵ月間、放射線治療のため入院生活を送る中で命について深く考え、そのうち変化が起き始めた。
そして、足が遠のいていた教会に再び通い、孫娘の命を奪った男への「ゆるし」ということについて、牧師と対話を重ねた。
あらためて気づいたのは、「物事には全て両面がある」ということ。

フロイド・メドロックは幼少時代、性的・精神的に家族らの虐待を受け、高校を中退し、友だちもほとんどいなかった。
家庭環境とか教育環境はフロイド・メドロックが自分の意思で選んだものじゃない。

ジョニーさんは「彼に対する怒りにさいなまれて生きていくよりは、彼をゆるして、多くの人が知らない彼の内面を理解しよう」と思うようになりました。死刑よりは仮出所なしの終身刑を望むようになり、地元の死刑反対グループに参加し、メドロックと文通を始めました。

入江杏さんは中谷加代子さんにゆるしについて質問しています。(「刑事司法と被害者遺族」)
『ゆるし』は加害者のためというより、『被害者』のためにある、と私は思うのです。もし私が、更生教育の一端を担えるなら、加害者の中の被害性に呼びかけるしか、できない気がします。

中谷加代子さんの返事。
被害者から加害者に対しての『赦し』は、こだわりを持っている被害者がそれを手放すことが出来れば、救われるのは『被害者』。また、同じことが加害者にも言えると思います。加害者が、事件を起こしてしまった自分を赦せるかどうか。これを赦すことができる最後の一人は、きっと加害者本人だと。被害者からの赦しは、加害者の力にはなるけれど、それが全てではないと思っています。
https://www.crimeinfo.jp/wp-content/uploads/2018/09/07.pdf

平野啓一郎さんは、憎しみにのみ共感を示すのではなく、それ以外の部分で被害者をサポートしていくことで、被害者の気持ちに寄り添っていくことが可能なのではないかと言います。
子どもたちが父親を殺された恨みを抱えながら、人生の大半の時間を費やして生きていく姿を見たとしたら、僕は彼らに「一度しかない人生だし、もっとほかのことに時間を使ったほうがいいよ」と声をかけてあげたいと思います。
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